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★ 2021年11月に読んだ本 ★

村野藤吾『建築をつくる者の心』(ブレーンセンター)
『第164回=文楽公演 令和3年10・11月 国立文楽劇場』
 (独立行政法人日本芸術文化振興会)
『文楽床本集 国立文楽劇場 令和3年10・11月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
斎藤茂吉『万葉秀歌 下巻』(岩波新書)……上巻よりは小ましになった気がします。
 慣れただけかな。全巻を通読しようという野望はないけれども、『万葉集』の基本は
 きちんと押さえて、復習しようとしているところ。他にもいろいろあって、道だけは遠し。
唐十郎『佐川君からの手紙』(河出文庫)……11月「二人の読書会」のテクスト。
 佐川一政のキャラが濃過ぎて、唐十郎の作家性が見えづらかったので、積まれたまま
 になっていた唐の他の本にも手を出すことにしました。「状況劇場」には幻想を抱き。
唐十郎『唐十郎コレクション3 少女都市からの呼び声[戯曲篇]』(右文書院)
 ……「少女都市からの呼び声」、「透明人間」、「動物園が消える日」を所収。
唐十郎『唐十郎コレクション2 銀ヤンマ[小説篇]』(右文書院)
 ……「巷談ジョン・シルバー」、「銀ヤンマ」、「ガラスのヴァギナ」、「少年王者」、
 「ズボン」、短篇小説三部作「あたし」(雨のふくらはぎ/銭湯夫人/チヨコ)、
 「ダイヤ」、「海星」を所収。少年時代の記憶に基づく同じネタの使い回しが目立つこと
 もありますが、上手い具合に機能している時は、良い読み心地を得られます。
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テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

人間は橋

「大阪区民カレッジ」北校のまち歩き(12月6日)に備えて、
11月30日13時頃から下見を行っています。大阪市役所・
南西角の「みおつくしプロムナード」に集合。テーマは
橋を巡って 幕末から維新を歩く」と銘打たれています
が、“橋”は渡るだけで、解説の重点は置かれていない
模様。御堂筋を渡り、「駅逓司大阪郵便役所跡」を確認後、
大江橋」を渡りました。「堂島ビルヂング」を前に東へ
折れて、“蜆川跡”に思いを馳せます。蜆川(曽根崎川)の
入り口に架かっていたのが「難波小橋」。大阪高等・地方
裁判所の西側の(肥前・佐賀県)「小城藩蔵屋敷跡碑」、
南側の「佐賀藩蔵屋敷跡碑」を眺め、「船入橋」(鍋島藩
蔵屋敷跡)の顕彰碑もチェック。「鉾流橋」を渡りますと、
“バラの小径”から「こども本の森 中之島」西側に設けられた
自由亭跡碑」と「木村長門守重成表忠碑」をチェック。
大阪通商・為替会社跡碑」を押さえて、「栴檀木橋」から
大阪慶應義塾跡」(慶應義塾の最初の分校)記念碑を
回った後、「難波橋ライオン橋)」南詰まで。以前から撮影
済みの「大阪俵物会所跡碑」、「大阪証券取引所ビル」の
大阪金相場会所跡碑」を確認しつつ、土佐堀通を東進。
       ☆
明治8年(1875)、大阪会議の開催された「花外楼」を2021_11_30_葭屋橋~今橋
眺め遣った時、ぼくは幕末やら明治維新に反応が薄い
と申しますか、世間様の関心の在り方とはずれている
ことを自覚しています。伊藤博文井上馨大久保利通
木戸孝允板垣退助……誰一人として、好きにはなれず。
東横堀川の分岐点で、「葭屋橋」と「今橋」の生み出す
魅惑のデルタ・ゾーン(右上画像)の方が、幾千倍も素敵
と感じるのですが、賛同者は見つからないものかしら。
       ☆
2021_11_30_福原ビル 「葭屋橋」東詰から北へ横断
 歩道を渡ると、左下画像の
 「福原ビル」(大阪市中央区
 北浜東6-14)が建っています。設計は久野(くの)
 (みさお)
で、昭和5年(1930)の建築。大川から観るのと
 また異なる風貌で、どきりとさせられました。北浜東
 郵便局内の「紀州邸址」碑、「エル・おおさか」、
 「京屋忠兵衛」碑などを流して、天満橋の八軒屋
 船着場跡(水上バス乗り場)にて解散。「OMM屋上
 スカイガーデンが閉鎖中
なのは、ちょっと、残念ですね。
 「OMM」B2Fの信州そば処「そじ坊」で軽く呑みながら、
 蕎麦で締め。相方とは、中津のグリル「アイ」で合流です。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡近代建築蕎麦呑む

