大阪城の蛙石 in 元興寺
大阪にいて奈良のことを思い出し、奈良に赴けば、
大阪(城)に縁のある物件と遭遇する――奇妙な
ことです。約1か月前、「元興寺」で相見(まみ)えた
「大阪城の蛙石」についてメモ。説明板から転記。
☆
江戸時代の奇石を集めた『雲根志』に載せられている大阪城の蛙石である。河内の川べりにあった殺生石だった様だが、後に太閤秀吉が気に入って大阪城に運び込まれたという。淀君の霊がこもっているとも云い、近代には乾櫓から堀をはさんだ対岸隅にあった。大阪城にあった頃は堀に身を投げた人も必ずこの石の下に帰ると言われた。ご縁があって、この寺に移され、極楽堂に向かって安置された。
福かえる、無事かえるの名石として、毎年七月七日に供養される。

大阪(城)に縁のある物件と遭遇する――奇妙な
ことです。約1か月前、「元興寺」で相見(まみ)えた
「大阪城の蛙石」についてメモ。説明板から転記。
☆
江戸時代の奇石を集めた『雲根志』に載せられている大阪城の蛙石である。河内の川べりにあった殺生石だった様だが、後に太閤秀吉が気に入って大阪城に運び込まれたという。淀君の霊がこもっているとも云い、近代には乾櫓から堀をはさんだ対岸隅にあった。大阪城にあった頃は堀に身を投げた人も必ずこの石の下に帰ると言われた。ご縁があって、この寺に移され、極楽堂に向かって安置された。
福かえる、無事かえるの名石として、毎年七月七日に供養される。
嶋嘉橋/率川地蔵尊
(シフト上)前夜22時からの深夜勤務が始まって
いまして、4日連続なのよねえ……前日(19日)は
「扇町小学校」の授業に協力。寝る間を削るしか
ないのだけれど、何を死に急いでいるんだか。
起きながらにして見る夢は古都を駆け巡り……。
☆
「興福寺」から猿沢池に下りて、そのまま南へ
歩を進めると、石の高欄が残る小さな橋に行き
当たります。ほとんど暗渠化されている率川
(いさがわ)に架かっている「嶋嘉橋」でありました。
☆
「絵屋橋」も率川に架かっていた橋でしたね。橋名板は
望むべくもないのですが、石造りの橋脚に「明和七(1770)
庚寅年五月吉日」、「嶋屋嘉兵衛」と刻まれています。
資材を投じて橋を架けたという嶋屋嘉兵衛から、橋名を
採った模様。率川の細い流れに目を遣り、ぎょっとします
地蔵の群れ。舟の形に設えられた中州に祀られた「率川
地蔵尊」は、暗渠化~護岸工事の際、率川に捨てられて
いた(おそらくは廃仏毀釈)石像、約60体が集められた物
でして、以前は「川中地蔵」と呼ばれ、「尾花谷地蔵尊」、
「舟地蔵」といった別名もあるようです。コンクリート製の
小舟に乗ったお地蔵さんは、ビジュアル的に面白く、水の
見えなくなった川を通して、どこへ連れて行かれるのやら。

いまして、4日連続なのよねえ……前日(19日)は
「扇町小学校」の授業に協力。寝る間を削るしか
ないのだけれど、何を死に急いでいるんだか。
起きながらにして見る夢は古都を駆け巡り……。
☆
「興福寺」から猿沢池に下りて、そのまま南へ
歩を進めると、石の高欄が残る小さな橋に行き
当たります。ほとんど暗渠化されている率川
(いさがわ)に架かっている「嶋嘉橋」でありました。
☆

望むべくもないのですが、石造りの橋脚に「明和七(1770)
庚寅年五月吉日」、「嶋屋嘉兵衛」と刻まれています。
資材を投じて橋を架けたという嶋屋嘉兵衛から、橋名を
採った模様。率川の細い流れに目を遣り、ぎょっとします
地蔵の群れ。舟の形に設えられた中州に祀られた「率川
地蔵尊」は、暗渠化~護岸工事の際、率川に捨てられて
いた(おそらくは廃仏毀釈)石像、約60体が集められた物
でして、以前は「川中地蔵」と呼ばれ、「尾花谷地蔵尊」、
「舟地蔵」といった別名もあるようです。コンクリート製の
