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達磨寺まで

2021_05_22_達磨寺_雪丸 「達磨寺」には詣でなければなるまい、と数年前の
 落語会の折、心に期していたのであります。今年の
 聖徳太子1400年御遠忌を記念したイベント、
 「聖徳太子を慕う道(太子葬送の道を歩く)」を予約
 し、併せて、「達磨寺」拝観も予定していたのですが、
 中止の知らせを電話で受けていました。イベントが
 中止でも、シフト休を取っていましたから、単独行動。
 JR大和路線に乗って、王寺まで。いつも感覚が狂う
 のですけれども、大和路線は生駒山地と金剛山地の
 間まで南下した後、奈良市まで北上しており、王寺
 (や法隆寺)は、奈良市より南に位置しています。
 奈良市は、奈良県内のよっぽど北に在るのですね。
 JR王寺駅で下車すると、「久度大橋」を渡り、雪丸
 足跡=“雪丸ロード”を辿って行くだけ。「達磨寺」
 (奈良県北葛城郡王寺町本町2丁目1番40号)への
移動もスムーズ。「雪丸」は、聖徳太子が飼っていた犬の名前とされ、王寺町の
マスコット・キャラクターとして活躍しています。ぐるりと大回りして、南側の山門から
入りました。左上画像は、国道168号に面し、雪丸が出迎えてくれる西門です。
       ☆
週末に観光ガイドを行っているガイド
2021_05_22_達磨寺__問答石_達磨石
2021_05_22_達磨寺___問答石_太子石

と思しき初老の男性ら(ぼくには声を
掛けてくれず……)を複雑な気分で
眺めながら、勝手に境内を歩き回り、
本堂にも上がりました。本尊は「木造
千手観音坐像」と、「木造聖徳太子
坐像
」、「木造達磨坐像」。聖徳太子
坐像は建治3年(1277)、院恵、院道
制作。達磨坐像は永享2年(1430)、
足利義教に命じられて、制作された
そうです。そもそも、同寺の縁起は、
太子が飢人(達磨太子の化身)を
助け、埋葬したという『日本書紀』の
伝承によります。太子 meets 達磨
――推古天皇21年(613)、いわゆる
片岡山飢人伝説」です。本堂自体が
「達磨寺3号墳」の上に建っており、
境内の北西に、「達磨寺1号古墳(=
雪丸塚)」、同「2号墳」が在ります。
雪丸塚は約15mの円墳で、横穴式石室がありました。
雪丸塚に在った「雪丸像」は、西門の北側、一夜竹の西側に移されています
(一夜竹の因縁話よりも、ねじくれた藤の幹に息を呑みました)。右の画像2点は、
聖徳太子と達磨大師が出会った時に、互いに歌を詠み交わした場所とされる
問答石」。上が「達磨石」。下が「太子石」と呼ばれています。聖徳太子の時代、
和歌のフォーマットは出来ていなかっただろう、という野暮な突っ込みは無しよ。
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テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 仏像史跡ゆるキャラ

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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