島津氏発祥の地
「住吉大社」の“一寸法師発祥の地”の説明で、一体に
何故、住吉大明神に子宝祈願を?という疑問が湧いて
しまうのですが、その背景には、第四本宮の祭神、
神功皇后が住吉大神の加護を得て、応神天皇を出産
したことに加えて、「誕生石」の信仰があったようです。
誕生月の宝石のことではありませんよ。以下に引用。
☆
丹後局(たんごのつぼね)は源頼朝の寵愛を受けて懐妊
したが、北条政子により捕(とら)えられ 殺害される
ところを 家臣の本田次郎親経(ちかつね)によって難を
逃れ、摂津住吉に至った。このあたりで日が暮れ、
雷雨に遭い前後不覚になったが、不思議なことに
数多(あまた)の狐火が灯り、局らを住吉の松原に
導いてゆき、社頭に至った時には局が産気づいた。
本田次郎が住吉明神に祈るなか 局は傍(かたわら)の
大石を抱いて男児を出産した。これを知った住吉の
神人(しんじん)田中光宗は産湯を出して湯薬(うぶゆ)を
すすめて介抱し 保護したという。是(これ)を知った
源頼朝は本田次郎を賞し、若君に成長した男児は
後に薩摩・大隅二ヵ国を与えられた。これが島津氏の
初代・島津三郎忠久(ただひさ)公である。この故事により、
住吉社頭の力石は島津氏発祥の地とされ、「誕生石」の
聖地に垣をめぐらせ、此(ここ)の小石を安産の御守(おまもり)
とする信仰が続いている。
☆
説話としては面白いのですが、目の当たりにした誕生石は、
ごろごろと転がる唯の石でしかなく、有り難味が感じられず、
垣の中の古木(おそらく、松)も「楠珺社」の巨木に接した後では
迫力不足。ニーチェ好き云々と関係なく、ぼくは根っから不謹慎。

何故、住吉大明神に子宝祈願を?という疑問が湧いて
しまうのですが、その背景には、第四本宮の祭神、
神功皇后が住吉大神の加護を得て、応神天皇を出産
したことに加えて、「誕生石」の信仰があったようです。
誕生月の宝石のことではありませんよ。以下に引用。
☆
丹後局(たんごのつぼね)は源頼朝の寵愛を受けて懐妊
したが、北条政子により捕(とら)えられ 殺害される
ところを 家臣の本田次郎親経(ちかつね)によって難を
逃れ、摂津住吉に至った。このあたりで日が暮れ、
雷雨に遭い前後不覚になったが、不思議なことに
数多(あまた)の狐火が灯り、局らを住吉の松原に
導いてゆき、社頭に至った時には局が産気づいた。
本田次郎が住吉明神に祈るなか 局は傍(かたわら)の
大石を抱いて男児を出産した。これを知った住吉の
神人(しんじん)田中光宗は産湯を出して湯薬(うぶゆ)を
すすめて介抱し 保護したという。是(これ)を知った
源頼朝は本田次郎を賞し、若君に成長した男児は
後に薩摩・大隅二ヵ国を与えられた。これが島津氏の
初代・島津三郎忠久(ただひさ)公である。この故事により、
住吉社頭の力石は島津氏発祥の地とされ、「誕生石」の
聖地に垣をめぐらせ、此(ここ)の小石を安産の御守(おまもり)
とする信仰が続いている。
☆
説話としては面白いのですが、目の当たりにした誕生石は、
ごろごろと転がる唯の石でしかなく、有り難味が感じられず、
垣の中の古木(おそらく、松)も「楠珺社」の巨木に接した後では
迫力不足。ニーチェ好き云々と関係なく、ぼくは根っから不謹慎。
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