【西】道頓堀川の橋(3)
「西道頓堀橋」を渡り、道頓堀川の北岸を西進。
「幸橋(さいわいばし)」の歴史は古く、西道頓堀の
沿岸が開発された元禄11年(1698)に遡ります。
幸橋の他、同じ頃に架けられたのが「住吉橋」、
「汐見橋」、「日吉橋」の計4橋。現在の幸橋
(右上画像)は昭和43年(1968)に架け替え
られた連続桁橋(橋長46.0m、幅員9.4m)です。
幸橋をそのまま南下して行くと、「ぞろぞろ」の
「赤手拭稲荷神社」でしたね。最寄りの駅は
Osaka Metro・千日前線の桜川。“桜川”という
地名は、元禄11年に開削された(堀)川に因み、
湊町の辺りから分流していたようで、大正3年
(1914)に埋め立てられています。「幸西橋
(こうさいばし)」が最初に架けられたのは大正8年
(1919)。あみだ池筋に架かっているので、
昭和45年(1970)に架け替えられた現在の橋
(右下画像)の幅員(=20m)は、幸橋の倍近く
あります。幸西橋くらいまで来ると、橋の上から
「京セラ
ドーム大阪」が視界に入ってくるようです。
幸橋の上からでも眺められそうなものですが、
今回は気付きませんでした。あみだ池筋の西を
南北に走っている新なにわ筋に架かっている
訳ですから、「汐見橋」(左画像2点)は堂々たる
物件です。往時の別名「唐金橋(とうがねばし)」。
昭和39年(1964)に完成した現在の橋は、
3径間連続合成桁という構造で、橋長45.5m、
幅員32.0mとなります。新なにわ筋を北上して、
中之島を通過する際、土佐堀川の「湊橋」、
堂島川の「上船津橋」を渡ることになりますよ。
頭の中で、大阪市浪速区~西区~北区(~
福島区)の地図を思い描き、河川の上に一本
一本、橋を架けていくのでした。西区の南は
道頓堀川、東は(元)西横堀川、北は土佐堀
川で区切られています。道頓堀川の終点も
間近に迫ってきました。橋としては残り1本(基)。
![]() |
![]() |
「幸橋」(上)と「幸西橋」 |
「幸橋(さいわいばし)」の歴史は古く、西道頓堀の
沿岸が開発された元禄11年(1698)に遡ります。
幸橋の他、同じ頃に架けられたのが「住吉橋」、
「汐見橋」、「日吉橋」の計4橋。現在の幸橋
(右上画像)は昭和43年(1968)に架け替え
られた連続桁橋(橋長46.0m、幅員9.4m)です。
幸橋をそのまま南下して行くと、「ぞろぞろ」の
「赤手拭稲荷神社」でしたね。最寄りの駅は
Osaka Metro・千日前線の桜川。“桜川”という
地名は、元禄11年に開削された(堀)川に因み、
湊町の辺りから分流していたようで、大正3年
(1914)に埋め立てられています。「幸西橋
(こうさいばし)」が最初に架けられたのは大正8年
(1919)。あみだ池筋に架かっているので、
昭和45年(1970)に架け替えられた現在の橋
(右下画像)の幅員(=20m)は、幸橋の倍近く
あります。幸西橋くらいまで来ると、橋の上から
![]() |
![]() |
ドーム大阪」が視界に入ってくるようです。
幸橋の上からでも眺められそうなものですが、
今回は気付きませんでした。あみだ池筋の西を
南北に走っている新なにわ筋に架かっている
訳ですから、「汐見橋」(左画像2点)は堂々たる
物件です。往時の別名「唐金橋(とうがねばし)」。
昭和39年(1964)に完成した現在の橋は、
3径間連続合成桁という構造で、橋長45.5m、
幅員32.0mとなります。新なにわ筋を北上して、
中之島を通過する際、土佐堀川の「湊橋」、
堂島川の「上船津橋」を渡ることになりますよ。
頭の中で、大阪市浪速区~西区~北区(~
福島区)の地図を思い描き、河川の上に一本
一本、橋を架けていくのでした。西区の南は
道頓堀川、東は(元)西横堀川、北は土佐堀
川で区切られています。道頓堀川の終点も
間近に迫ってきました。橋としては残り1本(基)。
スポンサーサイト