太子 meets 達磨
「もりやま屋」でチキン・カレーを食べながら、
チャイを飲んでいました。BGMはずっと殿下。
マスター、わかっているなあ。殿下は殿下でも、
聖徳太子のことをしばらく考え続けてみます。
先週訪ねた「片岡山 達磨寺」に思いを馳せて。
☆
一般に、片岡山の飢者説話とよばれている話がある。推古二十一年十二月一日条に、皇太子すなわち聖徳太子が、片岡山へ遊行する話である。片岡山は、法隆寺のある斑鳩(いかるが)の南方のあまり高くない山である。その山の道のほとりで、倒れている飢者(うえたるひと)と出あい、哀れんで飲食と衣を与える。その時「しなてる片岡山に飯(いひ)に飢(ゑ)て臥(こや)せるその旅人あはれ(以下略)」という歌を詠んだことになっている。翌日、飢者が死んだので土中に葬らせたが、その数日後、太子が「あの飢者は凡人(ただひと)ではなく、かならず真人(ひじり)であろう」と述べ、使を派遣すると、墓には変化がなかったが、中に屍骨はなく、衣服が棺の上に畳まれていた。そこで、太子は、その衣を取り常の如く着用した。時の人は「聖(ひじり)の聖を知ること、実(まこと)である」と言った、というものである。はなはだ奇妙な話であるが、これが神仙思想および道教思想と関係することは歴然である。
☆
解説を加えると、「真人」とは、無為自然にして絶対自由を得て、
不死を達成した至上最高の人物、仙人の最高位とされます。
また、抜け殻の身体を残し、魂が昇天して仙人になることで、
(肉体を取り戻した結果)衣服等のみが後に残る状況は、
仙人になる方法の一つ、尸解(しかい)で説かれる現象です。
うん? 飢者(飢人)は達磨の生まれ変わりという伝説の元
なのですが、上記の引用文中では、まだ登場してきていません。
単なる行き倒れ、もしくは、無名の尸解仙との遭遇で終わらせず、
実は達磨だった!と付け加えたのは、敬明による『上宮太子伝』。
そもそも、達磨と恵思は中国で出会っているのだから、片岡山伝説は、
(再生)達磨と、(転生した恵思=)聖徳太子のドラマチックな再会なのね。
『日本書紀』の元ネタの扱いが絶妙な敬明に、感服させられます。
参考文献:大山誠一『聖徳太子と日本人』(角川ソフィア文庫)
チャイを飲んでいました。BGMはずっと殿下。
マスター、わかっているなあ。殿下は殿下でも、
聖徳太子のことをしばらく考え続けてみます。
先週訪ねた「片岡山 達磨寺」に思いを馳せて。
☆
一般に、片岡山の飢者説話とよばれている話がある。推古二十一年十二月一日条に、皇太子すなわち聖徳太子が、片岡山へ遊行する話である。片岡山は、法隆寺のある斑鳩(いかるが)の南方のあまり高くない山である。その山の道のほとりで、倒れている飢者(うえたるひと)と出あい、哀れんで飲食と衣を与える。その時「しなてる片岡山に飯(いひ)に飢(ゑ)て臥(こや)せるその旅人あはれ(以下略)」という歌を詠んだことになっている。翌日、飢者が死んだので土中に葬らせたが、その数日後、太子が「あの飢者は凡人(ただひと)ではなく、かならず真人(ひじり)であろう」と述べ、使を派遣すると、墓には変化がなかったが、中に屍骨はなく、衣服が棺の上に畳まれていた。そこで、太子は、その衣を取り常の如く着用した。時の人は「聖(ひじり)の聖を知ること、実(まこと)である」と言った、というものである。はなはだ奇妙な話であるが、これが神仙思想および道教思想と関係することは歴然である。
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解説を加えると、「真人」とは、無為自然にして絶対自由を得て、
不死を達成した至上最高の人物、仙人の最高位とされます。
また、抜け殻の身体を残し、魂が昇天して仙人になることで、
(肉体を取り戻した結果)衣服等のみが後に残る状況は、
仙人になる方法の一つ、尸解(しかい)で説かれる現象です。
うん? 飢者(飢人)は達磨の生まれ変わりという伝説の元
なのですが、上記の引用文中では、まだ登場してきていません。
単なる行き倒れ、もしくは、無名の尸解仙との遭遇で終わらせず、
実は達磨だった!と付け加えたのは、敬明による『上宮太子伝』。
そもそも、達磨と恵思は中国で出会っているのだから、片岡山伝説は、
(再生)達磨と、(転生した恵思=)聖徳太子のドラマチックな再会なのね。
『日本書紀』の元ネタの扱いが絶妙な敬明に、感服させられます。
参考文献:大山誠一『聖徳太子と日本人』(角川ソフィア文庫)
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