船場川の橋(1)
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する計画なのですが、前回の画像整理も兼ね、
姫路市を流れる船場川(市川の支流)に架かる
橋を紹介していきたいと思います。「姫路城」を
「桜門橋」から出て、城南線を西へ進めば、
「市之橋」(左上画像2点)を渡ることになるの
です。城の西部中濠と船場川の間に、“千姫の
小径”と名付けられた散策路が整備されており、
ほっとさせられ。市之橋の親柱は擬宝珠付き。
周辺に「千姫像」や「歳徳神社」が在りました。
千姫(1597~1666)の祖父は徳川家康、父が
徳川秀忠、母が江(ごう)。豊臣秀頼の正室に
して、“大坂夏の陣”の後、本多忠刻(ただとき)の
正室となっています。忠刻が伊勢・桑名藩から
元和3年(1617)、姫路に移ったことから、千姫
と姫路城との縁が出来たようですが、忠刻が
31歳で亡くなるなどしたことにより、千姫は
江戸城へ入って、出家したそうです(天樹院)。
☆
船場川に沿って、“千姫の小径”を下っていくと、
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複数体の彫刻が目を愉しませてくれますよ。
「子供と鵞鳥」と同じく、「望」も、高橋忠雄の
作品だったのですけれど、丸々とした健康的な
子供のフォルムに、河合隆三と取り違える
ところでした。「紫水亭」跡地より下流に架かって
いるのが、「車門橋」(右下画像2点)です。すぐ
東の袂に「車門跡」も在りまして、ストレートな
ネーミングですね。車門は、船場川沿いに設け
られた城門の一つ。個人的には、「紫水亭」跡の
前に見えた水路や橋に惹かれていた訳ですが、
足を運んで撮影する余裕は無くて。しかし、現在、
Google ストリートビューで調べてみましたところ、
船入川(船場川と合流)に架かる「炭屋橋」と
判明しました。船場、船入(川)、炭屋橋……と
聞いていますと、大阪の話と思い込みそうね。
水や(堀)川の流れる場所では、一般的な名称、
ありがちな呼び名とはいえ、親近感が湧きます。
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