太融寺の鐘

同寺の堂塔伽藍一切が昭和20年(1945)6月、戦災で
灰燼に帰していますが、高野山に疎開していた本尊の
「木造千手観音菩薩立像」は難を逃れていました。
第二次世界大戦中、軍需物資の資材調達が求められ
ますけれども、同寺の梵鐘も、「この梵鐘は歴史的
にも美術品としての評価も高い」との評価から、
供出免除となったといわれ、今なお残っている訳です。
延宝3年(1675)鋳造の銅鐘。因みに、“世界一”と
いわれた「四天王寺」の巨大な梵鐘(高さ7.7m、重さ
15.8t)は供出を免れず、主を失った鐘楼は、現在、
「英霊堂」として使用されています。この場合の“英霊”
とは、人でなく、“鐘”ですよね。戦地に赴いて、散った梵鐘も戦死者の一人でしょう。
戦中に供出される鐘……ぼくはすぐさま、横溝正史 『獄門島』を想起してしまいます。
参考文献:『太融寺史 ―千二百年の歩み―』(佳木山太融寺)
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