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ウォートルス物語(2)

承前――Thomas James Waters(1842~1898)について、
引き続き、引用しましょう(同訓異字は原文ママ)。文中に
「われわれ」とあるのは、おそらく、著者の藤森研究室。
流れ、漂い着いた果ては……ハッピー・エンドでしょ。
       ☆
 まず正式名は、トーマス・ジェームス・ウォータースといい、ウォートルスは幕末のオランダ語読み。生まれは、1842(天保13)年、アイルランド内陸の町バー。小さな落ち着いた町で、街の骨格を成す領主屋敷と教会を結ぶ大通りは、ウォートルスの父が通している。
 銀座煉瓦街の並木は、当初、歩道ではなく車道側に植えられ、謎となっているが、バーの大通りもそうなっており、あるいは父のやり方を銀座で再現したのかもしれない。
 三人兄弟の長男で、弟を、アルバートアーネストといい、弟二人は、ドイツのフライブルク鉱山大学に学んでいる。世界屈指の鉱山大学として昔も今も有名で、兄トーマスが学んだかどうか明らかに出来ないが、少なくとも弟二人からフライブルクの最新技術を教えられたのは間違いない。なぜなら、三人は生涯を鉱山技師として一緒に過ごしているからだ。ウォートルス三兄弟
 幕末、明治初期、兄に続いて弟二人も来日し、長崎の高島炭鉱を開き、さらに群馬県に中小坂
(なかおさか)鉱山を開き、一応の成功を収めている。中小坂には今も坑道や資料が残されているが、鉱山を開いたウォートルスと銀座を作ったウォートルスが兄弟だったと分かるのは、われわれのウォートルス研究が進んでからのこと。
 兄弟で、日本の夜明けの時代に、建築史と鉱山史に大きな足跡を残した。
 日本を去った三兄弟は、上海に渡り、兄は上海の道路建設や電気の敷設に活躍し、弟は鉱山開発に従い、上海の欧米人社会では名が通っていた。
 しかしまた去る。今度はバラバラで、兄はニュージーランドへ、弟二人はアメリカのコロラドへ、共に目的は本来の鉱山開発。
 兄はそこそこの成功を納め、何でも屋技術者としてトロッコの連結器の特許を取ったりもしている。弟は、とりわけ優秀な鉱山技術者であった末弟のアーネストは、大活躍し、それを見た兄もやがてコロラドへと合流する。
 コロラドの鉱山とは銀山で、カリフォルニアのゴールドラッシュが終わってすぐコロラドでシルバーラッシュが起こり、この二つのラッシュで西部開拓が完了したとして、アメリカ史には知られる。
 
(中略)シルバーラッシュは三兄弟が先導し、推進したものだった。
 その物証としては、コロラドの駅前に聳
(そび)える赤煉瓦の一大オフィスビルこそ“ウォートルス兄弟社”のオフィスとして建てられているし、銀鉱山のあったロッキー山脈の山中の町には今も駅舎と鉄道が残り、観光客で賑わっている。
 アイルランド、イギリス、ドイツ、香港、日本、ニュージーランド、アメリカ、と地球を四分の三周して、寒く貧しい国に生まれた渡り鳥技術者は、最後にアメリカという安住の地を得た。
 コロラドの市営墓地を訪れると、入口近くのいい位置に、アイルランド固有のスタンディングクロス(地上に立つ石製の十字架)の形をした大きな墓石が立ち、日本に赤煉瓦を広く根付かせた三兄弟は眠る。


参考文献:藤森照信+大和ハウス工業総合技術研究所『近代建築そもそも講義』(新潮新書)
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 近代建築

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