鶴乃茶屋跡

☆
与謝蕪村(1716~1784)が後半生を京都で
過ごしたことや、「北野天満宮」の知名度から、
上掲の相撲取りの句も京都で詠まれたものと考える
べきなのでしょうが、大阪人からすれば、かつて
大阪に北野村(cf.「北野病院」、「北野高校」...etc.)
が在ったこと、その能勢街道沿いに「鶴乃茶屋」
等の茶屋が繁盛したことなどを挙げ、摂津国・毛馬村
出身の蕪村だから、大坂の茶屋をも想定しながら
作ったのではないか?と牽強付会したくなります。
梅は「綱敷天神社 御旅社(おたびしゃ)」のものかな。
さて、現在の大阪市北区の「NU茶屋町+」西側に
建つ「鶴乃茶屋跡」碑(画像は1月28日撮影分)。
背面には「昭和十年八月起 門坂氏」と読めます。
昔、横倒しになっていた石碑が在ったように記憶し、また近辺に別の「鶴乃茶屋跡」
碑が建っていたような気もしますが。「鶴乃茶屋」の他、「車乃茶屋」、「萩乃茶屋」
も賑わい、大阪市北区の地名、鶴野町、茶屋町の由来となったといわれています。
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