今日から白太夫

「初春文楽公演」第1部を鑑賞します。これにて
全3部公演をコンプリート。第1部の開演15分前から
上演される「幕開き三番叟」も全て見届けることが
出来ました。演目は「菅原伝授手習鑑」車曳の段/
茶筅酒の段/喧嘩の段/訴訟の段/桜丸切腹の段
――茶筅酒の段から桜丸切腹の段までは、ぼくが
文楽劇場で初めて鑑賞した演目なので、感慨深いの。
車曳の段があることで、四郎九郎の苦衷がいよいよ
偲ばれます。吉田玉志の松王丸が良いです。左大臣
時平の人形は吉田玉輝。車曳の段の後、15分休憩。
☆
「(前略)この四郎九郎(しろくろう)、丁七十。この春年頭のお礼にのぼつた時おらが年をお尋ね、七十と申したりや、古来稀な長生き、その上珍しい三つ子の父親。禁裏からご扶持下され、倅(せがれ)どもは御所の舎人(とねり)、めでたいめでたい。生まれ月生まれ日生まれ出た刻限違へず、七十の賀を祝へ、その日から名も改めとて、ナウ聞かしやれ、伊勢の御師(おし)か何ぞのやうに、白太夫(しらたゆう)とお付けなされた。即ち今日が誕生日、白黒まんだらかいは、掃き溜めへ放つてのけ。今日から白太夫といふほどに、さう心得て下され」
☆
右大臣・菅丞相(かんしょうじょう)=菅原道真の下屋敷を預かる
百姓、四郎九郎は70歳の誕生日を機に、「白太夫」と改名するよう
菅丞相から祝されていました。めでたい日に降りかかる災難を
避ける術も無く、桜丸は散り、白太夫は故郷を去り、流罪先に
向かう次第ですけれども、親・白太夫を遣うのは吉田玉男、
桜丸切腹の段で桜丸を遣うのは、彼の師匠の吉田簑助。
2人がいるだけで、舞台の空気が全く異なって感じられます。
最小限の動きで桜丸の最期を表現する簑助自身が人形のよう。
舞台を去る時も介添えが必要に見え、ぞくぞくとさせられました。
生きているのは桜丸で、桜丸を離れた簑助が人形ではないか。
参考文献:『文楽床本集 国立文楽劇場 令和3年1月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
スポンサーサイト