小舟に乗ったお地蔵さんは、ビジュアル的に面白く、水の
見えなくなった川を通して、どこへ連れて行かれるのやら。
校区を知る

といったカリキュラムが組み込まれているようでして、
北区ガイドボランティアの一員として、協力させていただき
ました。4クラスなので、4班に分かれます。ぼくは「扇町
小学校」北東エリア(北天満)の分担。「扇町公園」~
「関西テレビ」、北区役所の前を通り、ガード下を西進し、
「クラブ温泉」、黒崎町公園・交番、「黒崎橋?!」、
浪花町郵便局、浮田(消防)出張所、「北向地蔵尊」、
「青龍明神/黒崎明神」、おいでやす通り(天五中崎通
商店街)、北天満会館・老人憩の家――等を回りました。
とにかく、子供らが元気いっぱいで、当てられっぱなし。
元氏担任にもお世話になりました。画像は「扇町小学校」
敷地内に保存されている旧「大阪市立扇町中学校」門柱です。旧「扇町中学校」の
敷地は、現在の「北野病院」敷地となります。「扇町小学校」と「北野病院」は南北に
並んで位置するので、門柱が元々現在地に建っていたのか、「北野病院」から移設
されたのか、判断に迷わされました。どうせ移設するのであれば、「天満中学校」に
置く方が、筋が通るように思われますからね……昭文社「ニューエストS 大阪府
都市地図」(1990年7月発行)を参照してみました。旧「扇町中学校」の敷地全体が
「北野病院」となった訳でなく、その南側一部は「扇町小学校」敷地に含まれるのか。
関目漂泊
先週末(4月15日)、城東区のまち歩きガイドの下見に参加できなかったため、
4月18日(月)、Osaka Metro・蒲生四丁目駅へ向かい、独りで今福・関目から
古市界隈を漂泊するのでした。「城東区複合施設」から東に在る城東区役所前
交差点をそのまま東へ進んで行きました。杉山街道を横切り、「やまもと歯科」の
辺りで突き当たり。本来であれば、南下するルートだったと後で知る訳ですが、
ぼくは北へ進んでから、東へ折れました。「タイムズ・ピース・スクエア」(大阪市
城東区今福西6丁目2−1)に気になる物件が在ったのです。道行く人に尋ねます。
☆
同マンションは、「松下エコシステムズ」跡地。その一画に
「扇風機発祥の地」を謳うメモリアル・モニュメントが設置
されていました。松下エコシステムズ前身の「川北電気
企業社」(明治42年創業)が大正2年(1913)、国産初の
交流式扇風機「タイフーン」を送り出した地なのですよ。
かつての工場では、およそ1世紀にわたって、累計1億台
以上の扇風機を生産。今福工場が閉鎖されたのは、平成
17年(2005)で、松下エコシステムズという社名も平成
20年(2008)、「パナソニックエコシステムズ」に変更され
ました。マンションを東へ抜けて、回り込んで、城北川を
目指します(城北川に架かる橋の紹介は、また後日に)。
☆
城北川遊歩道への降り口がバリアフリー化されているかどうかが、非常に懸念される
ところ。再チェックが必要かもしれません。「日新製糖」今福工場の艀(はしけ)を運河
越しに眺めながら北上して、「南菫橋」から西へ。途中でまた北へ折れ、「関目2丁目
・4丁目の楠並木」を見物しつつ、2丁目と4丁目の境で、再び、城北川へ。「中菫橋」
東詰から「リビエール関目」へ入り、「大阪大国技館跡」を確認します。UR賃貸住宅を
東へ出て、古市中公園の「菫之荘土地区画整理事業完成の記念碑」を画像に収め、
公園の北向かいに位置する「大阪信愛学院」の建築物を眺めながら、ぐるっと回って、
「北菫橋」を西へ渡りました。まち歩きコースのポイント自体は押さえていますが……。
☆
舗道の工事が盛んに行われているのが気掛かり。
極めてレトロな佇まいの甘味処「関目冷菓」
(城東区関目5丁目-16-32)を見かけて、迷わず
