CALI
「保険に入る」は英語の感覚だと、“購入する”。
状況に応じて、have、get、sign up(for)も使用可。
buy insurance:保険に入る
日本における自動車保険(automobile insurance)には、強制保険
(compulsory insurance)と、任意保険(volunteer insurance)が
あって、強制保険とは「自賠責保険」(CALI)を指しています。
CALI=Compulsory Automobile Liability Insurance
option:選択権、選択の自由/optional:任意の
independent accident:単独事故
the own loss:自損
the interpersonal object:対人・対物
repair charges:修理代
fellow passenger:同乗者
injury:傷害、損傷、けが
assailant:加害者
他に、交通事故の「加害者」は offender、硬い表現だと perpetrator。
rear-end:追突する/a rear-end collision:追突事故
out-of-court settlement(settlement out of court):示談交渉
状況に応じて、have、get、sign up(for)も使用可。
buy insurance:保険に入る
日本における自動車保険(automobile insurance)には、強制保険
(compulsory insurance)と、任意保険(volunteer insurance)が
あって、強制保険とは「自賠責保険」(CALI)を指しています。
CALI=Compulsory Automobile Liability Insurance
option:選択権、選択の自由/optional:任意の
independent accident:単独事故
the own loss:自損
the interpersonal object:対人・対物
repair charges:修理代
fellow passenger:同乗者
injury:傷害、損傷、けが
assailant:加害者
他に、交通事故の「加害者」は offender、硬い表現だと perpetrator。
rear-end:追突する/a rear-end collision:追突事故
out-of-court settlement(settlement out of court):示談交渉
tag : 英語
高橋由一「豆腐」
「兵庫県立美術館」の「超・名品展」のチケット券面
だけでなく、図録にも採用されていたのが、高橋由一
(1828~1894)の名作「豆腐」(1877)でした。Ⅰ章
扉の文章で、西田桐子氏は下記のように述べます。
☆
ここでは高橋由一の《豆腐》を皮切りに、1907年に始まった文展初期あたりまでの作品をとりあげる。つまり最初の10年を除く明治期の作品、ということになる。
《豆腐》は、日本の近代美術の出発点に位置する時期の作品である。思わず指で確かめたくなる焼豆腐の焼き加減や、包丁あとがそれと見て取れるまな板の濡れ具合など見どころは十分だが、単純に近代化を西洋化だと思えば、豆腐を近代の表現とみるには違和感を覚える。はじめての静物画だともいわれるが、そもそも大豆加工品を西洋絵画における静物(例えば、宗教的存在であるパンや葡萄酒のグラス、花など)と同じとみてよいものだろうか。《豆腐》がさまざまに提起する問題については、すでに多くの評者論者が言及している。近代とは何か、あるいはそれをどう考えてやってきたのかという現在点を問い直す際には、同じ作者の《鮭》や《花魁図》と同様か、それら以上に重要な作品とみなされているといってよいだろう。
☆
同作品は金刀比羅宮の所蔵。かつて(2015年6月23日)、
「あべのハルカス美術館」にて開催されていた「昔も今も、
こんぴらさん」で、現物を観てからの再会となったのです。
近代絵画と《豆腐》……近代文学と漱石レベルで、論点は槃根錯節。
☆
豆腐を描いた絵は、後にも先にも珍しい。同様にまな板も。研究の進んでいる高橋由一だが、このことだけからもこの画家の「分らなさ」は分る。しかし、この人の当時の目的ははっきりしている。油絵具で描いた絵を見たことがない人に、身近なものを描いて「こんなに本物そっくりに描ける」と言いたかったのだ。とはいえ、これらの大豆加工品は低カロリー高タンパクだがボリュームや材質感がどうこうというものではない。だから焼豆腐の焼けた面やまな板の包丁あとが気にかかる。この時代の「リアル」のひとつの在りどころが示されている作品である。
