山科疏水の橋(2)

なんて呟きながら、山科疏水の話を続けましょう。
東山山麓に広がっている山科盆地は、昔、二毛作地帯
だったそうですが、盆地の東西(山側)は灌漑用水の
ほとんどを 溜め池に頼っていたといいます……疏水が
出来るまでは。しかし、山科疏水(of 琵琶湖疏水)が
開削されたとあれば、溜め池は不要。それだけでなく、
元々利用されていた山科北部の山間から谷水や河川を
琵琶湖疏水が遮るといった体になります。藤尾から山科
までの数か所で、疏水の分水口を設けることで、灌漑
用水などの問題は解決するとして、従来の水の流れを
変えざるを得ない河川も出てきたようで……その一つが
安祥寺川でした。ほぼ南北に流れる安祥寺川と
東西に疏(ひら)かれた琵琶湖疏水とが、必然的に

クロスしてしまう事態を避けるべく、山科疏水(
琵琶湖第1疏水)の北側を並行する第2疏水は
石積み4段堰(左上画像)でかわし、第1疏水は
アーチ橋(水路閣)となっているので、その下を
潜り抜ける(右下画像)――と。何とも、トリッキーな
構造となる 琵琶湖疏水と安祥寺川との交差は
後からじわじわと効いてきて、ぞくぞくさせられる
ではありませんか。そうそう、今回、「毘沙門堂」
や「安祥寺」等の名称は出てきますが、寺社巡りは
行えておりません。あくまで、“橋”がメインとなります。
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