★ 2021年4月に読んだ本 ★
近松門左衛門『国性爺合戦・鑓権三重帷子』(岩波文庫)
三浦周行『大阪と堺』(岩波文庫)
『文楽床本集 国立文楽劇場 令和3年4月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
ジェームズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(新潮文庫)……4月の「二人の
読書会」のテクスト。田口俊樹の新訳。映画化7回、邦訳6回と帯に書かれています
が、ぼくが最初に読んだのは小学生か、中学生時代で、田中小実昌・訳の講談社
文庫。ハヤカワ・ミステリ文庫の小鷹信光・訳も読んでいます。マイ・クラシック。
ジェームズ・M・ケイン『カクテル・ウェイトレス』(新潮文庫)……作者の“幻の遺作”。
森村泰昌『自画像のゆくえ』(光文社新書)……これまでの森村先生の著書の中では、
最も読み応え有り。自分語りなんですけど、自分の仕事の総括も兼ねているような。
『第162回=文楽公演 令和3年4月 国立文楽劇場』
(独立行政法人日本芸術文化振興会)……巻末の文楽技芸員の紹介ページに、
「文楽研修修了発表会」で聴いた足立晋也(=豊竹薫太夫)、澤井友孝(竹本
聖太夫)が登場。新技芸員の誕生ですが、薫太夫の入門先は豊竹呂太夫。
芥川龍之介『河童』(集英社文庫)……5月の「二人の読書会」テクスト。所収は
「桃太郎」、「雛」、「点鬼簿」、「蜃気楼」、「河童」、「歯車」、「或阿呆の一生」、
「或旧友へ送る手記」。「蜃気楼」はつい最近も読んだが……と思っていたらば、
建築文学でしたか。「河童」と「歯車」は身に染み付いています。暗くはないよね。
三宅周太郎『文楽の研究』(岩波文庫)
三浦周行『大阪と堺』(岩波文庫)
『文楽床本集 国立文楽劇場 令和3年4月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
ジェームズ・M・ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(新潮文庫)……4月の「二人の
読書会」のテクスト。田口俊樹の新訳。映画化7回、邦訳6回と帯に書かれています
が、ぼくが最初に読んだのは小学生か、中学生時代で、田中小実昌・訳の講談社
文庫。ハヤカワ・ミステリ文庫の小鷹信光・訳も読んでいます。マイ・クラシック。
ジェームズ・M・ケイン『カクテル・ウェイトレス』(新潮文庫)……作者の“幻の遺作”。
森村泰昌『自画像のゆくえ』(光文社新書)……これまでの森村先生の著書の中では、
最も読み応え有り。自分語りなんですけど、自分の仕事の総括も兼ねているような。
『第162回=文楽公演 令和3年4月 国立文楽劇場』
(独立行政法人日本芸術文化振興会)……巻末の文楽技芸員の紹介ページに、
「文楽研修修了発表会」で聴いた足立晋也(=豊竹薫太夫)、澤井友孝(竹本
聖太夫)が登場。新技芸員の誕生ですが、薫太夫の入門先は豊竹呂太夫。
芥川龍之介『河童』(集英社文庫)……5月の「二人の読書会」テクスト。所収は
「桃太郎」、「雛」、「点鬼簿」、「蜃気楼」、「河童」、「歯車」、「或阿呆の一生」、
「或旧友へ送る手記」。「蜃気楼」はつい最近も読んだが……と思っていたらば、
建築文学でしたか。「河童」と「歯車」は身に染み付いています。暗くはないよね。
三宅周太郎『文楽の研究』(岩波文庫)
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Thrice-Rung
緊急事態宣言(3度目)が発出され、出掛ける
場所が狭められたなあ。しかし、夜の公園や
コンビニの前で屯する学生やリーマンの群れは
何なんだか。京都市のように、路上・公園での
飲酒・飲食禁止を 大阪市でも訴えたらよいのに。
☆
大阪市・中津のグリル「アイ」を珍しくランチ利用。
呑むつもりはなかったのに、ママ(?!)が瓶ビールを
出してくれたので、断る訳にはいかず、大層恐縮
しました。呑んだくれイメージの強過ぎる因果です。
ビデオ会を催した訳ではないですけれども、2点の
