★ 2021年11月に読んだ本 ★
村野藤吾『建築をつくる者の心』(ブレーンセンター)
『第164回=文楽公演 令和3年10・11月 国立文楽劇場』
(独立行政法人日本芸術文化振興会)
『文楽床本集 国立文楽劇場 令和3年10・11月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
斎藤茂吉『万葉秀歌 下巻』(岩波新書)……上巻よりは小ましになった気がします。
慣れただけかな。全巻を通読しようという野望はないけれども、『万葉集』の基本は
きちんと押さえて、復習しようとしているところ。他にもいろいろあって、道だけは遠し。
唐十郎『佐川君からの手紙』(河出文庫)……11月「二人の読書会」のテクスト。
佐川一政のキャラが濃過ぎて、唐十郎の作家性が見えづらかったので、積まれたまま
になっていた唐の他の本にも手を出すことにしました。「状況劇場」には幻想を抱き。
唐十郎『唐十郎コレクション3 少女都市からの呼び声[戯曲篇]』(右文書院)
……「少女都市からの呼び声」、「透明人間」、「動物園が消える日」を所収。
唐十郎『唐十郎コレクション2 銀ヤンマ[小説篇]』(右文書院)
……「巷談ジョン・シルバー」、「銀ヤンマ」、「ガラスのヴァギナ」、「少年王者」、
「ズボン」、短篇小説三部作「あたし」(雨のふくらはぎ/銭湯夫人/チヨコ)、
「ダイヤ」、「海星」を所収。少年時代の記憶に基づく同じネタの使い回しが目立つこと
もありますが、上手い具合に機能している時は、良い読み心地を得られます。
『第164回=文楽公演 令和3年10・11月 国立文楽劇場』
(独立行政法人日本芸術文化振興会)
『文楽床本集 国立文楽劇場 令和3年10・11月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
斎藤茂吉『万葉秀歌 下巻』(岩波新書)……上巻よりは小ましになった気がします。
慣れただけかな。全巻を通読しようという野望はないけれども、『万葉集』の基本は
きちんと押さえて、復習しようとしているところ。他にもいろいろあって、道だけは遠し。
唐十郎『佐川君からの手紙』(河出文庫)……11月「二人の読書会」のテクスト。
佐川一政のキャラが濃過ぎて、唐十郎の作家性が見えづらかったので、積まれたまま
になっていた唐の他の本にも手を出すことにしました。「状況劇場」には幻想を抱き。
唐十郎『唐十郎コレクション3 少女都市からの呼び声[戯曲篇]』(右文書院)
……「少女都市からの呼び声」、「透明人間」、「動物園が消える日」を所収。
唐十郎『唐十郎コレクション2 銀ヤンマ[小説篇]』(右文書院)
……「巷談ジョン・シルバー」、「銀ヤンマ」、「ガラスのヴァギナ」、「少年王者」、
「ズボン」、短篇小説三部作「あたし」(雨のふくらはぎ/銭湯夫人/チヨコ)、
「ダイヤ」、「海星」を所収。少年時代の記憶に基づく同じネタの使い回しが目立つこと
もありますが、上手い具合に機能している時は、良い読み心地を得られます。
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人間は橋
「大阪区民カレッジ」北校のまち歩き(12月6日)に備えて、
11月30日13時頃から下見を行っています。大阪市役所・
南西角の「みおつくしプロムナード」に集合。テーマは
「橋を巡って 幕末から維新を歩く」と銘打たれています
が、“橋”は渡るだけで、解説の重点は置かれていない
模様。御堂筋を渡り、「駅逓司大阪郵便役所跡」を確認後、
「大江橋」を渡りました。「堂島ビルヂング」を前に東へ
折れて、“蜆川跡”に思いを馳せます。蜆川(曽根崎川)の
入り口に架かっていたのが「難波小橋」。大阪高等・地方
裁判所の西側の(肥前・佐賀県)「小城藩蔵屋敷跡碑」、
南側の「佐賀藩蔵屋敷跡碑」を眺め、「船入橋」(鍋島藩
蔵屋敷跡)の顕彰碑もチェック。「鉾流橋」を渡りますと、
