*仁皇子
丸谷才一の歴史対談で、(ぼくも同じ穴の貉ですから)
天皇名に端を発する考察には、やはり、非常に同感する
ところがありまして、まともに引用しようとすると大変に
長くなりますので、勘所の個所だけ、下記に転記します。
☆
丸谷 (中略)日本の天皇の名前で、後冷泉天皇の親仁(ちかひと)から第百二十五代、当今(とうぎん)の天皇陛下、明仁天皇に至るまで、「何仁」という形式でない名前の天皇は八帝しかいない。
山崎 ほォ。
丸谷 一般に、皇子(みこ)の名前は何仁という形式なのですが、この八帝は例外なのですね。
八十二代 後鳥羽(尊成 たかひら)
八十四代 順徳 (守成 もりなり)
八十五代 仲恭 (懐成 かねなり)
九十四代 後二條(邦治 くにはる)
九十六代 後醍醐(尊治 たかはる)
九十七代 後村上(義良 のりなが・憲良 のりなが)
九十八代 長慶 (寛成 ゆたなり)
九十九代 後亀山(煕成 ひろなり)
これだけなんです。運の悪い、かわいそうな帝ばかりですね。
山崎 そういえばそのとおりだ。
丸谷 おしまいの四人は南朝の帝で、そのうち後醍醐さんだけは勝手なことをしているからまあいいけれども、あとの三人はほんとにかわいそうでね。皇室というのは非常に保守的ですから、皇子の名前は何仁形式に決まっているのに異を立てて、何仁でなく命名するのは非常に風変わりなことですよね。
この命名には由来があるんです。後鳥羽院の場合は、高倉天皇に皇子が四人いました。いちばん上が八十一代安徳天皇(言仁)。これは平徳子(のりこ)の産んだ皇子で、清盛の孫ですね。その次が守貞(もりさだ)親王、それから惟明(これあき)親王、その次が後鳥羽さんで尊成になる。
要するに、「仁」の字は、記号論的に言うと後に天子になる可能性があるという符号ですから、清盛は自分の娘が産んだのでない皇子に「仁」というのをつけちゃいけないと言ったんだと思うんです。
参考文献:丸谷才一・山崎正和『日本史を読む』(中公文庫)
天皇名に端を発する考察には、やはり、非常に同感する
ところがありまして、まともに引用しようとすると大変に
長くなりますので、勘所の個所だけ、下記に転記します。
☆
丸谷 (中略)日本の天皇の名前で、後冷泉天皇の親仁(ちかひと)から第百二十五代、当今(とうぎん)の天皇陛下、明仁天皇に至るまで、「何仁」という形式でない名前の天皇は八帝しかいない。
山崎 ほォ。
丸谷 一般に、皇子(みこ)の名前は何仁という形式なのですが、この八帝は例外なのですね。
八十二代 後鳥羽(尊成 たかひら)
八十四代 順徳 (守成 もりなり)
八十五代 仲恭 (懐成 かねなり)
九十四代 後二條(邦治 くにはる)
九十六代 後醍醐(尊治 たかはる)
九十七代 後村上(義良 のりなが・憲良 のりなが)
九十八代 長慶 (寛成 ゆたなり)
九十九代 後亀山(煕成 ひろなり)
これだけなんです。運の悪い、かわいそうな帝ばかりですね。
山崎 そういえばそのとおりだ。
丸谷 おしまいの四人は南朝の帝で、そのうち後醍醐さんだけは勝手なことをしているからまあいいけれども、あとの三人はほんとにかわいそうでね。皇室というのは非常に保守的ですから、皇子の名前は何仁形式に決まっているのに異を立てて、何仁でなく命名するのは非常に風変わりなことですよね。
この命名には由来があるんです。後鳥羽院の場合は、高倉天皇に皇子が四人いました。いちばん上が八十一代安徳天皇(言仁)。これは平徳子(のりこ)の産んだ皇子で、清盛の孫ですね。その次が守貞(もりさだ)親王、それから惟明(これあき)親王、その次が後鳥羽さんで尊成になる。
要するに、「仁」の字は、記号論的に言うと後に天子になる可能性があるという符号ですから、清盛は自分の娘が産んだのでない皇子に「仁」というのをつけちゃいけないと言ったんだと思うんです。
参考文献:丸谷才一・山崎正和『日本史を読む』(中公文庫)
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