中之島東部地区再開発構想

ぼくのアナクロニズム思考(ただし、双方向)が炸裂します
が、お許しを――。昭和46年(1971)、大阪市が「中之島
東部地区再開発構想
」を発表します。大正10年(1921)に
竣工した3代目・大阪市庁舎、明治37年(1904)竣工の
大阪図書館(=大阪府立中之島図書館)」、大正7年
(1918)竣工の「大阪市中央公会堂」の撤去が構想されて
いました。御堂筋を挟んで、大阪市役所の向かいには、
明治36年(1903)竣工の「日本銀行大阪支店」も建って
います。3代目・市庁舎の実施設計は片岡安ら、日銀・
大阪支店の設計は辰野金吾……。対して、翌47年(1972)、
中之島をまもる会」が設立されるなどして、反対運動が
巻き起こります。昭和49年(1974)5月21日、「大阪府立
中之島図書館」本館・右翼・左翼の3棟が重要文化財に
指定され、流れが変わりました。日銀・大阪支店も全面
建て替えを撤回し、外観を可能な限り残す方向で、改築
工事(昭和55~57年)が行われます。結局のところ、
3代目・市庁舎以外の歴史的建造物は保存されることに。2021_11_24_鉾流橋
       ☆
岩本栄之助(1877~1916)の寄付によって成った
大阪市中央公会堂」は、昭和63年(1988)、大阪
市長がその永久保存と活用を表明。平成14年(2002)、
国の重要文化財にも指定されました。再開発構想
(1971)から永久保存(1988)に至るまで、間延び
しているように見えなくもないですが……公会堂は、
大正元年(1912)、「懸賞金付き設計競技」の結果、
岡田信一郎・案が一等に決定。 翌年(1913)、辰野
金吾と片岡安の実施設計の下、着工されています。
       ☆
2021_11_24_栴檀木橋 中之島公会堂(=大阪市中央公会堂)は、もろに
 「辰野式」――赤煉瓦と花崗岩の組み合わせが映える
 のですけれども、その公会堂と見事にコーディネート
 されているのが、公会堂の北側の堂島川に架かる
 「鉾流橋」(右上画像)と、南側の土佐堀川に架かる
 「栴檀木橋」(左下画像)です。歩道面のデザインが
 「辰野式」リスペクトで、お洒落よね。ポイントは改修や
 架け替え時期。「鉾流橋」は昭和55年(1980)の大幅な
 改修によって、煉瓦敷きに。現在の「栴檀木橋」は昭和
 60年(1985)に架け替えられており、いずれも公会堂の
 永久保存の表明に先行しています。より早い段階で、
 公会堂の撤去は見送られていたと読み取れるのです。

参考記事:大阪市中央公会堂 ― 公会堂の歴史

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 近代建築

山本能楽堂の歴史

信州山本城主・諏訪盛重に発し、元禄年間、京都に出た
初代・七郎右衛門が、烏丸七条にて、「伊勢屋」と称した
大名貸の両替商を営み、五大両替商の一つに数えられる
身代を作ったそうです。9代目・弥太郎は「伊弥太銀行」を
設立し、京都市会議員を務め、京都市電敷設等に尽力
するも、大阪に移り住む次第となりました。先代(10代目)・
山本博之(本名・重三郎)は明治28年(1895)、弥太郎の
長男として生まれ、大正4年(1915)、二十歳で二十四世
観世宗家に入門。博之は、昭和2年(1927)、現在地に
念願の「観鵆會舞台(=山本能楽堂)」を創設しました。
同年11月16日に舞台抜き。しかし、昭和20年(1945)
3月13日、夜の大阪大空襲で全てが焼失……
再建は昭和25年(1950)でした。鏡板の松は2021_11_25_山本能楽堂
松野奏風が仕上げています。浜田豊太郎
建築となり、舞台は、「西本願寺」黒書院の国宝
舞台(桃山城の遺構)を写した“方三間”の本格
舞台。方三間は、3間(1間=6尺)を一辺とする
正方形ですね。本舞台の下に、大ぶりの
12個並べられているのが古式ゆかしく、現代では
珍しいそうです。足拍子の響きを良くするとか
しないとか……能舞台に奈落は無いものなぁ。

テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 建築

どこにも行けない

2021_11_25_阪神・大阪梅田_1
2021_11_25_阪神・大阪梅田_2
 「大阪梅田ツインタワーズ・サウス」の完成も
 着々と迫り、Ⅱ期百貨店ゾーンは既に開業。
 「都市計画道路大阪駅前1号線」(JR大阪
 駅前地下道)の拡幅整備工事と同時進行して
 いる阪神電鉄の改良工事もあって、阪神百貨店
 地下は、近年、常に天井が剥き出しのイメージ
 が根付いてしまいました。ところで、2年前の
 10月1日に駅名が改称されている阪神電車(
 阪急も同様)の“大阪梅田”駅。東口で、謎の
 スチール製の手すりに目を奪われています。
 いつから、そうなっていたかは覚えていない
 のですが、最初からそうなっていたはずはなく
 (画像は11月25日撮影分)、エスカレーター横の柱に
 上下を阻まれて上れない/下れない……それ
 どころか、足を踏み入れられない閉ざされた
 空間が現出していました。トマソン?! 純粋
 階段
の変奏曲か。エスカレーターを南へ約1m
 移設したのかどうか、思い出そうとしてみます。
        ☆
P.S. 阪神・大阪梅田駅に電話で問い合わせてみましたが、明確な回答は頂けず。
   エスカレーター等の構造物を動かすのは大層なので、手すりの新設でしょうか?



テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag :

ぶらぶら~素浄瑠璃

2021_11_26_難波橋 11月26日(金)、Osaka Meto・堺筋線で、扇町
 から北浜まで南下。「難波橋」(左上画像)を
 渡りますと、大阪市役所・南西角の「みおつくし
 プロムナード
」に集合。Tさんに青木野枝関連
 資料を手渡し。スタッフは30分前に集合ですが、
 10時から「北区ぶらぶら 2021 小さな旅に
 出かけよう!
」の第3回(番外編)、「中之島の
 魅力ある建築物と歴史を知る ―先人たちの
 知恵と工夫に思いを巡らす―
」を開催します。
先週に行った下見のコースどおり。代表がメインのガイドを行うので、注意力が散漫に
なっていたかもしれません(個人的に反省)。橋について語る流れにはならなかった
ですねえ。正午前、京阪・中之島線の大江橋駅で解散すると、一目散に北浜駅へ。
       ☆
Osaka Metro・堺筋線に乗り、日本橋を目指します。「国立文楽劇場」小ホールにて
13時から、「若手素浄瑠璃の会」の開演です。まずは「一谷嫩(ふたば)軍記熊谷
陣屋の段
2年前の素浄瑠璃では豊竹呂太夫でしたが、今回は若手として、竹本
小住太夫
。三味線は鶴澤清𠀋(「丈」に点が付きますが、文字化けする可能性有り)。
もう1演目が「源平布引滝九郎助住家の段でして、昨年の錦秋文楽公演で観て
います。斬り落とされた片腕を接がれて息を吹き返す小まんや、首を落とされる瀬尾
十郎や矢橋(やばせの)仁惣太(にそうだ)など、ヴィジュアル的にも面白かったはずが、
素浄瑠璃の場合、印象が大分異なってくる、というか、登場人物の“情”に主眼が
寄ってこざるを得ないのでした。しかし、そうなると、噴飯物に近い設定(人間関係に
よる因縁)の人工さ加減が気に障ってくるという……斎藤実盛の腹はともかく、この段
だけだと、瀬尾のモドリがあまり活きてこなくて残念。豊竹芳穂太夫鶴澤友之助

テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 文楽近代建築

落語+能+落語

11月25日(木)はハードなスケジュールを組んで2021_11_25_天満天神繁昌亭
いました。「落語 for the future! ~全部で
200席~
」の一環として開催されている「天満
天神繁昌亭
」の「上方次世代落語会」をまず
聴きに行きます。芸歴20年以下がトリを務め、
ベテランが若手を盛り上げようという企画で、
10時開演。露の棗「つる」に続いて、「ハト」
……桂三ノ助は「喜楽館」館長補佐。時事ネタを
盛り込むにせよ、フォーマットが古い。笑福亭
伯枝「鼓ヶ滝」、笑福亭福笑「宿屋ばばあ」は流石でした。この日のトリをどう見るのか、
忌憚の無い意見を聴きたいとは思いましたが。中入りの後、笑福亭喬介のトークで、
少々困惑。SNSの批評に目くじらを立てるようでは、表現者に向いていないのでは
ないか? 相互監視して、自粛して、勝手に委縮して、何が楽しいの? そもそもが
目立ちたい、みんなにちやほやされたいというだけの“人気者”志願ならば、落語家で
なくともよいのでは? もやもやしつつ、林家愛染「狸の鯉」の後、桂佐ん吉厩火事」で
締めました。“髪結いの亭主”……お咲さんが愛らしくて、良かったです。正午に終演。
       ☆
2021_11_25_宇野薬局 Osaka Metro・谷町線に乗って、南森町から
 谷町四丁目へ移動しました。裏谷四はスパイス
 ・カレー激戦区なのですが、ランチ・タイムの
 真っただ中とあり、どの店も行列が出来ていて、
 昼食は諦めざるを得ず。懐かしくも、「宇野薬局
 (大阪市中央区徳井町2-3-3)の佇まいに
 惚れ惚れとしていると、その東西の通りにカレー
 店ばかりでなく、次なる目的地の「山本能楽堂
 (大阪市中央区徳井町1-3-6)が建っており、
突き当たりには大阪府新別館南館が位置することに気付き、何の暗合だろう……と。
能楽堂の前にはお年寄りが1列、2列に並んでおり、13時15分から「公開講座フェスタ
2021
」の特別講座(能楽講座能楽堂見学ツアー)が開催されました。能楽講座に
ついては、昨年の伝統芸能入門講座「伝統芸能塾」(まっちゃまちサロンPLUS
ほぼ同内容。「山本能楽堂」の歴史に関しては、後日、別記事を立てますね。今回の
白眉は見学ツアーとなり、楽屋や能舞台の床下などを観ることが出来、スリリング。
また、講師を務めた観世流能楽師、山本章弘氏。毎回の軽妙洒脱な語り口は天晴れ。
       ☆
Osaka Metroで東梅田へ移動。阪神電車に乗り換えて、2021_11_25_「やすまる」
(神戸)新開地を目指しました。「喜楽館」にて18時30分
から落語会。朝から何も食べていなかったので、小1時間
ばかり、鉄板居酒屋「やすまる」(神戸市兵庫区新開地
2-5-5)で軽く呑み喰い。並びの他店がシャッターを
下ろしていて、寂しい。18時頃から整理番号順に並び、
浮き浮きと入場しました。「桂文鹿『福笑師に挑む』」の
始まりです。実質は、桂文鹿笑福亭福笑の二人会(
午前中、午後と、福笑師匠の顔を観ることが出来ました)。
直接、2人のトーク・ショーが行われることはなかったの
ですけれども、文鹿さんの語る福笑師匠との思い出話など、
味が出ていましたよ。開口一番は桂雪鹿の「時うどん」。
その後、文鹿「ファンヨンチョル」、福笑「代書屋」、中入りを挟んで、
福笑「入院」、文鹿「持参金」の順。晴れやかな気分で、帰阪しました。

