堺の橋(2)
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市の「御土居(おどい)」(豊臣秀吉が造った
土塁)や、京都市山科や大坂に蓮如が
設けた土居と、全く同じ意味になりますね。
環濠都市としての堺の面目躍如たる土木
構造物と言えましょう。阪神高速・堺線の
整備により、昭和40年代、北側と東側の
内川・土居川は埋め立てられました。堺の
旧市街区の東側に、南北に細長く、土居川
公園が延びていますが、正確に言えば、
高速道路の下が土居川(=濠)で、公園の
在る辺りは土居に相当するかと思われます。
「カメラのドイ」の創業者・土居君雄(1926
~1990)は広島市出身でしたが、堺市に
住まうようになったのは、堺で重要な役割を
担ってきた土居川に縁を感じたのかも……と
妄想を逞しくします。ドイは無くなりましたが、
君雄のコレクションであったアルフォンス・
ミュシャは、堺市に受け継がれています。
☆
土居川の合流点には、「栄橋」が架かっており、
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南に下って行くうちにフェニックス通りを横断する
形になりまして……上2点の画像がフェニックス
通り(国道26号)に架かる「住吉橋」です。
耐震性を確保するため、架替工事が行われて
いるところでした。東詰の北側には「スーパー
ホテル堺」、西詰の北側には「サンプラザ堺」が
建っています。「住吉橋」と「栄橋」との間に
「龍神橋」(右下画像2点)が架かっており、
付近には、「フェニックス横丁」(またもや、
不死鳥!)と名付けられた 極めて小規模の
飲食街も見つかりました。「龍神橋」自体は、
特にどうと言うこともないように見えるのですが、
親柱と一体化した橋名板が立派な造りで、同じ
黒御影石に、「龍神橋のいわれ」と説明書きも
彫られています。宝永元年(1704)、大和川の
付け替えにより、堺(旧)港に注ぎ込んだ流砂で
港は寂れてしまいました。港湾復興を願った
住民らが、天明6年(1786)、越後の「龍沢山
善法寺」の僧に祈祷を依頼したところ……
祈祷の終わった日没後、海上一面に灯明が煌き、
龍神の霊験と評判になり、吉川俵右衛門の築港事業で
出来た新地を「龍神」と名付けたそうです。オリジナルの「龍神橋」は
天保9年(1838)に架設。現在の橋は、昭和59(1984)年3月に完成。
そう言えば、「竪川橋」南詰の近くに「龍神堂」も見かけましたねえ。
ちなみに、堺市堺区の地名では「竜神橋町」と表記されています。
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