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天神橋駅

阪急・京都線と言うか、「新京阪」について
触れた文章を見つけたので、忘れる前にメモ。
(一部、明らかな誤植は訂正済み。「つく」⇒「つくり」
 他の変な係り結び、「しかし」「しかも」の多用は原文ママ)

       ☆
 しかし、1943年に陸上交通事業調整法によって京阪は阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)と強制的に合併させられてしまった。路線総延長も会社の資産規模も、京阪のほうが大きかったのだが、他線との競合などで設備整備に大金を投じていたことが裏目に出て、経営状態は阪急のほうがよかった。そのため、阪急を母体とする事実上の吸収合併となり、京阪神急行電鉄が誕生した。
 第二次世界大戦後の1949年、京阪神急行電鉄から独立するかたちで京阪は復活。強制的に統合される以前のかたちに戻された。
 しかし、経営分離にあたって、ひと悶着が起きる。
 統合前、京阪は子会社の新京阪鉄道を設立して京阪京都(現・大宮)駅-天神橋駅(現・天神橋筋六丁目、大阪市北区)駅間に特急を走らせていた。この区間は京阪にとっても誇り高い自慢の路線だった。新京阪鉄道を走る特急が並走する東海道本線の超特急「燕」を追い抜いたという逸話も残っているほどだ。
 京阪にとってこの区間は大事な路線である。しかも、この路線の大阪側の起点である天神橋駅は京阪が総力を結集して駅ビルを建設していた。その駅ビルは地上7階建てでビル内にホームがつくられており、当時としてはモダンなつくりになっていた。しかも、新京阪はこの駅ビル内に本社を置いていた。いかに京阪グループが新京阪線に大きな期待を込めていたことがわかるだろう。
 しかし、京阪の思いはかなわず、戦後に阪急と分離する際、政府は新京阪の路線が京阪の路線と接続していないことを理由に、阪急の路線に組み入れてしまった。


参考文献:小川裕夫『鉄道「裏歴史」読本』(イースト・プレス)
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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