宮堀川の橋(2)
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「了覺寺橋」は東、「中の橋」は西からの撮影 |
少し追加――宮堀川の東は野田川でしたが、
野田川の飾磨区上野田以北は「外堀川(=
三左衛門堀)」と呼ばれていました。姫路城
本格築城に当たって、池田輝政が開削した
一つであり、“三左衛門”は輝政の異名です。
三左衛門堀により、姫路城と播磨灘(に面した
飾磨津)を直結しようとしたものと思われます。
計画は頓挫して、流路のみが残りましたが、
本多忠政が、船場川から東に掘り進めて、
飾磨津と結び付けることに成功しました――
これが 宮堀川となります。さて、「安楽寺」の
次は「了覺寺橋」(左上画像)。小ぶりながら、
遠目に映える朱塗りの太鼓橋です。「了覚寺」
(姫路市飾磨区151)も近くには在りますが、
「末広橋」交差点(左中画像)よりも西側に
位置しています。境内地を縮小されたのか、
移転したのか、いろいろと想像させられます。
「末広橋」も「宮堀橋」同様、“橋”感に欠ける
憾みがあります。うっかりしていると、橋と
知らずに渡ってしまっているという……道の
リズム、歩行のシンコペーションを愉しめる
空間であると、嬉しいですよね。そして、デジャ
ヴのように現れたのが「中の橋」(左下画像)。
橋のデザインの使い回しはともかく、何が“中”
なのか? 飾磨区“宮”に対する、真ん中の宮
ではないか?と得手勝手に推測しているところ。
何故ならば、次に取り上げるのが「●●橋」なの。
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tag : 橋