若手素浄瑠璃
3月4日(金)13時から、「国立文楽劇場」小ホールにて、
「若手素浄瑠璃の会」を鑑賞しました。「御所桜堀川夜討」
弁慶上使の段は豊竹希太夫と鶴澤清公、「壺阪観音
霊験記」沢市内より山の段は豊竹亘太夫と鶴澤清允
(ツレに鶴澤清方)でした。「壺坂観音霊験記」は馴染み
深い演目ですが、「御所桜堀川夜討」は初めて聴くかと
思われます。両太夫はいずれも、豊竹呂太夫に入門して
おり、比較してどうのではないですけれど、現在のぼくの
気分には、亘太夫がしっくりと来るようです。人形が出て
こない素浄瑠璃ですから、詞章そのものに集中させられ、
ここで泣く、ここで笑わせる――など、内心は演出家気取り。
どう考えたっておかしい、非合理な状況の中で(単に時代の
違いのせいでなく、人工的に設えた極度の“劇的状況”)、
どうやって聴き手を引き込んだものやら……ミステリー・
マニアだった人間には“情”の埒外、知的な興奮の源です。
「若手素浄瑠璃の会」を鑑賞しました。「御所桜堀川夜討」
弁慶上使の段は豊竹希太夫と鶴澤清公、「壺阪観音
霊験記」沢市内より山の段は豊竹亘太夫と鶴澤清允
(ツレに鶴澤清方)でした。「壺坂観音霊験記」は馴染み
深い演目ですが、「御所桜堀川夜討」は初めて聴くかと
思われます。両太夫はいずれも、豊竹呂太夫に入門して
おり、比較してどうのではないですけれど、現在のぼくの
気分には、亘太夫がしっくりと来るようです。人形が出て
こない素浄瑠璃ですから、詞章そのものに集中させられ、
ここで泣く、ここで笑わせる――など、内心は演出家気取り。
どう考えたっておかしい、非合理な状況の中で(単に時代の
違いのせいでなく、人工的に設えた極度の“劇的状況”)、
どうやって聴き手を引き込んだものやら……ミステリー・
マニアだった人間には“情”の埒外、知的な興奮の源です。
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