参考文献:『開館50周年 超・名品展』(兵庫県立美術館)

だけでなく、図録にも採用されていたのが、高橋由一
(1828~1894)の名作「豆腐」(1877)でした。Ⅰ章
扉の文章で、西田桐子氏は下記のように述べます。
☆
ここでは高橋由一の《豆腐》を皮切りに、1907年に始まった文展初期あたりまでの作品をとりあげる。つまり最初の10年を除く明治期の作品、ということになる。
《豆腐》は、日本の近代美術の出発点に位置する時期の作品である。思わず指で確かめたくなる焼豆腐の焼き加減や、包丁あとがそれと見て取れるまな板の濡れ具合など見どころは十分だが、単純に近代化を西洋化だと思えば、豆腐を近代の表現とみるには違和感を覚える。はじめての静物画だともいわれるが、そもそも大豆加工品を西洋絵画における静物(例えば、宗教的存在であるパンや葡萄酒のグラス、花など)と同じとみてよいものだろうか。《豆腐》がさまざまに提起する問題については、すでに多くの評者論者が言及している。近代とは何か、あるいはそれをどう考えてやってきたのかという現在点を問い直す際には、同じ作者の《鮭》や《花魁図》と同様か、それら以上に重要な作品とみなされているといってよいだろう。
☆
同作品は金刀比羅宮の所蔵。かつて(2015年6月23日)、
「あべのハルカス美術館」にて開催されていた「昔も今も、
こんぴらさん」で、現物を観てからの再会となったのです。
近代絵画と《豆腐》……近代文学と漱石レベルで、論点は槃根錯節。
☆
豆腐を描いた絵は、後にも先にも珍しい。同様にまな板も。研究の進んでいる高橋由一だが、このことだけからもこの画家の「分らなさ」は分る。しかし、この人の当時の目的ははっきりしている。油絵具で描いた絵を見たことがない人に、身近なものを描いて「こんなに本物そっくりに描ける」と言いたかったのだ。とはいえ、これらの大豆加工品は低カロリー高タンパクだがボリュームや材質感がどうこうというものではない。だから焼豆腐の焼けた面やまな板の包丁あとが気にかかる。この時代の「リアル」のひとつの在りどころが示されている作品である。
参考文献:『開館50周年 超・名品展』(兵庫県立美術館)
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
おでん「松原」

いるから、お店の存在自体は以前から目に
入っていました。だいぶ蒸し暑くなってきて、
“夏おでん”の幟も気になったので、おでん
「松原」(大阪市北区中津1-12-11)に入店
したのです。ランチ・タイムも終わって、夕方
にはまだ間がある時間帯。夏おでんとは言え、
冷製でなく、ノーマルなおでん。しっかりと
だしの味が効いています。ぼくの定番である
じゃがいも・厚揚げ・大根や、“梅焼”(大寅)以外では、イタリアン・トマトも美味。
砕け過ぎない女将の丁寧な接待を受けながら、生ビールや酎ハイを呑みました。
居酒屋仕様ではなく、家庭料理メインの印象。単身赴任のサラリーマンらの憩いの
場といった雰囲気です。ぼくみたいに闇雲に呑み喰いしてしまう人種には、高くつき
そうですが、たまには、“普通”も良いのかな。再開の「おでんプログラム(15)」。
新淀川橋梁(阪急)
“淀川橋梁群”の多々ある中、「新淀川
橋梁」も同名の橋梁が存在しています
が、画像は、Osaka Metro・御堂筋線
の鉄道橋ではなく、阪急・神戸本線/
宝塚本線の方の鉄道橋ですよ。Osaka
Metroの新淀川橋梁は「新淀川大橋」
と一体化していますが、阪急の新淀川
橋梁は単独で、十三大橋から上流側に
眺められます。実は、神戸線/宝塚線
だけでなく、京都線も走っているのですが、
梅田~十三間の阪急・中津駅に京都線の電車は停まらず、
駅名すら省かれていることは、大阪人でも知らない人がいるくらい。
元を辿れば、阪急・京都線は京阪電鉄(新京阪)だったという事実。
参考記事:阪急・中津駅の不思議

橋梁」も同名の橋梁が存在しています
が、画像は、Osaka Metro・御堂筋線
の鉄道橋ではなく、阪急・神戸本線/
宝塚本線の方の鉄道橋ですよ。Osaka
Metroの新淀川橋梁は「新淀川大橋」
と一体化していますが、阪急の新淀川
橋梁は単独で、十三大橋から上流側に
眺められます。実は、神戸線/宝塚線
だけでなく、京都線も走っているのですが、
梅田~十三間の阪急・中津駅に京都線の電車は停まらず、
駅名すら省かれていることは、大阪人でも知らない人がいるくらい。
元を辿れば、阪急・京都線は京阪電鉄(新京阪)だったという事実。
参考記事:阪急・中津駅の不思議
十三小橋
聖域メモ
“Sanctuary”と言っても、殿下の「Soul Sanctuary」ではなく―
―中上健次と同じ意味合いで、フォークナーはお気に入りの作家