テーマ : 落語
ジャンル : お笑い

tag : 落語建築講座呑む

APA〈大阪梅田駅タワー〉

翌々日(26日)のまち歩きガイドに備えて、中之島まで2021_11_24_(仮称)アパホテル&リゾート〈梅田駅タワー〉
画像撮影に出掛けています。手持ちの画像はあるはず
なのですが、新たに「栴檀木橋」と「鉾流橋」を撮影。
どうしても、「大阪市中央公会堂」の“辰野式”デザインと
お揃いになる煉瓦敷きの歩道を明瞭に示しておきたくて。
遠出をしているので、行き帰りに時間を要し、当然の如く、
昼食は抜き。帰社途中、建設が着々と進む「(仮称)アパ
ホテル&リゾート〈大阪梅田駅タワー〉
」(大阪市北区
曽根崎2丁目1番地)も撮影しました。背後(北側)には、
ラ・トゥール大阪梅田」も見えています。「アパホテル」は
西日本最大客室数(全1,704室)、地上34階建てとなり、
2022年12月に開業予定。曽根崎の街並みの変貌が一層
甚だしくなっていきますね。「物外館」や何やと失われ……。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 建築

安藤忠雄建築研究所

2021_11_19_安藤忠雄建築研究所 数年前から中津界隈には足繁く通っているはず
 なのに、不覚にも見過ごし続けてきた「安藤忠雄
 建築研究所
」(大阪市北区豊崎2丁目5−23)
 ……迂闊にも程があるってば。「ヤジ馬ヤジ北」
 11月度例会で、代表に「源光寺」至近であると
 教えられました。曲がりくねった道の奥に在る
 から、煉瓦塀にばかり気を取られていると、察知
 できません。以前、相方が安藤氏と擦れ違ったと
 言った直後、笑い飛ばしたことが悔やまれます。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 建築

みおつくしの鐘

まずは、大阪市庁舎の変遷から(Wikipedia を参照)――。
【初代】  明治32年(1899)12月29日~大阪市西区江之子島上之町に仮庁舎。
【2代目】 明治45年(1912年)5月18日~大阪市北区堂島浜通2丁目に移転。
【3代目】 大正10年(1921年)5月、大阪市北区中之島1丁目(=現在地)に竣工。
      設計案は大正元年(1912)9月に懸賞募集されており、優秀作・第1席は
      小川陽吉(台湾総督府技師)。大正6年(1917)6月、片岡安が実施設計。
      大正7年(1918)6月に着工し、落成時には大阪市歌も制定。
      昭和57年(1982)6月11日から年末にかけて解体工事。
【4代目】 3代目・市庁舎に隣接して建てられていた別館は、既に解体撤去。
      4代目・市庁舎の第1期工事は、昭和57年2月に竣工。同年末、先代庁舎が
      取り壊された後、昭和61年(1986)1月27日、現庁舎の第2期工事が竣工。
      建築顧問に村野藤吾竹腰健造……竹腰ラインと言うべきか、
       実施設計は「日建設計」、大阪市都市整備局。
       ☆
なお、大阪の市制施行は、明治22年(1889)4月1日ですが、特例により、
東京府、京都府同様、大阪府知事が市長の職務を遂行していました。明治31年
(1898)9月末、市制特例は廃止。同年10月12日、田村太兵衛が初代市長に就任。
初代市庁舎が“仮庁舎”であったのは、当時の市制特例 に由来するものです。
       ☆
さて、本題「みおつくしの鐘」に入りましょう。昭和30年2021_11_19_みおつくしの鐘
(1955)―戦後10年―、大阪市の地域婦人団体協議会
(現・地域女性団体協議会)が、会員(当時15万人)の
発意によって、 “青少年をまもる愛の鐘建設運動
(募金活動)に取り組み、鐘のメロディーで毎夜10時を
告げる「時報装置」と、 母の愛を象徴する「記念鐘」を
製作。同年5月5日に大阪市に寄付し、3代目・市庁舎の
塔屋に設置されました。後世に植え付けられたイメージが
勝ち、先代庁舎に当初から「みおつくしの鐘」が下がって
いたような錯覚を起こしますが、鐘楼ではなく、唯の塔屋。
約六十年の歴史の中で、記念鐘がぶら下がっていたのは、
半分に満たない歳月だったと思われます。現庁舎屋上階の
西テラスに、当時の鐘の現物が保存されていますが、塔屋部分は
移設した物件か、復元した物件か、市の担当者もよくわからないとのこと。青銅製の
鐘の口径は約1.26m(=4尺1寸5分よいこ)、全長約1.82m、重さ約825kg。

参考記事:大阪市 ― みおつくしの鐘

テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡近代建築

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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