飛び込みました。かき氷(マンゴー)、回転焼き、
冷やしコーヒーを廉価で頂けます。「赤一かどや」
同様、懐かしい下町風情の残るお店で、天満には
少なくなってしまったので、非常に羨ましい限り。
杉山通商店会、関目商店街を過ぎて見つけた
「SUP JAPANESE TEA CAFE」(城東区関目
5丁目-15-34)では、手作りおはぎもテイク・アウト。
期せずして、“抹茶めぐり”のオリジナル・カードを
手に入れました。内容的には“あんこ”ですけどね。
Osaka Metro・関目成育から帰途に就くのでした。
4月18日(月)、Osaka Metro・蒲生四丁目駅へ向かい、独りで今福・関目から
古市界隈を漂泊するのでした。「城東区複合施設」から東に在る城東区役所前
交差点をそのまま東へ進んで行きました。杉山街道を横切り、「やまもと歯科」の
辺りで突き当たり。本来であれば、南下するルートだったと後で知る訳ですが、
ぼくは北へ進んでから、東へ折れました。「タイムズ・ピース・スクエア」(大阪市
城東区今福西6丁目2−1)に気になる物件が在ったのです。道行く人に尋ねます。
☆

「扇風機発祥の地」を謳うメモリアル・モニュメントが設置
されていました。松下エコシステムズ前身の「川北電気
企業社」(明治42年創業)が大正2年(1913)、国産初の
交流式扇風機「タイフーン」を送り出した地なのですよ。
かつての工場では、およそ1世紀にわたって、累計1億台
以上の扇風機を生産。今福工場が閉鎖されたのは、平成
17年(2005)で、松下エコシステムズという社名も平成
20年(2008)、「パナソニックエコシステムズ」に変更され
ました。マンションを東へ抜けて、回り込んで、城北川を
目指します(城北川に架かる橋の紹介は、また後日に)。
☆
城北川遊歩道への降り口がバリアフリー化されているかどうかが、非常に懸念される
ところ。再チェックが必要かもしれません。「日新製糖」今福工場の艀(はしけ)を運河
越しに眺めながら北上して、「南菫橋」から西へ。途中でまた北へ折れ、「関目2丁目
・4丁目の楠並木」を見物しつつ、2丁目と4丁目の境で、再び、城北川へ。「中菫橋」
東詰から「リビエール関目」へ入り、「大阪大国技館跡」を確認します。UR賃貸住宅を
東へ出て、古市中公園の「菫之荘土地区画整理事業完成の記念碑」を画像に収め、
公園の北向かいに位置する「大阪信愛学院」の建築物を眺めながら、ぐるっと回って、
「北菫橋」を西へ渡りました。まち歩きコースのポイント自体は押さえていますが……。
☆
舗道の工事が盛んに行われているのが気掛かり。

極めてレトロな佇まいの甘味処「関目冷菓」
(城東区関目5丁目-16-32)を見かけて、迷わず
飛び込みました。かき氷(マンゴー)、回転焼き、
冷やしコーヒーを廉価で頂けます。「赤一かどや」
同様、懐かしい下町風情の残るお店で、天満には
少なくなってしまったので、非常に羨ましい限り。
杉山通商店会、関目商店街を過ぎて見つけた
「SUP JAPANESE TEA CAFE」(城東区関目
5丁目-15-34)では、手作りおはぎもテイク・アウト。
期せずして、“抹茶めぐり”のオリジナル・カードを
手に入れました。内容的には“あんこ”ですけどね。
Osaka Metro・関目成育から帰途に就くのでした。
忠信合邦
「4月文楽公演」はまだ、第3部しか鑑賞できておらず、
第1部、第2部を聴きに「国立文楽劇場」にお出掛けです。
第1部は11時開演。幕開き三番叟が聞こえてくる中、
エスカレーターを昇っていきました。「義経千本桜」
伏見稲荷の段/道行初音旅/河連法眼館の段のうち、
初音旅と法眼館は、先月の「フェニーチェ文楽」でも
楽しんだばかり。二段目「伏見稲荷」が加わることにより、
