マチカネくん
4月21日(水)、阪急・宝塚線で豊中(大阪府豊中市)を
目指しました。ぼくが学生時代を過ごした街です。
何らかの、どこかの“市民”であること(=近代社会)を
初めて意識させられた街とも言えます。目的は、例の
マンホールカードの入手。豊中市上下水道局庁舎
(大阪府豊中市北桜塚4丁目11−18)に向かう途中、
学生時代にアルバイトをした豊中郵便局を懐かしく
眺めたりなどもして……カードのマンホール蓋には、
「マチカネくん」(=マチカネワニ)と市の花“バラ”が
デザインされています。右の画像は、水道局庁舎の前に
据えられていた「水道発祥の地」の石碑。仰々しくは
ありますが、ローカルな由来――大正12年(1923)4月、
豊中村議会において上水道敷設の議が起こり、深井戸を
試鑿。昭和2年(1927)年5月、創設事業に着手、昭和3年
(1928)6月に通水を開始した 第1水源地跡の記念碑です。

目指しました。ぼくが学生時代を過ごした街です。
何らかの、どこかの“市民”であること(=近代社会)を
初めて意識させられた街とも言えます。目的は、例の
マンホールカードの入手。豊中市上下水道局庁舎
(大阪府豊中市北桜塚4丁目11−18)に向かう途中、
学生時代にアルバイトをした豊中郵便局を懐かしく
眺めたりなどもして……カードのマンホール蓋には、
「マチカネくん」(=マチカネワニ)と市の花“バラ”が
デザインされています。右の画像は、水道局庁舎の前に
据えられていた「水道発祥の地」の石碑。仰々しくは
ありますが、ローカルな由来――大正12年(1923)4月、
豊中村議会において上水道敷設の議が起こり、深井戸を
試鑿。昭和2年(1927)年5月、創設事業に着手、昭和3年
(1928)6月に通水を開始した 第1水源地跡の記念碑です。
匣の中の師匠
「三菱UFJ銀行」天六支店のATMを利用時、前回(4月15日)、
キャッシュ・カードを置き忘れていたことに気付きました。既に
支店から本店に送付されているそうで、郵送での返却手続きを
行わざるを得ません。先に電話か、メールで知らせてくれれば
よいものを……燻った気分を抱え、Osaka Metro・天神橋筋
六丁目駅へ下りますと、堺筋線で日本橋へ向かうのでした。
☆
「マイティ・ルゥ」のチキン・カレーを食した後、14時から
「国立文楽劇場」にて、「四月文楽公演」第2部の再鑑賞。
「国性爺(こくせんや)合戦」ですが、ほぼほぼ、楼門の段が
目当てです。先日、本公演での引退を発表した吉田簑助
師匠を目に焼き付けるため。楼門の上で錦祥女を遣っている
のですが、楼台の中だと、端の席(例えば、中央座席3列1番)
からは、ほとんど見えなくなってしまうのです。今回は6列11番。
師匠の姿をしっかり視野に収めることが出来ました。人形役割に
ついては、13日までの和藤内が吉田玉志でしたけれど、15日
以降は吉田玉助。他の細かい舞台上の操作なども、しっかり
チェックできまして、感興も新たに愉しめました。飽きませんねえ。
☆
三代吉田簑助の挨拶の言葉を書き写します。
「一九四〇年 三代吉田文五郎師に入門し
人形遣いの道を歩みはじめて今年でまる
八一年 その間脳出血で倒れ 復帰してから
