偉大なる暗闇
学生時代、夏目漱石が嫌いで嫌いで……ただ、
苦手とするだけに、弱点を克服する意味合いから、
好きな作家を後に回して、二読三読……と繰り返し
読んでいたことも事実。『吾輩は猫である』、『夢十夜』、
『草枕』等は嫌いでなくてね。この度は『三四郎』を
思い出してしまいました。三四郎の友人、与次郎が
広田先生を評する語、“偉大なる暗闇”ですけれども。
☆
大黒天は、古代インドの公式言語だったサンスクリットでは、「マハーカーラ」という。マハーは、「大いなる」とか「偉大な」を意味する。「摩訶不思議」の「摩訶」は、このマハーを、漢字で音訳したものだ。
問題は「カーラ」という言葉にある。カーラは、「黒色」と「時間」という二つの意味がある。
カーラを黒色と解釈した場合、インドの宗教図像学の色彩部門では、死や憎悪を象徴するから、マハーカーラは死の神、憎悪の神になる。厳密にいうと、カーラは黒色とはいっても、真っ黒ではなく、青に近い黒、つまり青黒色である。
カーラを時間と解釈した場合も、時間は森羅万象をそのなかに呑み込み、破壊し死滅させてしまうから、マハーカーラは破滅の神、死滅の神になる。どちらにころんでも似たようなもので、マイナスのイメージという点ではなんら変わらず、まことに暗い。事実、マハーカーラを冥府の主とみなし、ヤマ(閻魔)と同一視することもある。
☆
広田先生については、旧制一高・独逸語教授の岩元禎を
モデルとしたとの話もありますが、人物のモデルは別として、
評語自体がまさか、「大黒天(マハーカーラ)」を援用したのでは
あるまいか? 広田先生が独身であるのは、広田先生本人が
“大黒さん”(=梵妻)だから、敢えて妻を迎える必要が無い、と。
参考文献:夏目漱石『三四郎』(青空文庫)
正木晃『仏像ミステリー』(講談社)
苦手とするだけに、弱点を克服する意味合いから、
好きな作家を後に回して、二読三読……と繰り返し
読んでいたことも事実。『吾輩は猫である』、『夢十夜』、
『草枕』等は嫌いでなくてね。この度は『三四郎』を
思い出してしまいました。三四郎の友人、与次郎が
広田先生を評する語、“偉大なる暗闇”ですけれども。
☆
大黒天は、古代インドの公式言語だったサンスクリットでは、「マハーカーラ」という。マハーは、「大いなる」とか「偉大な」を意味する。「摩訶不思議」の「摩訶」は、このマハーを、漢字で音訳したものだ。
問題は「カーラ」という言葉にある。カーラは、「黒色」と「時間」という二つの意味がある。
カーラを黒色と解釈した場合、インドの宗教図像学の色彩部門では、死や憎悪を象徴するから、マハーカーラは死の神、憎悪の神になる。厳密にいうと、カーラは黒色とはいっても、真っ黒ではなく、青に近い黒、つまり青黒色である。
カーラを時間と解釈した場合も、時間は森羅万象をそのなかに呑み込み、破壊し死滅させてしまうから、マハーカーラは破滅の神、死滅の神になる。どちらにころんでも似たようなもので、マイナスのイメージという点ではなんら変わらず、まことに暗い。事実、マハーカーラを冥府の主とみなし、ヤマ(閻魔)と同一視することもある。
☆
広田先生については、旧制一高・独逸語教授の岩元禎を
モデルとしたとの話もありますが、人物のモデルは別として、
評語自体がまさか、「大黒天(マハーカーラ)」を援用したのでは
あるまいか? 広田先生が独身であるのは、広田先生本人が
“大黒さん”(=梵妻)だから、敢えて妻を迎える必要が無い、と。
参考文献:夏目漱石『三四郎』(青空文庫)
正木晃『仏像ミステリー』(講談社)
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