狐忠信の登場シーンからストーリーを追うことが出来ます。
「道行初音旅」の生鑑賞は4回目。静御前は竹本錣太夫、
狐忠信は竹本織太夫。法眼館の中は豊竹呂勢太夫に
野澤錦糸、切が豊竹咲太夫に鶴澤燕三でした。今回も
桐竹勘十郎師匠は宙乗りを行いまして、華やかで良いなあ。
☆
第1部の終演が13時40分頃で、第2部の開演が14時15分。
「マイティ・ルゥ」(大阪市中央区高津3丁目2−20)へ赴くと、
看板などが若干変わっていました。レンズ豆とほうれん草の
カレーを頂き、珈琲を飲んで、劇場へ駆け戻れば、開演まで
数分という状況でしたが、心を静めて、開幕を待つのです。
☆
第2部は「摂州合邦辻」万代池の段/合邦住家の段――。
咲太夫に加え、竹本呂太夫、錣太夫、千歳太夫が“切り語り”
となりましたが、次は竹本三輪太夫なのかな?などと思いつつ、
豊竹咲寿太夫に耳を引き付けられています。合邦住家の段は
前が豊竹呂勢太夫と鶴澤清治、切が豊竹呂太夫と鶴澤清介
と、何とも贅沢な気分になります。玉手御前を遣うのは吉田和生。
切(=合邦庵室の段)については、昨年末、同じ呂太夫と清介
による素浄瑠璃を聴いていましたから、感慨ひとしお。呂太夫の
語りを受けて、「オイヤイ」の辺りに来ますと、客席から拍手が
沸き起こっていました。しかしながら、4月公演を通して振り返れば、
合邦と玉手御前、景清と糸滝……父と娘(親と子)の情(と義)という
テーマに絞り込まれている感が強く、見取りではあれ、総花式の
演目に終わらせぬよう、何かと企図していることは伝わってきます。
第1部、第2部を聴きに「国立文楽劇場」にお出掛けです。
第1部は11時開演。幕開き三番叟が聞こえてくる中、
エスカレーターを昇っていきました。「義経千本桜」
伏見稲荷の段/道行初音旅/河連法眼館の段のうち、
初音旅と法眼館は、先月の「フェニーチェ文楽」でも
楽しんだばかり。二段目「伏見稲荷」が加わることにより、
狐忠信の登場シーンからストーリーを追うことが出来ます。
「道行初音旅」の生鑑賞は4回目。静御前は竹本錣太夫、
狐忠信は竹本織太夫。法眼館の中は豊竹呂勢太夫に
野澤錦糸、切が豊竹咲太夫に鶴澤燕三でした。今回も
桐竹勘十郎師匠は宙乗りを行いまして、華やかで良いなあ。
☆
第1部の終演が13時40分頃で、第2部の開演が14時15分。
「マイティ・ルゥ」(大阪市中央区高津3丁目2−20)へ赴くと、
看板などが若干変わっていました。レンズ豆とほうれん草の
カレーを頂き、珈琲を飲んで、劇場へ駆け戻れば、開演まで
数分という状況でしたが、心を静めて、開幕を待つのです。
☆
第2部は「摂州合邦辻」万代池の段/合邦住家の段――。
咲太夫に加え、竹本呂太夫、錣太夫、千歳太夫が“切り語り”
となりましたが、次は竹本三輪太夫なのかな?などと思いつつ、
豊竹咲寿太夫に耳を引き付けられています。合邦住家の段は
前が豊竹呂勢太夫と鶴澤清治、切が豊竹呂太夫と鶴澤清介
と、何とも贅沢な気分になります。玉手御前を遣うのは吉田和生。
切(=合邦庵室の段)については、昨年末、同じ呂太夫と清介
による素浄瑠璃を聴いていましたから、感慨ひとしお。呂太夫の
語りを受けて、「オイヤイ」の辺りに来ますと、客席から拍手が
沸き起こっていました。しかしながら、4月公演を通して振り返れば、
合邦と玉手御前、景清と糸滝……父と娘(親と子)の情(と義)という
テーマに絞り込まれている感が強く、見取りではあれ、総花式の
演目に終わらせぬよう、何かと企図していることは伝わってきます。
造幣局旧正門
令和最初の通り抜け

取りに、城東区民センター(蒲生四丁目)まで
出掛け、その足で天満橋へ移動。「天満橋」を
渡り、造幣局で3年ぶりの「桜の通り抜け」
――前回が平成最後だったので、今回が
令和最初の通り抜けになりますね。前年