二二年 体調が思うにまかせないことも
ありましたが 曽根崎のお初も八重垣姫も
静御前も再び遣うことが出来 人形遣い
として持てる力の全てを出し尽くしました」
そうです。なお、緊急事態宣言が発令されて、
25日の公演が中止。「四月文楽公演」の千秋楽は1日早まって、24日(土)でした。
☆
この日は、アンケートに回答することで、粗品(上画像のポーチ)を頂き、
梅田に移動。出来たて豆腐と和食「珍竹林」に入り、各種豆腐料理を
堪能しました。緊急事態宣言発令前でしたが、早々とラスト・オーダー。
後からの入店客は、アルコール類が供されないとあって、即座に撤収
していました……まともな施策が行われないと、飲食店も客も不幸です。
さて、ぼくが生で鑑賞した吉田簑助の舞台・人形役割は、下記のとおり。
こういう時、公演プログラムが自分の記憶違いを正してくれ、助かります。
切腹する桜丸、責められる中将姫、由良助と戯れるおかるが好きだなあ。
☆
「菅原伝授手習鑑」桜丸切腹の段(2017年4月21日) ― 桜丸
「夏祭浪花鑑」釣船三婦内の段(2017年8月8日) ― 徳兵衛女房・お辰
「心中宵庚申」上田村の段(2017年11月21日) ― 姉おかる
「新版歌祭文」野崎村の段(2018年8月7日) ― 油屋お勝
「鶊山(ひばりやま)姫捨松」中将姫雪責の段(2018年11月9日) ― 中将姫
「伽羅(めいぼく)先代萩」政岡忠義の段(2019年1月18日) ― 栄御前
「仮名手本忠臣蔵」花籠の段(2019年4月12日) ― 顔世御前
「仮名手本忠臣蔵」祇園一力茶屋の段(2019年7月30日) ― 遊女おかる
「心中天網島」北新地河庄の段(2019年11月8日) ― 紀の国屋小春
「曲輪(くるわ)文章※」吉田屋の段(2020年1月18日) ― 女房おきさ
※「文」+「章」で1字。
「新版歌祭文」野崎村の段(2020年11月18日) ― 油屋お勝
「菅原伝授手習鑑」桜丸切腹の段(2021年1月16日) ― 桜丸
「国性爺合戦」楼門の段(2021年4月6日) ― 錦祥女
「国性爺合戦」楼門の段(2021年4月20日) ― 錦祥女
キャッシュ・カードを置き忘れていたことに気付きました。既に
支店から本店に送付されているそうで、郵送での返却手続きを
行わざるを得ません。先に電話か、メールで知らせてくれれば
よいものを……燻った気分を抱え、Osaka Metro・天神橋筋
六丁目駅へ下りますと、堺筋線で日本橋へ向かうのでした。
☆
「マイティ・ルゥ」のチキン・カレーを食した後、14時から
「国立文楽劇場」にて、「四月文楽公演」第2部の再鑑賞。
「国性爺(こくせんや)合戦」ですが、ほぼほぼ、楼門の段が
目当てです。先日、本公演での引退を発表した吉田簑助
師匠を目に焼き付けるため。楼門の上で錦祥女を遣っている
のですが、楼台の中だと、端の席(例えば、中央座席3列1番)
からは、ほとんど見えなくなってしまうのです。今回は6列11番。
師匠の姿をしっかり視野に収めることが出来ました。人形役割に
ついては、13日までの和藤内が吉田玉志でしたけれど、15日
以降は吉田玉助。他の細かい舞台上の操作なども、しっかり
チェックできまして、感興も新たに愉しめました。飽きませんねえ。
☆

