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★ 2022年10月に読んだ本 ★

監修/中井均『城の攻め方・つくり方』(宝島社)
司馬遼太郎『俄 ―浪華遊侠伝―(上)』(講談社文庫)
司馬遼太郎『俄 ―浪華遊侠伝―(下)』(講談社文庫)
冨永航平『大和の名刹 毘沙門天王の総本山』(信貴山朝護孫子寺)
田中小実昌『密室殺人ありがとう』(ちくま文庫)
 ……翻訳やら小説やら、自然と昔から読んでいた小実昌だけれど、ミステリー短編集
 という編集は面白いな(日下三蔵・編)。収録作品は「りっぱな動機」、「死体(しにたい)
 女」、「なぜ門田氏はトマトのような色になったのか」、「バカな殺されかた」、「密室殺人
 ありがとう」、「金魚が死んだ」、「カリブ海第二戦線」、「板敷川の湯宿」、「北波止場
 (ノース・ピア)の死体」、「爆弾は爆発しないというおしゃべり」、「耳穴カミソリ」、「ドラム
 缶の死体」……軽妙洒脱という評言は聞き飽きたけど、文体(スタイル)で読ませます。
坂口安吾『心霊殺人事件』(河出文庫)……マイ・クラシック。子供の頃は角川文庫で
 読んでいたはず。「投手殺人事件」、「屋根裏の犯人」、「南京虫殺人事件」、「選挙
 殺人事件」、「山の神殺人」、「正午の殺人」、「影のない犯人」、「心霊殺人事件」、
 「能面の秘密」、「アンゴウ」の全10編を収録。「アンゴウ」は純文学でいいです。
『新潮日本文学アルバム 川端康成』(新潮社)
編者=生きた建築ミュージアム大阪実行委員会
 『生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪2022 公式ガイドブック』(生きた建築
 ミュージアム大阪実行委員会)
……英語名称が「OPEN HOUSE OSAKA」。
川端康成『伊豆の踊子・温泉宿 他四編』(岩波文庫)……マイ・クラシック。
 他4編の内訳は、「十六歳の日記」、「招魂祭一景」、「青い海 黒い海」、「春景色」。
川端康成『掌の小説』(新潮文庫)……マイ・クラシックにして、10月の「二人の読書会」
 テクストです。こじつけで、“二人”の意味は「同行二人」と受け取ってもよいよ。
 弘法大師ではなく、ぼくの文学は川端康成先生と共にある――という後付け。
川端康成『川端康成異相短篇集』(中公文庫)……趣味が合うのかしら。編者である
 高原英理が素晴らしい。収録作品(小説)が「心中」(掌の小説)、脱臼したような
 センチメンタリズムが暴走する「白い満月」、何から何までとち狂っているけれども
 静謐な「地獄」、映像作家を刺激するに違いない「故郷」、純粋怪談「離合」、「冬の
 曲
」、「朝雲」、乱歩と同時代の探偵作家が手掛けそうな「死体紹介人」、「
 (掌の小説)、プロレタリア文学風「」、最後の一瞬で世界が炸裂する「赤い喪服」、
 乱歩風「顕微鏡怪談」パターンと思わせて全く別次元に突き落とされる「毛眼鏡の
 歌
」、記憶をめぐる文学的感懐に落とし込めそうに見えるも終盤の川端のロジックに
 暗然とさせられる(存在しない街を在ると考えている者と、街での記憶を空しく探し
 求める者との間で、かろうじて成立する場とは何か?
)「弓浦市」、「めずらしい人
 (掌の小説)、ボルヘスと通底するような「無言」、珠玉の名品「たまゆら」……。
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テーマ : 読書記録
ジャンル : 小説・文学

一縷と一縷

2022_10_31_成田浩彰「禅~一縷と一縷~」 「大阪御堂筋アート 2022」は11月1~26日の
 間で開催のようですが、前倒しかな?! 早朝の
 「露天神社」境内で、大きなごみ袋と思いきや、
 FRPの彫刻、成田浩彰禅 ~一縷と一縷~
 でした。「無形でありながらも、確かに有する
 事の表れを事象の結びを通して表現したい」
 みたいな講釈は要らないと思うのよ。たぶん、
 行政サイドから、制作意図を明文化するように
 強制されているのでしょうが、あまりに反芸術的。

テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 美術

セッケイ・ロード

3年ぶりのリアル開催となった「生きた建築ミュージアム
フェスティバル大阪 2022
OPEN HOUSE OSAKA 2022)」
通称「イケフェス大阪」に参加してきましたよ。1~2年ぶりに会う
友人、Hさんも誘い合わせました。10月30日10時、Osaka Metro
・南森町駅の東改札に集合。日本基督教団「天満教会」を眺めて
南下。天神橋を渡り、船場エリアへ向かいました。今年は事前
申し込みを何ら行っていないので、飛び込みで見学可能な施設
のみを訪ねます。特に注目していたのは、設計事務所連携企画
セッケイ・ロード ~建築と街の未来へ続く道~」。簡単に
言えば、スタンプ・ラリーで、9つの設計事務所が参加していました。
       ☆
天神橋南詰の東側に在った「ジオ-グラフィックセッケイ・ロード
・デザイン・ラボ」を皮切りに、「安井建築設計
事務所
」に回り、「都住創石町」等をチェック。
天満橋を北へ渡り、「光井純&アソシエーツ
建築設計事務所
」に上がらせてもらいました。
大川右岸を西進。再び、天神橋を南に渡り、西に
折れ、「ルポンドシエルビル」や「福原ビル」を
愛でつつ、葭屋橋を西へ進みます。「北浜長屋」、
「北浜レトロ」の前は遠目にも長蛇の行列で、実は
狙っていたカレー店があったものの、諦めました
(ランチ抜きかよ)。堺筋に入り、「大阪証券取引所ビル」、
新井ビル」等を眺めて、「東畑建築事務所」では古地図を愉しみ。
例によって、井村屋のようかんも頂きました。秋晴れの昼下がり、
オペラドメーヌ高麗橋」~「日本基督教団 浪花教会」、
グランサンクタス淀屋橋」等を観ながら、栴檀木橋付近に在る
「浦辺設計」を訪ねましたが、休業日だった模様(告知が欲しい)。
御堂筋を渡り、「日本設計関西支社、「日建設計大阪オフィス
上がれば、スタンプ6個が集まりました。因みに、「日本設計」では珈琲、
「日建設計」ではハード・カバーの野口孫市本もプレゼントされて、恐縮です。
さて、「三菱UFJ銀行」大阪ビル本館に赴き、ラリー踏破(6個以上)を証すと、
オリジナルの缶バッジ(右上画像)を入手。イラストはもちろん、宮沢洋
       ☆
緩い達成感から、気が抜けた状態で、「芝川ビル」、「輸出繊維会館」、
清水猛商店」等を見物。本町まで心斎橋筋を南下し、Osaka Metro
・御堂筋線に乗って、「日本基督教団 南大阪教会」を訪れました。
礼拝堂が特別公開されていて……また、別立てで記事を起こしますね。
昭和町から なんばに戻りますと、なんばウォーク(虹のまち)を歩いた後、
「味園ユニバース」の前を過ぎ、大好きな「日本橋の家」を再訪しました。
Architects of the Year 2022」(主催=日本建築設計学会)の
会場となりまして、第8回は「日本橋の家を読み、建築を展示する」が
テーマ。申し訳ないのですが、やはり展示内容より、箱自体の魅力に
引き込まれてしまいます。堺筋線で、日本橋から扇町に帰り、ようやく
喉の渇きを癒やせたのは16時半頃でしたか。「レモホル酒場」の
“社長コース”を経て(ドリンクに難有り)、スタンド「まい」で締めました。
Osaka Metro に扇町から乗り込むと、日本橋で千日前線に乗り換え、
南巽までHさんをお見送り。ぼく自身は21時過ぎに天神橋筋六丁目。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 近代建築建築呑む

Another Day

事業所を開ける当番だったか、単なる早番だったか、
自信が無い時でも、とりあえず早めに出ておけば、
何とかなるさとJR環状線で出勤。「露天神社」境内で
缶コーヒーを飲むのが儀式のようになっています。
休憩時間が営業時間帯に間に合いそうだったので、
もりやま屋」に足を向けたところ、「売り切れです」
と断られ、先週に引き続き、「きったんカレー」への
階段を上がりました。当日限定のビーツ・ポタージュ
牛すじカレーとオリジナルのあい掛けに、コロッケと
らっきょうをトッピング。会社に戻って、2時間ばかりの
残業で様子を見る腹積もりが、強烈な難客の対応に
巻き込まれ、最後まで居残ることになりましたとさ。

