道行名残の橋づくし(全文)
以前、近松門左衛門 『心中天網島』の道行名残の橋づくしを
引用した際は、文楽公演の床本から転記していました。公演では
省略の憂き目に遭っていた“橋”も、原文では、掬い上げることも
出来ましょう。実際の道行きでは、「蜆橋」以東の橋を渡っている
はずなのですが、紙屋治兵衛が「大阪天満宮」の氏子である縁から、
菅丞相つながり(桜丸・梅王丸・松王丸)で、曽根崎新地より西に
位置する「桜橋」、「梅(田)橋」、「緑橋」も引き合いに出すのは愛嬌。
☆
走書(はしりがき)。謡(うたひ)の本は近衛流(このゑりう)。野郎帽子(やらうばうし)は若紫。悪所(あくしよ)狂ひの。身の果(はて)は。かく成行くと。定まりし。釈迦の教(をしへ)も有ることか、見たし憂身の因果経。
明日は世上の言種(ことくさ)に、紙屋治兵衛が心中と。あだ名散行く桜木に。根掘り葉掘りを絵草子の。版刷る紙の其の中に有りとも知らぬ死神に。誘はれ行くも商売に。疎き報いと観念も。とすれば心ひかされて歩み。悩むぞ道理なる。
比(ころ)は十月。十五夜の月にも見えぬ。身の上は。心の闇の印かや。今置く霜は明日消ゆる。はかなき譬(たとへ)のそれよりも先へ消行く閨(ねや)の内。愛しかはいと締めて寝し。移香も何と。流れの。蜆川。西に見て。朝夕渡る。此の橋の天神橋はその昔。菅丞相(かんせうじやう)と申せし時筑紫(つくし)へ流され給ひしに。君を慕ひて大宰府へたつた一飛び梅田橋。
跡追ひ松の緑橋。別れを嘆き。悲しみて跡に焦がるゝ。桜橋。今に咄(はなし)を聞渡る。一首の歌の御威徳(おんゐとく)。かゝる尊き荒神(あらがみ)の。氏子(うじこ)と生まれし身をもちて。そなたも殺し我も死ぬ。元はと。問へば分別のあのいたいけな貝殻に。一杯もなき蜆橋。短きものは我々が。この世の住(すまひ)。秋の日よ。
十九と。廿八年の。今日の今宵を限りにて。二人のいの。ちの捨て所。ぢいとばゝとの末までもまめで添はんと契りしに。丸三年も。馴染まいで。この災難に大江橋。
(治兵衛)「あれ見や難波小橋から。舟入橋の浜伝い。是まで来れば来る程は冥途の道が近付く」と。嘆けば女もすがり寄り。(小春)「もう此の道が冥途か」と。見交す顔も見えぬ程。落つる涙に堀川の橋も水にや浸るらん。
※「堀川の橋」=堀川に架かる橋。おそらく、「太平橋」。
北へ歩めば。我が宿を一目に見るも見返らず。子供の行方女房の。哀れも胸に押包み。南へ渡る橋柱数も限らぬ家々を。いかに名付けて八軒屋。誰と伏見の下り舟着かぬ内にと道急ぐ。此の世を捨てゝ。行く身には。聞くも恐し。天満橋。
淀と大和の二川を。一ツ流れの大川や水と魚とは連れて行く。我も小春とふたり連れ。一つ刃の三瀬川。手向の水に請けたやな。何か嘆かん。此の世でこそは添はずとも。未来は言ふに及ばず今度の今度の。つつと今度の其の。先の世までも夫婦ぞや。
一ツ蓮(はちす)の頼みには。一夏(いちげ)に一部。夏書(げがき)せし。大慈大悲(だいじだいひ)の普門品(ふもんぼん)妙法蓮華京橋を。越ゆれば到る彼の岸の、玉の台(うてな)に乗りをへて。仏の姿に身を成橋。
※「を成橋」=「御成橋」=「備前島橋」
衆生済度(しゆじやうさいど)がまゝならば流れの人の此の後は。絶えて心中せぬやうに。守りたいぞと。及びなき。願いも世上の世迷言(よまひごと)。思ひやられて哀れなり。
野田の入江の。水煙。山の端(は)白くほのぼのと。あれ寺々の。鐘の声こうこう。斯うしていつまでか。とてもながらへ果てぬ身を、最期急がんこなたへと手に百八の玉の緒を。涙の玉にくりまぜて。南無網島の大長寺。藪(やぶ)の外面(そとも)のいさゝ川。流れみなぎる樋(ひ)の上を最期。所と着きにける。
参考記事:地図でみる「道行名残の橋づくし」
参考文献:近松門左衛門『曾根崎心中 冥途の飛脚 心中天の網島』(角川ソフィア文庫)