「一九四〇年 三代吉田文五郎師に入門し
人形遣いの道を歩みはじめて今年でまる
八一年 その間脳出血で倒れ 復帰してから
二二年 体調が思うにまかせないことも
ありましたが 曽根崎のお初も八重垣姫も
静御前も再び遣うことが出来 人形遣い
として持てる力の全てを出し尽くしました」
そうです。なお、緊急事態宣言が発令されて、
25日の公演が中止。「四月文楽公演」の千秋楽は1日早まって、24日(土)でした。
☆
この日は、アンケートに回答することで、粗品(上画像のポーチ)を頂き、
梅田に移動。出来たて豆腐と和食「珍竹林」に入り、各種豆腐料理を
堪能しました。緊急事態宣言発令前でしたが、早々とラスト・オーダー。
後からの入店客は、アルコール類が供されないとあって、即座に撤収
していました……まともな施策が行われないと、飲食店も客も不幸です。
さて、ぼくが生で鑑賞した吉田簑助の舞台・人形役割は、下記のとおり。
こういう時、公演プログラムが自分の記憶違いを正してくれ、助かります。
切腹する桜丸、責められる中将姫、由良助と戯れるおかるが好きだなあ。
☆
「菅原伝授手習鑑」桜丸切腹の段(2017年4月21日) ― 桜丸
「夏祭浪花鑑」釣船三婦内の段(2017年8月8日) ― 徳兵衛女房・お辰
「心中宵庚申」上田村の段(2017年11月21日) ― 姉おかる
「新版歌祭文」野崎村の段(2018年8月7日) ― 油屋お勝
「鶊山(ひばりやま)姫捨松」中将姫雪責の段(2018年11月9日) ― 中将姫
「伽羅(めいぼく)先代萩」政岡忠義の段(2019年1月18日) ― 栄御前
「仮名手本忠臣蔵」花籠の段(2019年4月12日) ― 顔世御前
「仮名手本忠臣蔵」祇園一力茶屋の段(2019年7月30日) ― 遊女おかる
「心中天網島」北新地河庄の段(2019年11月8日) ― 紀の国屋小春
「曲輪(くるわ)文章※」吉田屋の段(2020年1月18日) ― 女房おきさ
※「文」+「章」で1字。
「新版歌祭文」野崎村の段(2020年11月18日) ― 油屋お勝
「菅原伝授手習鑑」桜丸切腹の段(2021年1月16日) ― 桜丸
「国性爺合戦」楼門の段(2021年4月6日) ― 錦祥女
「国性爺合戦」楼門の段(2021年4月20日) ― 錦祥女
山科疏水の橋(4)
「洛東橋」の東詰から左岸の遊歩道を歩きます。
「安祥寺」への参道(非公開なので、そう呼ぶ
のも妙な話なんですけれども)に架かっている
「安祥寺橋」が右上画像です。疏水周辺に
存在する寺院としては最古で、嘉祥元年(848)、
仁明天皇の女御にして文徳天皇の母、藤原
順子(のぶこ)の発願により、入唐僧・恵運が創建
したそうです。美仏も蔵しているようなのですが、
通常は非公開とあれば、橋を眺めるに留めて。
☆
しばらくは、橋も現れないことを確認。山科疏水
(第1疏水)がぐるりと大きく流れを変える――
南へ下がった後に北西へ上がっていきます―
―前に位置するのが、安祥寺舟溜りでして、
水路幅が広がっており、往年は舟頭の休息用、
時間調整、土砂沈降などの目的に使用された
とか。道路の中央線ではないですが、水路の
中央にコンクリートの仕切りのような物が見え
ました。ベンチに座り、おにぎりでも食べましょ。
参考文献:『琵琶湖疏水の歴史散策』(近代京都の礎を観る会)

「安祥寺」への参道(非公開なので、そう呼ぶ
のも妙な話なんですけれども)に架かっている
「安祥寺橋」が右上画像です。疏水周辺に
存在する寺院としては最古で、嘉祥元年(848)、
仁明天皇の女御にして文徳天皇の母、藤原
順子(のぶこ)の発願により、入唐僧・恵運が創建
したそうです。美仏も蔵しているようなのですが、
通常は非公開とあれば、橋を眺めるに留めて。
☆

(第1疏水)がぐるりと大きく流れを変える――
南へ下がった後に北西へ上がっていきます―
―前に位置するのが、安祥寺舟溜りでして、
水路幅が広がっており、往年は舟頭の休息用、
時間調整、土砂沈降などの目的に使用された
とか。道路の中央線ではないですが、水路の
中央にコンクリートの仕切りのような物が見え
ました。ベンチに座り、おにぎりでも食べましょ。
参考文献:『琵琶湖疏水の歴史散策』(近代京都の礎を観る会)
tag : 橋
山科疏水の橋(3)

