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4人の観音

学生時代、マキアヴェリ『君主論』の英題が、
原題の直訳とはいえ、“The Prince”であることに
衝撃を覚え(明らかに殿下の影響下にあった2パック
アーテイスト名を Makaveli にしたこともありました……)、
昨今は聖徳太子を英訳すると、Prince Shotoku
なることに、妙な感懐に浸らされてしまう訳ですけれども。
       ☆
シンクロニシティなのか、唯の牽強付会なのか、いろいろな
事柄が結び付いて見えるのは何なのか? 藤原北家の
九条兼実(1149~1207)の弟、慈円(1155~1225)の
思考を辿っていると、この頃、ぼくが日本史上、引っ掛かる
人物4人をピック・アップしていて、震え上がらされます。
厳密に言うと、ぼくは大織冠(=藤原鎌足)の方ではなく、
蘇我入鹿の側に肩入れしますけどね。その4人とは? 
       ☆
慈円は、自己の立場を支える二つの側面、つまり天台座主と摂関家の確立について、『愚管抄』の中に二人の観音の化身を登場させた。聖徳太子菅原道真はかなりの熱意をこめて書かれている。聖徳太子は仏法を積極的に受容し、その方向を決定した人として、まさに観音の化身にふさわしい存在であった。その論述はきわめて難解で、その牽強付会の論法は読む者の理解をこえているが、そこでは聖徳太子がすべてを予見する能力の持主であったこと、のちの日本人のために道理を啓示すべく、さまざまな配慮をしたことが述べられている。他方、道真については、藤原氏の内訌をおだやかにおさめ、正しく導くために、みずからを陥れて九州に流され、日本国は小国であるから、臣下は藤原氏のみでよいということを明らかにしたと記される。こうした化現の人に対する記述は、事後追認の無原則な拡大でしかない。
       ☆
いや、菅丞相が藤原氏のために自ら左遷された、という
無茶苦茶な強弁ぶりに、笑うしかないところです。凄いな。
       ☆
慈円は特に、聖徳太子大織冠菅原道真慈恵(じえ)大師の四人を、観音の化身として重んじている。この四人は、聖徳太子が仏法の受容を実現し、大織冠鎌足が臣家の存在を確立し、北野天神菅原道真が藤原氏のみが正統の臣家であることを示し、慈恵大師良源が師輔の子孫が摂関家の正統であることを保証するというように、歴史を導いてきた。四人に化身した観音は、摂関九条流藤原氏の出身で天台座主である慈円の立場を、そのまま正統化するために、歴史の中に配されているのであるが、一歩外側から見ると、さきに見た三神(伊勢大神宮=天照大神/春日大明神・鹿島大明神=天児屋根命/八幡大菩薩=応神天皇)が定めた日本国の歴史の基本原則を、時代の推移に応じて具体化する役割を負わされていることが明らかである。四人に化現する観音自体が、歴史を超える仏教的な教説を示したり、三神に伍して日本国のあり方を定めたりすることはないのである。また、この観音が、仏法の世界を統轄し、或は代表するものとして位置づけられているわけでもない。観音は、つまるところ慈円の歴史解釈を正統化する役割を負っているにすぎないといえよう。
       ☆
『愚管抄』の中で冥の世界は、時の流れに押されて生成変化する歴史を超えており、天照大神八幡大菩薩天児屋根命(あめのこやねのみこと)などの神々は、無時間的な存在としてあらわれるが、冥衆のすべては必ずしも絶対的に歴史を超えたものとしてだけ考えられてはいなかった。冥衆の中には、「顕」の世界、つまり人間の目に見える歴史の世界の、大きな変わり目にあたって、人間の姿を借りて化現し、顕の世界の道理では追認することのできないような行動をとって、歴史を転換させる者がある。慈円は、
  コノ日本国観音ノ利生方便は、聖徳太子ヨリハジメテ、大織冠・菅丞相・慈恵大僧正カクノミ侍ル事ヲフカク思シル人ナシ。(巻第三、一五八頁)
というように、日本の歴史に登場した冥衆(ここでは観音)の化現を四人あげているが、聖徳太子は仏法というものが日本国にとって必要なものであり、王法と融和して国を支えて行くものであることを明らかにし、大織冠藤原鎌足は、皇統が常に日本国の中心であるためには、すぐれた補佐の臣がなくてはならないことを示し、北野天神菅原道真は、日本国は小国であるから、補佐の臣が並立する必要はなく、藤原氏のみがその任に当たればよいということを明らかにし、慈恵大師良源は、藤原氏の数々の系統の中で、九条右大臣師輔の子孫が補佐の臣をつぐべき主流であることを示すために、冥の世界から歴史の中にあらわれたのだと主張する。つまり、神代に定められた日本国の不変不動の大原則を、絶えず移り行き生成変化する顕の世界に合わせて、具体化してみせる役割を、この四人の化現が負っているわけで、さきにふれた一つの時代を支える大きく重い道理を転換させる役割を果たすことになるのである。
 四人の化現の人は、仏法の伝来天皇親政の転換藤原氏の専権九条流の独壇というように、その内実は、仏法の頂点に立つ天台座主であり、九条師輔の子孫である慈円の立場を支えるものに他ならなかった。


参考文献:大隅和雄『愚管抄を読む』(講談社学術文庫)
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ジャンル : 小説・文学

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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