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堺の橋(3)

再び、南海本線・堺駅に戻ってきましたよ。
2021_03_19_堺駅南歩道橋
2021_03_19_南蛮橋_1

勇橋」から西は竪川となります。堺駅の
東口ロータリーに直接架かっている格好が
堺駅南歩道橋」(そのまんまのネーミング)
でして、北詰に歩いて渡っていく目線の先に
フェニックス・アーチ」が嫌でも飛び込んで
くる次第です。右画像2点のうち、上の方。
土居川などがそうであるように、竪川もまた、
潮の満ち引き(満潮/干潮)によって、水面が
上下する“感潮河川”。川面の緩やかな動き
から、海(堺旧港)が近いことが、それとなく
感じられました。竪川の左岸を西へ進めば、
一部省略また別の橋が視界に入ってきます。
右画像2点のうち、下の方になりますけれども、
橋の中央に立ち尽くす人影を認められるかしら。
室町時代後半から江戸時代初期にかけて、
物流(=南蛮貿易)の拠点として、堺の繁栄を
もたらした南蛮人が佇んでいるのでした――。
       ☆
2021_03_19_南蛮橋_2  堺を見たポルトガル宣教師の報告を通して見る
 ならば、当時の堺は、日本国中他にその右に
 出づるものなきほどの富有で壮麗な都市であって、
 富豪が多く住んで居り、共和国の体制によって
 治められて居た。附近地方の商取引が盛んに
 行わるるばかりでなく、一種諸国の共同市場の
 ごとき状態であって、つねに諸国の人々がここに
 流れ集まって居り、市民はよく事理を解する人々で
 あった。この地は海に瀕し、つねに水が充満した
 深き壕
(ほり)で取廻されていた上に、執政官によって
 支配されていたから、欧洲人の目には、日本では
 一番よい町に見え、またイタリアのベニスが連想
されたのである。

(三浦周行「開国文化より見たる堺」)2021_03_19_南蛮橋_3
       ☆
堺駅のすぐ南側で、竪川に架かっていたのは
南蛮橋」――絵になる素晴らしい名橋だと
思います。南蛮人のすぐ背中を南海本線が
走っている構図は少々残念ですが、橋の上に
独り立ち、濠で囲まれた旧市街区、中世の
国際貿易都市……自治都市・堺を眺めやる
彼の後ろ姿には、ぐっと痺れるものがあるの。

参考文献:三浦周行『大阪と堺』(岩波文庫)
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
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