(2021)ならば、造幣局創業150周年にも
当たりましたが……事前申込制で、入場制限
されていたことから、ゆったりとした人の流れ
です。インバウンド客の姿がほとんど見えず、中国語や韓国語の場内アナウンスが
無くなったのはよいけれど、NMB48も要らないなあ。今年の桜の開花は早かったと
思われ、局内も遅咲きの八重桜系しか残っていないようでした。令和4年の花は
「福禄寿」。ぼくの好みは、「渦桜」や「御衣黄」かな。大川沿いに屋台も出ておらず、
雑踏で揉みくちゃになっていた高揚感とは無縁ながら、少々閑散としているくらいの
方が、花を愛でるには最適でしょう。桜の他にも、見るべき物が多々ありますし。
北門出口に間近い「ミントショップ」で、「造幣せんべい」等を購入しましたよ。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術
下水道科学館

無い「東洋ガラス」工場で、日払いのバイトに勤しんだ
こともありますねえ。駐輪場の在る南側に出て、「大阪市
下水道科学館」を目指しました。16時前なので少し焦り、
案内板や警察官に確認しながら、「下水道科学館」
(大阪市此花区高見1丁目2−53)に急ぎます。福島区
かと思えば、海老江下水処理場から西へ行くと、区が
変わっています。入り口で真っ先に目当てのマンホール
カードを手に入れますと、3~6F、B1Fを30分程度で
巡回し、子供ではないですが、9種のマンホール蓋の
スタンプも集めました(インクを使わない圧印式で秀逸)。
配布されていたカードのデザインは「キン肉マン」でした
が、左上画像は「大阪市下水道事業125周年記念マンホールふた」で、科学館の
前に設置されているのです。因みに、「キン肉マン」マンホール蓋のデザインは全5種。
「下水道展 '21 大阪」のフォト・ラリーも終わっており、落ち着いて、探しに行けそう。
ヘンチキ礼讃
南海・高野線の堺東駅で下車。西出口から地上に下りて、
バス・ターミナル前の「堺東観光案内所」に入り、第16弾
(令和4年1月15日発行)マンホールカードを入手しました。
アルフォンス・ミュシャのマンホールは知っていましたけど、
カードが出されていたことは、アンテナに引っ掛かっておらず。
堺東から南海~Osaka Metro~阪急電車(西宮北口乗り換え)
経由で、門戸厄神を目指しました。1時間少々は要します。
18時30分から、「門戸寄席(J:SPACE)」での「桂文鹿
ミニ独演会」を聴くのでした。主催者の安田夫妻には、顔と
名前を覚えられているので、何かと安心。最初が「ん廻し(=
田楽喰い)」。長万部では、“焼き鳥”と言えば豚が出てくると
文鹿さんが仰っていましたが、久留米などでも、串焼き全般を
“焼きとり”と呼びますよね。また、“田楽”では伝わりにくいから
と、焼き鳥に替えての口演でした。豆腐推しとしては、あまり、
アレンジしてほしくない微妙なところ。弟弟子の桂恩狸(おんり)が
開口二番を務めますと、「二十四孝」。続いて、文鹿さんが再び
高座に上がり、「MADE IN INDIA」。インド噺を “東の旅”の
ような続き物にし、“WELCOME TO INDIA”としてまとめたい
という構想には大賛成です。文鹿さんにしか出来ませんもの。
中入りを挟んでのトリは「天神山」。「一心寺」や「安居神社」が
出てくる上方らしいネタです。ヘンチキの源助のような人間が
飄々として暮らせる世の中こそ、多様性(diversity)を受容
できる社会だと思いますの。コンプライアンスの意味を歪曲して、
企業倫理は社会規範(良識)から免責されると言わんばかりの
了見違いや、自己情報コントロール権について知らぬ存ぜぬの
インターネット関連業者の厚顔無恥ぶり。勝手にさせやがれ。
