奈良県里程元標
巨樹で思い出すのが、奈良市の三条通り沿いに立って
いたムクノキ(画像は11月24日撮影分)。幹周6.5m、
樹高25m、樹齢推定1000年。明治6年(1873)、明治
政府の実施した道路里程調査に基づき、明治21年
(1888)7月に設置された「奈良県里程元標」(実物には
「県」の旧字「縣」が使用されています)や、復元された
高札場の後方に根元が隠れていますけれども……。
大阪市(大坂)で言えば、「高麗橋」に里程元標は建って
いましたね。「大阪市道路元標」のことも思い起こす訳
ですが、奈良県里程元標と併せて、「奈良市道路元標」
(大正9年設置)も移設されたらしいと知れば、数十m で
あれ、本来は道路の起終点を示す物であった標識を
動かされたことに対して、若干の不安を拭い去れず。
「奈良市から(まで)~km」という表記がある物を全て
書き換えるなんて、到底、無理な話ですもの。誤差の
範囲内とはいえ、もやもやとします。現行の道路法では、
奈良市役所の前を基準としているのでしょうか?
奈良市の建設部土木建築課に問い合わせてみよう。
参考記事:道路の標識の「○○まで何キロ」はどこが基準なのか

いたムクノキ(画像は11月24日撮影分)。幹周6.5m、
樹高25m、樹齢推定1000年。明治6年(1873)、明治
政府の実施した道路里程調査に基づき、明治21年
(1888)7月に設置された「奈良県里程元標」(実物には
「県」の旧字「縣」が使用されています)や、復元された
高札場の後方に根元が隠れていますけれども……。
大阪市(大坂)で言えば、「高麗橋」に里程元標は建って
いましたね。「大阪市道路元標」のことも思い起こす訳
ですが、奈良県里程元標と併せて、「奈良市道路元標」
(大正9年設置)も移設されたらしいと知れば、数十m で
あれ、本来は道路の起終点を示す物であった標識を
動かされたことに対して、若干の不安を拭い去れず。
「奈良市から(まで)~km」という表記がある物を全て
書き換えるなんて、到底、無理な話ですもの。誤差の
範囲内とはいえ、もやもやとします。現行の道路法では、
奈良市役所の前を基準としているのでしょうか?
奈良市の建設部土木建築課に問い合わせてみよう。
参考記事:道路の標識の「○○まで何キロ」はどこが基準なのか
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