紹鴎森天満宮
「加賀谷天満宮」の撫で牛を眺めた時、天神さんに牛は
必須アイテムだから……と、「紹鴎森天満宮」のことを
思い起こしていました。絵馬殿の前に奉納されており、
嗚呼、天神さんだったか、と再認識させられる神社です。
大胆にも、「天満宮」だけで通そうとしているように窺え、
「伊勢神宮かよ!」と突っ込みたくもなりました。別名が
「天神森天満宮」、「天下茶屋天満宮」、「子安天満宮」
――応永年間(1394~1428)に「北野天満宮」から勧請。
菅丞相が筑紫への左遷時、「住吉大社」へ参拝の折、
休息された土地だそうです。「紹鴎森天満宮」(大阪市
西成区岸里東2丁目3番19号)の本殿は、元禄15年
(1702)の建立。樹齢600年を超えるというクスノキが鬱蒼
と茂っていることから、“天神の森”(すぐ東側に阪堺電気
軌道・阪堺線の「天神ノ森」駅)と呼ばれ、その森の一隅に
武野紹鴎(1502~1555)が茶室を構えていたともいいます。
さらには、豊臣秀吉(1537~1598)が堺や住吉への往来の
途中、森の西側で茶の湯を楽しんだといい、「殿下茶屋」=
「天下茶屋(てんがちゃや)」と称されることに……淀君懐妊の際、
秀吉が参詣したという子安石も祀られているのですが、全体に
荒涼とした空気が漂っており、うら寂しいのは土地柄でしょうか。

必須アイテムだから……と、「紹鴎森天満宮」のことを
思い起こしていました。絵馬殿の前に奉納されており、
嗚呼、天神さんだったか、と再認識させられる神社です。
大胆にも、「天満宮」だけで通そうとしているように窺え、
「伊勢神宮かよ!」と突っ込みたくもなりました。別名が
「天神森天満宮」、「天下茶屋天満宮」、「子安天満宮」
――応永年間(1394~1428)に「北野天満宮」から勧請。
菅丞相が筑紫への左遷時、「住吉大社」へ参拝の折、
休息された土地だそうです。「紹鴎森天満宮」(大阪市
西成区岸里東2丁目3番19号)の本殿は、元禄15年
(1702)の建立。樹齢600年を超えるというクスノキが鬱蒼
と茂っていることから、“天神の森”(すぐ東側に阪堺電気
軌道・阪堺線の「天神ノ森」駅)と呼ばれ、その森の一隅に
武野紹鴎(1502~1555)が茶室を構えていたともいいます。
さらには、豊臣秀吉(1537~1598)が堺や住吉への往来の
途中、森の西側で茶の湯を楽しんだといい、「殿下茶屋」=
「天下茶屋(てんがちゃや)」と称されることに……淀君懐妊の際、
秀吉が参詣したという子安石も祀られているのですが、全体に
荒涼とした空気が漂っており、うら寂しいのは土地柄でしょうか。
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