バス・ターミナル前の「堺東観光案内所」に入り、第16弾
(令和4年1月15日発行)マンホールカードを入手しました。
アルフォンス・ミュシャのマンホールは知っていましたけど、
カードが出されていたことは、アンテナに引っ掛かっておらず。
堺東から南海~Osaka Metro~阪急電車(西宮北口乗り換え)
経由で、門戸厄神を目指しました。1時間少々は要します。
18時30分から、「門戸寄席(J:SPACE)」での「桂文鹿
ミニ独演会」を聴くのでした。主催者の安田夫妻には、顔と
名前を覚えられているので、何かと安心。最初が「ん廻し(=
田楽喰い)」。長万部では、“焼き鳥”と言えば豚が出てくると
文鹿さんが仰っていましたが、久留米などでも、串焼き全般を
“焼きとり”と呼びますよね。また、“田楽”では伝わりにくいから
と、焼き鳥に替えての口演でした。豆腐推しとしては、あまり、
アレンジしてほしくない微妙なところ。弟弟子の桂恩狸(おんり)が
開口二番を務めますと、「二十四孝」。続いて、文鹿さんが再び
高座に上がり、「MADE IN INDIA」。インド噺を “東の旅”の
ような続き物にし、“WELCOME TO INDIA”としてまとめたい
という構想には大賛成です。文鹿さんにしか出来ませんもの。
中入りを挟んでのトリは「天神山」。「一心寺」や「安居神社」が
出てくる上方らしいネタです。ヘンチキの源助のような人間が
飄々として暮らせる世の中こそ、多様性(diversity)を受容
できる社会だと思いますの。コンプライアンスの意味を歪曲して、
企業倫理は社会規範(良識)から免責されると言わんばかりの
了見違いや、自己情報コントロール権について知らぬ存ぜぬの
インターネット関連業者の厚顔無恥ぶり。勝手にさせやがれ。
タイル100年

ました。10時から、ガイドボランティアの2021年度新会員
と役員のミーティングが開かれたためです。11時半には
閉会しました。昼時分に足を運んだ天八のスパイス食堂
「ベホマズン」は開いておらず、「PAPAN Kitchen」は
12~13日と臨時休業。画像は移動中に撮影した「天七
跨線人道橋」です。Osaka Metro・堺筋線と相互直通
運転を行っている阪急・千里線の電車が、天神橋筋
六丁目駅から北、「加納総合病院」の前辺りで地上を
出入りしていますから、歩道橋が必要となります。15時
から、INAXライブミュージアムのオンライン・シンポジウム
「タイルのこれまでとこれから」を Youtube で視聴。
“タイル名称統一100年”を記念しての巡回企画展「日本のタイル100年 ― 美と
用のあゆみ」開催に連動しての企画でして、ゲストが藤森照信、若林亮(日建設計)。
近代建築史のビッグ・ネームがぞろぞろ出てくる藤森先生のお話が刺激満載で、
再配信(4月18日~8月30日)は要チェックですよ。予定終了時刻の16時半から
ようやく座談会となりましたが、約束の刻限に間に合わなくなるので、中津へ移動。
17時から、グリル「アイ」(大阪市北区豊崎3丁目15−2)で夕食を頂くのでした。
☆
帰宅時、天神橋筋商店街のアーケードを歩きます。阪急・西宮駅北口駅のガチャ
ガチャで目にして、気になっていた「関西電力送配電」鉄塔ミニチュア・コレクション。
同じ商品を発見したので、1回だけ(500円)回してみました。すると、全4種のうち、
一番欲しかった「播磨西線No.1(=はりにし)」をゲット……できたつもりで、よく
よく見ると、「賤母線No.8」でした。岐阜県中津川市で、大正8年(1919)の竣工。
見ようによったら、ちょっと、鋼田一豊大の住んでいる鉄塔に見えなくないかな?!
参考記事:「天六」はなぜフツーの駅になったのか 大阪の一大ターミナルだった天神橋筋六丁目