なのですけれど――、『サンクチュアリ』を読み返し、今頃になって
思い出すことがありました。不能なギャング、ポパイによる陵辱
という状況設定は、英国の作家、ハドリー・チェイスの処女作
『ミス・ブランディッシの蘭』(1939)のプロトタイプだったか、と。
『サンクチュアリ』の刊行が1931年。さらに、玉蜀黍(とうもろこし)
というアイテムは、森村誠一の『野性の証明』(1977)において
茄子という変奏に至ったのか、と。映画版(1978)では、一切合財
黙殺されていましたけどねえ。いずれにせよ、ぼくはフォークナーに
触れるより、ミステリーを先に濫読していた嫌味な子供に違いなく。
―中上健次と同じ意味合いで、フォークナーはお気に入りの作家
なのですけれど――、『サンクチュアリ』を読み返し、今頃になって
思い出すことがありました。不能なギャング、ポパイによる陵辱
という状況設定は、英国の作家、ハドリー・チェイスの処女作
『ミス・ブランディッシの蘭』(1939)のプロトタイプだったか、と。
『サンクチュアリ』の刊行が1931年。さらに、玉蜀黍(とうもろこし)
というアイテムは、森村誠一の『野性の証明』(1977)において
茄子という変奏に至ったのか、と。映画版(1978)では、一切合財
黙殺されていましたけどねえ。いずれにせよ、ぼくはフォークナーに
触れるより、ミステリーを先に濫読していた嫌味な子供に違いなく。
tag : 小説
Beyond Mei-Hin

「兵庫県立美術館」へ向かいました。ミュージアム
ロードを南下。開館50周年「超・名品展」を鑑賞する
のです。本来は4月11日からの会期でしたが、6月
2日から7日までの1週間足らずと狭められていました。
マスク着用の確認と検温、兵庫県電子申請共同運営
システムから配信された予約票の提示も必要とされ、
入場時間15時から15時50分までの制限有り(タイム・
オーバーは看過してくれたようです)。不便ではある
けれども、見応えはありました。前身となる“兵庫県立
近代美術館”の開館記念「近代100年名作展」
(1970)、開館5周年記念「近代100年名画展」
(1975)、新開館記念「絵画から工芸まで 近代
100年の名作」(1982)、開館20周年記念「近代
日本の秀作展―時代を貫く美―」等の流れを汲んだ
記念展として、1870~1970年の間の名作約100点が展示されていました。
こうなると、“名作”の時代からも既に半世紀を隔てている訳ですから、必然的に
“名作”の定義そのもの、或いは“美”自体が問い直されるといった事態に陥る
ことになり、1970年代が迫ってくるにつれ、何とももやもやとした気分を抱かされ
ます。従来の基本的な名作を押さえていくには非常に助かりますが、その一方、
自分の眼で見直した上で、美術史自体の読み直しが必須となるでしょう。劈頭に
高橋由一「豆腐」、ラストに岡本太郎「太陽の塔」(1/50マケット)が控える構成は、
ぼく的に十全な納得感。図録も1,000円とお買い得。今回、胸を打った作品を羅列
してみると――林倭衛「出獄の日のO氏」、高村光太郎「裸婦坐像」、萬鐵五郎
「ねて居る人」、秦テルヲ「淵に佇めば」、古賀春江「鳥籠」、北脇昇「独活」、
舟越保武「ダミアン神父」……我ながら、文学趣味だなあ、と面映くなります。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
十三大橋
3点の画像はいずれも5月7日撮影分。
淀川右岸から撮った上画像では、
右手に「NTT十三専用橋」、左手に
「十三大橋」が写っています。正面が
梅田方面。昔、十三住まいで自転車
通勤していた時代は、夜の帰宅途中、
橋の南詰の辺りで頻繁に、警察の
検問を受けたものです。複数台あった
ぼくの自転車の方こそ、盗難に遭い、
1台も残っていませんけれど……
或いは、阪神・淡路大震災(1995年
1月17日)の朝、交通機能が麻痺
する中、勤務先の鶴橋に向かわん
として、ひびの入った十三大橋を
歩いて渡ったこともありましたねえ。
☆
昭和7年(1932)に完成した同橋は
橋長681.24m、幅員20mで、支間
64mの鋼タイドアーチ5連やゲルバー
式鋼桁橋が採用されています。
設計は増田淳(1883~1947)。
個人的に、日中歩いて渡る分には、
のんびりとした「新淀川大橋」の方が
好ましくて、夜は嗚呼、ムーディーな
十三大橋を推奨しますよ。親柱の
欄干に使われた“歯車”のモチーフ
(下画像)も良い味ではありませんか。
参考記事:大阪市 ― 十三大橋
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淀川右岸から撮った上画像では、
右手に「NTT十三専用橋」、左手に