DVDで映画鑑賞。内川清一郎・監督 『一寸法師』
(1955)は、江戸川乱歩の原作(ぼくは、かなりの
高評価を与えています。長編小説として、破綻
気味とはいえ)。若き日の天知茂や丹波哲郎、
宇津井健が出ているよ!という興味より、やはり、
終盤における一寸法師=和久井勉 の大活劇が
見所。××好きには、堪らないシーンの連続です。
続けて、前回見送った Bob Rafelson 監督の
『The Postman Always Rings Twice』
(1981)。昔は随分好きだったように思うのですが、
今回、他の2作品と併せて観比べると、熱が冷めた
かも。ラストのぶつ切り感は、ヴィスコンティと類似
しており、ハードボイルドで悪くはないです。ただね、
原作 『郵便配達は二度ベルを鳴らす』が一人称。
テイ・ガーネット版はフランクの語りを活かしたことで、
(ラストのセンチメンタルに堕した転向は疑問として)
フランクの性情を理解できる訳です。阿呆な奴だけど、
純真過ぎるよ、とか。ボブ・ラフェルソン版は客観
描写に徹した余り、ジャック・ニコルソンの演じた
フランクの真意がどうにもよくわからず。不穏なまま、
ラストまで突っ走られ、号泣されてもなあ。コーラ役の
ジェシカ・ラングは○。“掃き溜めに鶴”も度の過ぎた
ラナ・ターナー(ファンタジーとしては無敵)と異なり、
適度な汚れ感が、リアリティと生っぽいエロスを発し、
最後のドライブの前の笑顔が可哀想で、愛おしくて。
あ、猛獣使いの娘もかなり原作に近いイメージで出て
きていますが、やっぱり、違うんだよなあ。かと言って、
きっちり映像化すると、ストーリーが台無しになりそう。
結論として、『郵便配達』映画3作は、どれも一長一短
あるにせよ、嫌いにはなれません。面白いんだもの。
ジェームズ・M・ケインの原作が最強なんでしょうね。
場所が狭められたなあ。しかし、夜の公園や
コンビニの前で屯する学生やリーマンの群れは
何なんだか。京都市のように、路上・公園での
飲酒・飲食禁止を 大阪市でも訴えたらよいのに。
☆
大阪市・中津のグリル「アイ」を珍しくランチ利用。
呑むつもりはなかったのに、ママ(?!)が瓶ビールを
出してくれたので、断る訳にはいかず、大層恐縮
しました。呑んだくれイメージの強過ぎる因果です。
ビデオ会を催した訳ではないですけれども、2点の
DVDで映画鑑賞。内川清一郎・監督 『一寸法師』
(1955)は、江戸川乱歩の原作(ぼくは、かなりの
高評価を与えています。長編小説として、破綻
気味とはいえ)。若き日の天知茂や丹波哲郎、
宇津井健が出ているよ!という興味より、やはり、
終盤における一寸法師=和久井勉 の大活劇が
見所。××好きには、堪らないシーンの連続です。
続けて、前回見送った Bob Rafelson 監督の
『The Postman Always Rings Twice』
(1981)。昔は随分好きだったように思うのですが、
今回、他の2作品と併せて観比べると、熱が冷めた
かも。ラストのぶつ切り感は、ヴィスコンティと類似
しており、ハードボイルドで悪くはないです。ただね、
原作 『郵便配達は二度ベルを鳴らす』が一人称。
テイ・ガーネット版はフランクの語りを活かしたことで、
(ラストのセンチメンタルに堕した転向は疑問として)
フランクの性情を理解できる訳です。阿呆な奴だけど、
純真過ぎるよ、とか。ボブ・ラフェルソン版は客観
描写に徹した余り、ジャック・ニコルソンの演じた
フランクの真意がどうにもよくわからず。不穏なまま、
ラストまで突っ走られ、号泣されてもなあ。コーラ役の
ジェシカ・ラングは○。“掃き溜めに鶴”も度の過ぎた
ラナ・ターナー(ファンタジーとしては無敵)と異なり、
適度な汚れ感が、リアリティと生っぽいエロスを発し、
最後のドライブの前の笑顔が可哀想で、愛おしくて。
あ、猛獣使いの娘もかなり原作に近いイメージで出て
きていますが、やっぱり、違うんだよなあ。かと言って、
きっちり映像化すると、ストーリーが台無しになりそう。
結論として、『郵便配達』映画3作は、どれも一長一短
あるにせよ、嫌いにはなれません。面白いんだもの。
ジェームズ・M・ケインの原作が最強なんでしょうね。