引用した際は、文楽公演の床本から転記していました。公演では
省略の憂き目に遭っていた“橋”も、原文では、掬い上げることも
出来ましょう。実際の道行きでは、「蜆橋」以東の橋を渡っている
はずなのですが、紙屋治兵衛が「大阪天満宮」の氏子である縁から、
菅丞相つながり(桜丸・梅王丸・松王丸)で、曽根崎新地より西に
位置する「桜橋」、「梅(田)橋」、「緑橋」も引き合いに出すのは愛嬌。
☆
走書(はしりがき)。謡(うたひ)の本は近衛流(このゑりう)。野郎帽子(やらうばうし)は若紫。悪所(あくしよ)狂ひの。身の果(はて)は。かく成行くと。定まりし。釈迦の教(をしへ)も有ることか、見たし憂身の因果経。
明日は世上の言種(ことくさ)に、紙屋治兵衛が心中と。あだ名散行く桜木に。根掘り葉掘りを絵草子の。版刷る紙の其の中に有りとも知らぬ死神に。誘はれ行くも商売に。疎き報いと観念も。とすれば心ひかされて歩み。悩むぞ道理なる。
比(ころ)は十月。十五夜の月にも見えぬ。身の上は。心の闇の印かや。今置く霜は明日消ゆる。はかなき譬(たとへ)のそれよりも先へ消行く閨(ねや)の内。愛しかはいと締めて寝し。移香も何と。流れの。蜆川。西に見て。朝夕渡る。此の橋の天神橋はその昔。菅丞相(かんせうじやう)と申せし時筑紫(つくし)へ流され給ひしに。君を慕ひて大宰府へたつた一飛び梅田橋。
跡追ひ松の緑橋。別れを嘆き。悲しみて跡に焦がるゝ。桜橋。今に咄(はなし)を聞渡る。一首の歌の御威徳(おんゐとく)。かゝる尊き荒神(あらがみ)の。氏子(うじこ)と生まれし身をもちて。そなたも殺し我も死ぬ。元はと。問へば分別のあのいたいけな貝殻に。一杯もなき蜆橋。短きものは我々が。この世の住(すまひ)。秋の日よ。
十九と。廿八年の。今日の今宵を限りにて。二人のいの。ちの捨て所。ぢいとばゝとの末までもまめで添はんと契りしに。丸三年も。馴染まいで。この災難に大江橋。
(治兵衛)「あれ見や難波小橋から。舟入橋の浜伝い。是まで来れば来る程は冥途の道が近付く」と。嘆けば女もすがり寄り。(小春)「もう此の道が冥途か」と。見交す顔も見えぬ程。落つる涙に堀川の橋も水にや浸るらん。
※「堀川の橋」=堀川に架かる橋。おそらく、「太平橋」。
北へ歩めば。我が宿を一目に見るも見返らず。子供の行方女房の。哀れも胸に押包み。南へ渡る橋柱数も限らぬ家々を。いかに名付けて八軒屋。誰と伏見の下り舟着かぬ内にと道急ぐ。此の世を捨てゝ。行く身には。聞くも恐し。天満橋。
淀と大和の二川を。一ツ流れの大川や水と魚とは連れて行く。我も小春とふたり連れ。一つ刃の三瀬川。手向の水に請けたやな。何か嘆かん。此の世でこそは添はずとも。未来は言ふに及ばず今度の今度の。つつと今度の其の。先の世までも夫婦ぞや。
一ツ蓮(はちす)の頼みには。一夏(いちげ)に一部。夏書(げがき)せし。大慈大悲(だいじだいひ)の普門品(ふもんぼん)妙法蓮華京橋を。越ゆれば到る彼の岸の、玉の台(うてな)に乗りをへて。仏の姿に身を成橋。
※「を成橋」=「御成橋」=「備前島橋」
衆生済度(しゆじやうさいど)がまゝならば流れの人の此の後は。絶えて心中せぬやうに。守りたいぞと。及びなき。願いも世上の世迷言(よまひごと)。思ひやられて哀れなり。
野田の入江の。水煙。山の端(は)白くほのぼのと。あれ寺々の。鐘の声こうこう。斯うしていつまでか。とてもながらへ果てぬ身を、最期急がんこなたへと手に百八の玉の緒を。涙の玉にくりまぜて。南無網島の大長寺。藪(やぶ)の外面(そとも)のいさゝ川。流れみなぎる樋(ひ)の上を最期。所と着きにける。
参考記事:地図でみる「道行名残の橋づくし」
参考文献:近松門左衛門『曾根崎心中 冥途の飛脚 心中天の網島』(角川ソフィア文庫)
スポンサーサイト
tag : 文楽