少彦名神社の虎

(大阪市中央区道修町2丁目1−8)の
祭神は、少彦名命と神農炎帝です。
明暦4年(1658)頃から、道修町には
薬種商が集まり、享保7年(1722)、
124軒が徳川幕府から道修町薬種
中買仲間として公認を受けました。
“薬の町”として認められたのを機に、
中国薬祖神・神農さんと併せて、安永
9年(1780)、京都「五條天神社」から少彦名命を勧請。現在地に祀ったといいます。
☆
大阪の祭りは、1月10日のえべっさん(=十日戎)に始まり、11月22~23日の
神農さん(=神農祭)に終わることから、神農祭は別名“とめの祭り”と呼ばれて
います。祭りの折、神虎笹――五葉笹に張り子の虎(=神虎)と神社の札を付けた
お守りをよく見かけるのですが、何故、虎なのでしょう? 実は文政5年(1822)、
大坂でコレラが流行。対して、道修町の薬種仲間は「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっき
うおうえん)」という丸薬を張り子の虎のお守りと共に施与したそうで、神虎の由来と
されています。安政5年(1858)のコレラ流行時は、緒方洪庵(1810~1863)が
『虎狼痢治準(ころりちじゅん)』という表題の治療手引書を出版しまして、コロリ(≒
コレラ)の1字に、“虎”を当てていますねえ。今だと、拝殿に飾られている大きな
張り子の虎の右側には、「祈 コロナウイルス退散」と大書されています。
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