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中之島玄庵

2020_01_24_玄庵 24時間業務を行っている東京の事業所が、年に1度の
 法定停電を実施することから、大阪の事業所で夜間
 業務を代替する必要があり、夜業メンバーに名を加え
 られました。事業所内の端末が多数空いているので、
 システム設定等が日中よりも捗ります。休憩時に読み
 耽っていたのが、茶室「中之島玄庵」ガイドブック
 『市中に山居をつくる』でした。数日前訪れたばかりの
 「中之島香雪美術館」内の「中之島玄庵(げんなん)」を
 想起します。この系譜に或る意味、奇妙な感慨を覚える
 のですけれど……「朝日新聞社」創業者、村山龍平
 藪内流の“茶の湯”を習い、明治44年(1911)、神戸市
 東灘区御影の自宅内に茶室「玄庵」を建てます。この
 玄庵を含む旧「村山家住宅」は、国指定重要文化財と
 されています。さて、オリジナル玄庵は藪内流家元の
 茶室「燕南(えんなん)」を写した建物でした。一般的に、
家元の象徴となる茶室の写しを建てることは、相伝を得た者だけにしか許されず、
玄庵は破格の扱いだったそうです。藪内流の祖は藪内剣仲紹智(1536~1627)。
武野紹鴎(1502~1555)に茶の湯を習い、“剣仲”は道号。燕庵は初代・紹智が
義弟とされる古田織部(1543~1615)から譲られたといわれますが、オリジナルの
燕庵は元治元年(1864)の禁門の変にて焼失。摂津有馬郡結馬村(現・神戸市
北区有野町)の門人・武田儀右衛門の屋敷に天保2年(1831)頃に建てられていた
“写し”が、慶応3年(1867)に移築されて、現在の燕庵です。ですから、オリジナル
燕庵⇒写し燕庵⇒(写し)玄庵⇒中之島玄庵という流れになります。原寸大で、本物
(何が本物か、もうよくわからなくなりそうですが……)と同じ材料を用いて再現された
中之島玄庵には良質の特撮マインドを感じ、例えば「大阪くらしの今昔館」で体感
されるような、フィクションだからこそ受け容れられるリアリティについて考えさせられて
しまいます。起源はよくわからなくて、写しの写しの写ししか、ぼくらには伝わらない。

参考文献:『市中に山居をつくる』(中之島香雪美術館)
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 建築建物

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
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