諡号と追号
ぼくらが普段、天皇名と思っているのは、大体、
漢風諡号(しごう)の類でして、では、諡号とは
何ぞや?となりますと、「亡くなった人の生前の
業績を称(たた)えた呼び方」と定義されています。
その諡号が、日本風の「和風諡号」と中国風の
「漢風諡号」に分かれているのです。例えば、
『日本書紀』に従えば、初代天皇の漢風諡号は
神武(天皇)であり、和風諡号は神日本磐余彦
(かむやまといわれびこ)となります。綿々と、漢風
諡号が付けられてきたかというと、そうでもなく、
仁孝天皇(120代)が父の光格天皇(119代)に
「光格」の号を贈るまで、光孝天皇(58代)を最後に
漢風諡号は中断されていました。宇多天皇(59代)
の「宇多」は諡号でなく、追号なのです。追号とは
「生きていた頃にゆかりのあった地名や建物などに
ちなんで贈られた呼び方」。神武天皇から光仁天皇
(49代)までの漢風諡号を選定したのは、天智天皇
(38代)の玄孫、淡海三船(722~785)とされています。
参考文献:小田部雄次『肖像で見る歴代天皇125代』(角川新書)
漢風諡号(しごう)の類でして、では、諡号とは
何ぞや?となりますと、「亡くなった人の生前の
業績を称(たた)えた呼び方」と定義されています。
その諡号が、日本風の「和風諡号」と中国風の
「漢風諡号」に分かれているのです。例えば、
『日本書紀』に従えば、初代天皇の漢風諡号は
神武(天皇)であり、和風諡号は神日本磐余彦
(かむやまといわれびこ)となります。綿々と、漢風
諡号が付けられてきたかというと、そうでもなく、
仁孝天皇(120代)が父の光格天皇(119代)に
「光格」の号を贈るまで、光孝天皇(58代)を最後に
漢風諡号は中断されていました。宇多天皇(59代)
の「宇多」は諡号でなく、追号なのです。追号とは
「生きていた頃にゆかりのあった地名や建物などに
ちなんで贈られた呼び方」。神武天皇から光仁天皇
(49代)までの漢風諡号を選定したのは、天智天皇
(38代)の玄孫、淡海三船(722~785)とされています。
参考文献:小田部雄次『肖像で見る歴代天皇125代』(角川新書)
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