「十三大橋」が写っています。正面が
梅田方面。昔、十三住まいで自転車
通勤していた時代は、夜の帰宅途中、
橋の南詰の辺りで頻繁に、警察の
検問を受けたものです。複数台あった
ぼくの自転車の方こそ、盗難に遭い、
1台も残っていませんけれど……
或いは、阪神・淡路大震災(1995年
1月17日)の朝、交通機能が麻痺
する中、勤務先の鶴橋に向かわん
として、ひびの入った十三大橋を
歩いて渡ったこともありましたねえ。
☆
昭和7年(1932)に完成した同橋は
橋長681.24m、幅員20mで、支間
64mの鋼タイドアーチ5連やゲルバー
式鋼桁橋が採用されています。
設計は増田淳(1883~1947)。
個人的に、日中歩いて渡る分には、
のんびりとした「新淀川大橋」の方が
好ましくて、夜は嗚呼、ムーディーな
十三大橋を推奨しますよ。親柱の
欄干に使われた“歯車”のモチーフ
(下画像)も良い味ではありませんか。
参考記事:大阪市 ― 十三大橋
tag : 橋
ふすだしう
地下室といっても、ただ周囲の壁をま新しい明るい漆喰で塗っただけの、小さな穴倉のような部屋で、テーブルは四つしかなく、そのうちの一つが客でふさがっていたが、彼らの食事もすでに終わりに近づいていた。壁には壁画のように、イタリア名産物案内の地図が描かれていた。バニラやイチゴやふすだしうのような、淡い色調の絵であった。
☆
澁澤龍彦・訳 『O嬢の物語』から引用。「ふすだしう」には
傍点が振られていましたが、一読、何を指しているのか、
全く見当がつきません。調べてみると、『旧約聖書』
(創世記)第43章に、用例を見つけることが出来ました。
☆
父イスラエルは彼らに言った、「それではこうしなさい。この国の名産を器に入れ、携え下ってその人に贈り物にしなさい。すなわち少しの乳香、少しの蜜、香料、もつやく、ふすだしう、あめんどう。
そしてその上に、倍額の銀を手に持って行きなさい。また袋の口に返してあった銀は持って行って返しなさい。たぶんそれは誤りであったのでしょう。
弟も連れ、立って、またその人の所へ行きなさい。
どうか全能の神がその人の前であなたがたをあわれみ、もうひとりの兄弟とベニヤミンとを、返させてくださるように。もしわたしが子を失わなければならないのなら、失ってもよい」。
☆
「ふすだしう」とは、ピスタチオ。ちなみに、「あめんどう」は
アーモンドを指します。『O嬢の物語』が凡百のポルノグラフィー
とは一線を画し、秘教的な聖女伝に類する内容であったことを
訳語のセレクトによって示す 澁澤の技量と言うべきでしょう。
参考文献:ポーリーヌ・レアージュ『O嬢の物語』(河出文庫)
☆
澁澤龍彦・訳 『O嬢の物語』から引用。「ふすだしう」には
傍点が振られていましたが、一読、何を指しているのか、
全く見当がつきません。調べてみると、『旧約聖書』
(創世記)第43章に、用例を見つけることが出来ました。
☆
父イスラエルは彼らに言った、「それではこうしなさい。この国の名産を器に入れ、携え下ってその人に贈り物にしなさい。すなわち少しの乳香、少しの蜜、香料、もつやく、ふすだしう、あめんどう。
そしてその上に、倍額の銀を手に持って行きなさい。また袋の口に返してあった銀は持って行って返しなさい。たぶんそれは誤りであったのでしょう。
弟も連れ、立って、またその人の所へ行きなさい。
どうか全能の神がその人の前であなたがたをあわれみ、もうひとりの兄弟とベニヤミンとを、返させてくださるように。もしわたしが子を失わなければならないのなら、失ってもよい」。
☆
「ふすだしう」とは、ピスタチオ。ちなみに、「あめんどう」は
アーモンドを指します。『O嬢の物語』が凡百のポルノグラフィー
とは一線を画し、秘教的な聖女伝に類する内容であったことを
訳語のセレクトによって示す 澁澤の技量と言うべきでしょう。
参考文献:ポーリーヌ・レアージュ『O嬢の物語』(河出文庫)
tag : 小説
翁豆腐にて

空に浮かぶ雲は見つけることが難しく、お昼ご飯は
「大淀 信州そば」に入って、田舎蕎麦などを頂き
ました。夏休み気分に襲われたまま、“氷”の幟や
「カキ氷あります」の立て看板に惹かれ、「翁豆腐」
(大阪市北区豊崎5-1-2)に立ち寄ると、かき氷
(200円)を食したのです。同店は、「トーヨー新報」
時代、Oさんが取材に来ていたこと、その豆腐が
「SO-KEN」でも使われていたことを想起しました。
店先でかき氷を頂く姿に釣られてか、親子連れも
続いて入ってきたので、早々に席を譲りました。
通りの向かい側には行列店がいくつかありまして、
「タコ公園」も近いので、テイク・アウトも問題無し。
ぼくとしては、携帯スプーン(&フォーク)を近々持参
して、お店で豆腐を賞味することも企んでいます。