城東区の変遷
先日の講座で、受講生から出された疑問に対して、
回答を保留していた案件があり、調べてみると、
資料の不備が発覚。前日(11日)、M代表に電話
して確認を取ると、既に訂正を入れていたとのこと。
“(大阪市)城東区の変遷”については、下記のとおり。
☆
明治22年(1889)4月1日、市制および町村制施行。
大阪市は東区/西区/南区/北区。他に東成郡/西成郡/住吉郡の計4区3郡。
東成郡は榎並村/鯰江村/古市村/榎本村/北新開荘村/中本村から成る。
明治30年(1897) 第1次市域拡張。
大正5年(1916) 北新開荘村が城東村に改称。
大正14年(1925)4月1日 第2次市域拡張。大阪市は計13区。
東成郡は東成区として大阪市に編入される。
昭和7年(1932)10月1日 分増区を経て、大阪市は計15区。
東成区は、中本町域(現・森之宮、中浜)を除く東成区と、旭区(新設)に分かれる。
昭和18年(1943)4月1日 城東区(東成区北西部+旭区南部)が発足。
大阪市は計22区。
昭和30年(1955)4月3日 第3次市域拡張(計22区)。
城東区に北河内郡茨田町(現・鶴見区北東部)を合併。
昭和49年(1974)7月22日 分増区を経て、大阪市は計26区。
城東区の東部(大阪内環状線以東、第二寝屋川以北)が鶴見区となる。
平成元年(1989)2月13日 合区を経て、大阪市は計24区。
東区と南区が中央区になり、大淀区は北区に編入。
平成28年(2016) 「城東区複合施設」開設。
回答を保留していた案件があり、調べてみると、
資料の不備が発覚。前日(11日)、M代表に電話
して確認を取ると、既に訂正を入れていたとのこと。
“(大阪市)城東区の変遷”については、下記のとおり。
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明治22年(1889)4月1日、市制および町村制施行。
大阪市は東区/西区/南区/北区。他に東成郡/西成郡/住吉郡の計4区3郡。
東成郡は榎並村/鯰江村/古市村/榎本村/北新開荘村/中本村から成る。
明治30年(1897) 第1次市域拡張。
大正5年(1916) 北新開荘村が城東村に改称。
大正14年(1925)4月1日 第2次市域拡張。大阪市は計13区。
東成郡は東成区として大阪市に編入される。
昭和7年(1932)10月1日 分増区を経て、大阪市は計15区。
東成区は、中本町域(現・森之宮、中浜)を除く東成区と、旭区(新設)に分かれる。
昭和18年(1943)4月1日 城東区(東成区北西部+旭区南部)が発足。
大阪市は計22区。
昭和30年(1955)4月3日 第3次市域拡張(計22区)。
城東区に北河内郡茨田町(現・鶴見区北東部)を合併。
昭和49年(1974)7月22日 分増区を経て、大阪市は計26区。
城東区の東部(大阪内環状線以東、第二寝屋川以北)が鶴見区となる。
平成元年(1989)2月13日 合区を経て、大阪市は計24区。
東区と南区が中央区になり、大淀区は北区に編入。
平成28年(2016) 「城東区複合施設」開設。
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