大の松之墓
近鉄・南大阪線の二上山駅から、国道165号を西へ向かって
歩いていくと、右側に「大の松之墓」が見つかります。地元
(奈良県香芝市穴虫)出身の力士の四股名が、大(おお)の松
為次郎となり、本名は吉田栄蔵(1859~1921)。
5尺3寸(約160cm)、20貫(約75kg)の小兵力士でした。
大阪相撲の森ヶ﨑部屋に入門し、幕下まで行ったそうです。
大正4年(1915)6月、「大坂山口神社」にて興行が行われた
引退大相撲の際、墓碑を建立。生前に建てられた訳ですね。
思えば、相撲発祥の地・腰折田(こしおれだ)も離れておらず、
當麻蹶速(たいまのけはや)の墓と伝えられる五輪塔も、1駅隣、
「當麻寺」近くに在りましたか。ちなみに、同寺や二上山は
奈良県葛城市に含まれます。ローカルな英雄と侮るなかれ、
右隣に建っていた近衛歩兵上等兵・吉田信司碑の立派さに
気後れしつつも、スルーしてしまいましたが。何故の差別?
参考記事:葛城市 ― 相撲発祥と當麻蹶速

歩いていくと、右側に「大の松之墓」が見つかります。地元
(奈良県香芝市穴虫)出身の力士の四股名が、大(おお)の松
為次郎となり、本名は吉田栄蔵(1859~1921)。
5尺3寸(約160cm)、20貫(約75kg)の小兵力士でした。
大阪相撲の森ヶ﨑部屋に入門し、幕下まで行ったそうです。
大正4年(1915)6月、「大坂山口神社」にて興行が行われた
引退大相撲の際、墓碑を建立。生前に建てられた訳ですね。
思えば、相撲発祥の地・腰折田(こしおれだ)も離れておらず、
當麻蹶速(たいまのけはや)の墓と伝えられる五輪塔も、1駅隣、
「當麻寺」近くに在りましたか。ちなみに、同寺や二上山は
奈良県葛城市に含まれます。ローカルな英雄と侮るなかれ、
右隣に建っていた近衛歩兵上等兵・吉田信司碑の立派さに
気後れしつつも、スルーしてしまいましたが。何故の差別?
参考記事:葛城市 ― 相撲発祥と當麻蹶速
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tag : 史跡