源八橋から

以前も触れたかと思われます。
いつから、“橋”を(文学上のオブジェ
としてではなく、リアルな物として)
偏愛するようになったのか?
思い出せません。橋への妄執は
いつから始まったのか……。
ただ、源八橋のことだけは、胸を
抉られるような感傷とと共に、今なお
頭の中に在ります。近年になって、ようやく足を向けても平然としていられるように
なった気がします……何なんでしょうね。
(たぶん、同人Aから)「年を取れば、

違った風景が見える」みたいなことを
言われたようにも思いますが、
風景の見え方は変わるでしょう。
でも、当時の風景(=私的な原風景)
は現在も胸の奥底に在りますし……
そうやって、いつも“現在”を取り逃し、
過去と未来の区別がつかなくなるの
です。源八橋の下流側、顕彰碑の建つ
側からは、「帝国ホテル大阪」の先に「桜宮橋」、大阪城を眺められます。
上流側には「淀川橋梁」。昭和46年(1971)の拡幅によるためか、
桜之宮公園に下りて、源八橋を下から見上げると、上流側と下流側で
構造が若干異なるように見えます。西詰の橋の袂から大川右岸に下りますと、
「日羅公之碑」のすぐ北側に「源八渡し跡」と刻まれた石柱がぶっきらぼうに
建っています。上の画像は5月20日(上流側から)、下は本年4月23日の撮影分。
参考記事:大阪市 ― 源八橋(橋梁顕彰碑)
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