“バラの小径”から「こども本の森 中之島」西側に設けられた
「自由亭跡碑」と「木村長門守重成表忠碑」をチェック。
「大阪通商・為替会社跡碑」を押さえて、「栴檀木橋」から
「大阪慶應義塾跡」(慶應義塾の最初の分校)記念碑を
回った後、「難波橋(ライオン橋)」南詰まで。以前から撮影
済みの「大阪俵物会所跡碑」、「大阪証券取引所ビル」の
「大阪金相場会所跡碑」を確認しつつ、土佐堀通を東進。
☆
明治8年(1875)、大阪会議の開催された「花外楼」を
眺め遣った時、ぼくは幕末やら明治維新に反応が薄い
と申しますか、世間様の関心の在り方とはずれている
ことを自覚しています。伊藤博文、井上馨、大久保利通、
木戸孝允、板垣退助……誰一人として、好きにはなれず。
東横堀川の分岐点で、「葭屋橋」と「今橋」の生み出す
魅惑のデルタ・ゾーン(右上画像)の方が、幾千倍も素敵
と感じるのですが、賛同者は見つからないものかしら。
☆
「葭屋橋」東詰から北へ横断
歩道を渡ると、左下画像の
「福原ビル」(大阪市中央区
北浜東6-14)が建っています。設計は久野(くの)節
(みさお)で、昭和5年(1930)の建築。大川から観るのと
また異なる風貌で、どきりとさせられました。北浜東
郵便局内の「紀州邸址」碑、「エル・おおさか」、
「京屋忠兵衛」碑などを流して、天満橋の八軒屋
船着場跡(水上バス乗り場)にて解散。「OMM」屋上
スカイガーデンが閉鎖中なのは、ちょっと、残念ですね。
「OMM」B2Fの信州そば処「そじ坊」で軽く呑みながら、
蕎麦で締め。相方とは、中津のグリル「アイ」で合流です。
11月30日13時頃から下見を行っています。大阪市役所・
南西角の「みおつくしプロムナード」に集合。テーマは
「橋を巡って 幕末から維新を歩く」と銘打たれています
が、“橋”は渡るだけで、解説の重点は置かれていない
模様。御堂筋を渡り、「駅逓司大阪郵便役所跡」を確認後、
「大江橋」を渡りました。「堂島ビルヂング」を前に東へ
折れて、“蜆川跡”に思いを馳せます。蜆川(曽根崎川)の
入り口に架かっていたのが「難波小橋」。大阪高等・地方
裁判所の西側の(肥前・佐賀県)「小城藩蔵屋敷跡碑」、
南側の「佐賀藩蔵屋敷跡碑」を眺め、「船入橋」(鍋島藩
蔵屋敷跡)の顕彰碑もチェック。「鉾流橋」を渡りますと、
“バラの小径”から「こども本の森 中之島」西側に設けられた
「自由亭跡碑」と「木村長門守重成表忠碑」をチェック。
「大阪通商・為替会社跡碑」を押さえて、「栴檀木橋」から
「大阪慶應義塾跡」(慶應義塾の最初の分校)記念碑を
回った後、「難波橋(ライオン橋)」南詰まで。以前から撮影
済みの「大阪俵物会所跡碑」、「大阪証券取引所ビル」の
「大阪金相場会所跡碑」を確認しつつ、土佐堀通を東進。
☆
明治8年(1875)、大阪会議の開催された「花外楼」を

眺め遣った時、ぼくは幕末やら明治維新に反応が薄い
と申しますか、世間様の関心の在り方とはずれている
ことを自覚しています。伊藤博文、井上馨、大久保利通、
木戸孝允、板垣退助……誰一人として、好きにはなれず。
東横堀川の分岐点で、「葭屋橋」と「今橋」の生み出す
魅惑のデルタ・ゾーン(右上画像)の方が、幾千倍も素敵
と感じるのですが、賛同者は見つからないものかしら。
☆

歩道を渡ると、左下画像の
「福原ビル」(大阪市中央区
北浜東6-14)が建っています。設計は久野(くの)節
(みさお)で、昭和5年(1930)の建築。大川から観るのと
また異なる風貌で、どきりとさせられました。北浜東
郵便局内の「紀州邸址」碑、「エル・おおさか」、
「京屋忠兵衛」碑などを流して、天満橋の八軒屋
船着場跡(水上バス乗り場)にて解散。「OMM」屋上
スカイガーデンが閉鎖中なのは、ちょっと、残念ですね。
「OMM」B2Fの信州そば処「そじ坊」で軽く呑みながら、
蕎麦で締め。相方とは、中津のグリル「アイ」で合流です。