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蒟蒻煉瓦

初心者が作りがちな四角いだけの建築物を指して、
豆腐建築”と揶揄することがあり、一頃は、某国で
設計施行された すぐに倒壊する粗雑な建物も、同じく
“豆腐建築”と呼ばれていたような朧げな記憶がある
のですけれども……似て非なる用語に“蒟蒻煉瓦
なる物があります。見た目がこんにゃくに似ていた
ことから命名されたようです。引用してみましょう。
       ☆
 日本人が洋風建築をイメージする時、まず浮かんでくる材料は赤煉瓦にちがいない。
 でも、洋風の建物を作るために長崎で生まれた日本初の煉瓦は、赤くなかった。黒かった。黒いだけではなく扁平だったから“蒟蒻煉瓦”と呼ばれた。硬さが身上の煉瓦にとって不名誉極まりないが。
 幕末の長崎で焼かれた日本初の煉瓦が蒟蒻に似た理由は、手本にある。長崎の洋風建築は、先行して開港していた香港、上海の外国人居留地の技術を導入するが、かの地では赤煉瓦ではなく中国の昔からの扁平な
(せん)と呼ばれる黒い煉瓦がもっぱら使われていた。
 中国は日本と違い、木材資源が早くから枯渇し、木に代わって磚が使われ、城壁に積み、木の柱の間の壁に積み、万里の長城に積んできた。
 香港、上海が開港して洋風建築が必要になった時、初期にはもっぱら伝統の磚で済ませている。
(中略)欧米で黒い煉瓦が使われることはないが、一旗揚げにアジアの果てまでやってきた荒くれ者の欧米人にとって、煉瓦が赤いか黒いかなんてどうでもよかったにちがいない。
 実際、赤でも黒でも性能は全く変わらない。窯で焼く時、最後に焚口を開けたままにしておけば粘土の中の鉄分が酸化(酸化第二鉄)して赤くなるし、最後に閉めて蒸し焼きにすれば鉄分が黒く酸化(酸化第一鉄)する。
 長崎が開港し、外国船が香港、上海からバラストとして積んできた中国の磚を見た日本人は、こんなものすぐ焼けると思った。なぜなら形も色も硬さも、日本の瓦を平たく小型にすればいいからだ。日本最初の煉瓦は、昔ながらの瓦屋が昔ながらの達磨窯
(だるまがま)を使って焼くことになる。
 達磨窯は、陶磁器用の窯よりずっと簡便な素焼き用の窯で、ズングリムックリした姿が達磨に似ていることからそう呼ばれ、江戸時代の瓦は全国どこでも達磨窯で焼かれていた。

参考文献:藤森照信+大和ハウス工業総合技術研究所『近代建築そもそも講義』(新潮新書)
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 建築こんにゃく豆腐

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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