疏水)の右岸を下ります。右手に京都府立
洛東高等学校(京都市山科区安朱川向町
10)が見えてきて、同校前に架かっている
橋が「洛東橋」です。橋名板も何も無いの
ですが、生徒を含め、洛東高関係者の専用
橋なのでしょう。橋を渡っての下り道は、
安祥寺川沿いの通学路で、“洛東坂”と
呼ばれている模様。満開の桜が絵になります。
tag : 橋
丸福珈琲店
前夜からの雨が、日中も降り続いていて……
前日の備忘録。第3部が始まるまで間があり、
裏なんばの「黒岩伽哩」に上がると、3種の
あいがけ伽哩を頂きました。このご時勢では、
カフェ使いも昼呑みも許されず、「丸福珈琲店」
千日前本店(大阪市中央区千日前1-9-1)へ
移動。竹本織太夫の本でも紹介されていた
昭和9年(1934)創業の老舗で、ケーキ・セット
(珈琲ロール)を注文しました。ところで、虫の
知らせか、吉田簑助の引退発表前から師匠の
登場する第2部をもう一度観たくて、次週の公演
のチケットも既に押さえていたのですよねえ。

前日の備忘録。第3部が始まるまで間があり、
裏なんばの「黒岩伽哩」に上がると、3種の
あいがけ伽哩を頂きました。このご時勢では、
カフェ使いも昼呑みも許されず、「丸福珈琲店」
千日前本店(大阪市中央区千日前1-9-1)へ
移動。竹本織太夫の本でも紹介されていた
昭和9年(1934)創業の老舗で、ケーキ・セット
(珈琲ロール)を注文しました。ところで、虫の
知らせか、吉田簑助の引退発表前から師匠の
登場する第2部をもう一度観たくて、次週の公演
のチケットも既に押さえていたのですよねえ。
簑助引退

「四月文楽公演」第3部を鑑賞してきました。演目は
「傾城阿波の鳴門」十郎兵衛住家の段、「小鍛冶」。
前回、後方に空席が目立ち、客席の入りに不安を
覚えていたのですが、以前の高揚感が戻ってきた
ように感じました。ただ、客層の雰囲気が違うようでも
あり、「刀剣乱舞」とのコラボレーション効果なのかな
(腐女子が寄ってきたとは言いません)。「小鍛冶」が
宝刀“小狐丸”の誕生秘話を扱っていることから、
そのキャラクターを人形化した物まで展示されており、
ぼくも思わず、撮影やスタンプの行列に並びましたよ。
「傾城阿波の鳴門」は豊竹靖太夫と野澤錦糸のコンビに
注目。病気療養で休演した吉田玉也の代役(阿波十郎兵衛)は、吉田玉佳でした
が、続いての三条小鍛冶宗近も玉佳だったので、出ずっぱりよ。お疲れ様でした。
老翁(稲荷明神)は吉田玉志。玉志も最近気に懸かるようになってきているところ、
この稲荷明神は三人出遣い! 左遣いの吉田玉勢、足遣い(狐足?!)の吉田
玉路も顔を見せてくれました。どこぞの元市長と違って、ぼくは舞台裏や仕掛けが
見えても、気になりません。むしろ、見たがりなのよね。帰宅途中の地下鉄通路の
壁に、吉田簑助師匠が四月公演を最後に引退すると前日発表したと張り出されて
いました。号外というか、一つの事件ですね。あの錦祥女では未練が残ります……。
tag : 文楽
山科疏水の橋(2)

なんて呟きながら、山科疏水の話を続けましょう。
東山山麓に広がっている山科盆地は、昔、二毛作地帯
だったそうですが、盆地の東西(山側)は灌漑用水の
ほとんどを 溜め池に頼っていたといいます……疏水が
出来るまでは。しかし、山科疏水(of 琵琶湖疏水)が
開削されたとあれば、溜め池は不要。それだけでなく、
元々利用されていた山科北部の山間から谷水や河川を
琵琶湖疏水が遮るといった体になります。藤尾から山科
までの数か所で、疏水の分水口を設けることで、灌漑
用水などの問題は解決するとして、従来の水の流れを
変えざるを得ない河川も出てきたようで……その一つが
安祥寺川でした。ほぼ南北に流れる安祥寺川と
東西に疏(ひら)かれた琵琶湖疏水とが、必然的に

クロスしてしまう事態を避けるべく、山科疏水(
琵琶湖第1疏水)の北側を並行する第2疏水は
石積み4段堰(左上画像)でかわし、第1疏水は
アーチ橋(水路閣)となっているので、その下を
潜り抜ける(右下画像)――と。何とも、トリッキーな
構造となる 琵琶湖疏水と安祥寺川との交差は
後からじわじわと効いてきて、ぞくぞくさせられる
ではありませんか。そうそう、今回、「毘沙門堂」
や「安祥寺」等の名称は出てきますが、寺社巡りは
行えておりません。あくまで、“橋”がメインとなります。
山科疏水の橋(1)
![]() |
![]() |
記述は一旦終了。しばらくは断続的に、山科
疏水(琵琶湖疏水の一部)沿い、「東山自然
緑地」で見られる橋を紹介していきましょう。
JR山科駅を下車すると、(半)地下道を潜って
北側に出ました。今回は「三年橋(みとせばし)」
を渡るルートでなく、もう少し、東へ進んだ後、
「毘沙門堂」参道を北上する格好でして……
毘沙門堂が目的地でなく、山科疏水に架かる
「安朱橋(4号橋)」が目当てなのですけれど。
菜の花畑と桜並木が疏水沿いに連なる様が、
何とも言えず、良い心地。親柱には平成12年
(2000)7月と刻まれ、改修工事でコンクリート
化されたようです。北詰の東側に、母子地蔵
が建っていました。平成20年に新装された
地蔵堂が目立ちますが、元は舟頭・善兵衛ら
による供養で、近江舞子の石を使い、名工・
甚助が1903年に完成させたといいます。
WAZAOGI
前回、いつだったのかな。もう、昨年の5月29日?
ランチ・タイムの終了間際、「DIAMOND BIRYANI」に
入ったところ、異様に急かされた感がありまして、
しばらく足が遠のいていたのですねえ。ほとぼりが
冷めた頃かと、入店しますと、ぼくはビリヤニよりも
旨いのでは、と高評価のチキン・カレーを注文したところ、
ルウの外観も黒っぽく、スパイスの組み立ても変わって
おり、よく見れば、スタッフ2人の顔ぶれも入れ替わって
いましたわ。「スパイス飯麺 兄弟舎」に近付いて、
塩分濃度が高くなったような気がします。安定した味を
提供してほしいなあ。食後は、【桂福車師匠の話】の
収録された笑福亭たまの落語CDを再び聴いておりました。
落語ばかり聴いている訳ではないのよ。殿下の『1999』
スーパー・デラックス・エディションをしつこくリピート。
『SIGN 'O' THE TIMES』の方はまだ手付かず。夏には
完全新作 『WELCOME 2 AMERICA』も待っているぞ!
ランチ・タイムの終了間際、「DIAMOND BIRYANI」に
入ったところ、異様に急かされた感がありまして、
しばらく足が遠のいていたのですねえ。ほとぼりが
冷めた頃かと、入店しますと、ぼくはビリヤニよりも
旨いのでは、と高評価のチキン・カレーを注文したところ、
ルウの外観も黒っぽく、スパイスの組み立ても変わって
おり、よく見れば、スタッフ2人の顔ぶれも入れ替わって
いましたわ。「スパイス飯麺 兄弟舎」に近付いて、
塩分濃度が高くなったような気がします。安定した味を
提供してほしいなあ。食後は、【桂福車師匠の話】の
収録された笑福亭たまの落語CDを再び聴いておりました。
落語ばかり聴いている訳ではないのよ。殿下の『1999』
スーパー・デラックス・エディションをしつこくリピート。
『SIGN 'O' THE TIMES』の方はまだ手付かず。夏には
完全新作 『WELCOME 2 AMERICA』も待っているぞ!