テーマ : つぶやき
ジャンル : 小説・文学

tag : つぶやきカレー

大塩摂取

10月28日(金)10時から、「北区ぶらぶら 2022第5回を実施。
今回のテーマは「大坂三郷 『天満組』跡から造幣局・泉布観
―今も残る町筋の天満界隈を歩く―
」でしたけれども、メインを
張る「造幣博物館」内の見学が無理とあれば、ゆったりめの時間
配分となりましょう。「大阪天満宮」~「川端康成生誕之地」碑~
「天満組惣会所跡」~「天満興正寺御坊址」(滝川公園)を経て、
天満橋筋を東へ渡りました。「川崎東照宮跡」(滝川小学校)~
「与力役宅門」~「洗心洞跡」~「槐跡」を観て、国道1号を北へ
移動します。東側に見えるのが「桜宮橋」と「新桜宮橋」ですよ。
泉布観」と「旧桜宮公会堂」の前で、ウォートルスについて語り、
正午に「OAP」で解散しました。万事、Nさんが取り仕切ってくれて、
ピンポイントのガイドも非常にやり易い環境で、頭が上がりません。
       ☆
ガイド仲間で創作鉄板mo-riOAP店に下りると、定食のライス
抜き(黒毛和牛焼き肉)をアテに、生ビールと焼酎を呑んでいます。
流れで、I さんと天満に移り、「精養軒」でも瓶ビールを少しだけ。
高血圧だと塩分摂取に制限を掛けられますから、我がままの通る
お店でないと、注文が難しくて(特に呑んだくれには)悩ましい限り。

テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡近代建築呑む

奇恩入無為

レンタル期限が本日21時過ぎに迫っていた「文楽プレミアム
シアター
第6回を、午前中に最後まで鑑賞しました。演目は
桂川連理柵」六角堂の段、帯屋の段(昭和51年3月、国立劇場)。
モノクロ映像でも気になりません。六角堂の段は竹本伊達路太夫
(5代目・伊達太夫)と、若い! 鶴澤清治。帯屋の段の切は、竹本
越路太夫と竹澤弥七でした。儀兵衛(初代・吉田玉男)と丁稚・長吉
(吉田簑助)のチャリ場が良いなあ。他の人形役割は、母・おとせが
吉田玉松、舅・繁斎が吉田作十郎、帯屋長右衛門が4代目・豊松
清十郎、娘・お半が桐竹一暢でした。さて、午後からは、日本橋の
国立文楽劇場」へ向かい、13時開演「若手素浄瑠璃の会」を
聴くのでありました。「苅萱桑門(どうしん)筑紫(いえづと)」高野山の
段――「〓」=「車」偏+「榮」――は、竹本碩太夫と鶴澤燕二郎。
辛気臭い時代浄瑠璃ですが、碩太夫の声は心地良いですねえ。
15分休憩の後、「信州川中島合戦」輝虎配膳の段。こちらも時代
浄瑠璃ですが、近松門左衛門・作。豊竹靖太夫と鶴澤清公に、
鶴澤清方が琴で加わりました。最近、素浄瑠璃は目を瞑って鑑賞
できるのが、身体(眼)に優しくて良いなあと思っているのですが、
ふと目を開けると、靖太夫の顔が真っ赤になっていたから、ちょっと
心配になりました。血圧の上がらざるを得ない過酷な稼業ですもの。
       ☆
Osaka Metro・堺筋線の南森町駅で下車。明日の「北区ぶらぶら」
コースを再確認しようと、「大阪天満宮」を皮切りに歩き出しています
と、「川端康成生誕之地」碑の前で、Nさんに遭遇しました。綿密な
下見を繰り返してこそ、流石のタイム・キーパーぶりがあるのでしょう。
造幣局構内を経由して、「OAP」に至るルートを歩いて確かめまして
(歩くだけならば、所要時間の半分の1時間)、東寺町から天神橋筋
商店街へ入りました。御菓子司「薫々堂」に回り、ハロウィーン限定
どらかぼちゃん」を購入。「寛子」のたこ焼きも15個買っています
(最近、2代目?!が焼方に入っていることが多く、注視しているのよ)。

テーマ : 伝統芸能
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 文楽史跡近代建築おやつ

よっしゃ

前日、スクリプトを1本仕上げました。本番に間に合うかなぁ。
祝杯を挙げる訳ではないけれど、天神橋筋六丁目で、相方と
落ち合い、夕食を取るアポを入れたのです。がっつり呑み喰い
したいモードから、初入店ですが、和食・鍋料理の「よっしゃ
(大阪市北区池田町10−11)に上がりました。「辰巳ビル」の
2Fに入っていまして、1Fは双龍居」池田町本店なのです。
和食と言うか、何でも有りの食べ放題(飲み放題)が売りで、
焼き肉や焼きしゃぶを前面に打ち出しています。焼きしゃぶ
食べ放題コースに、飲み放題も付けて注文しました(税別
5,060円)。予約を入れておらず、お肉が用意されるまでに
時間を要したとはいえ、野菜や日替わり総菜のバイキングで、
間は持ちます。酒類もセルフ・サービスとなり、生ビールや
酎ハイの後は「ダバダ火振」を呑みました。提供された肉は
(サムギョプサルでよく使われる)鉄板鍋に並べ、脂を落として
焼き、野菜も摂るので、ヘルシー感があります。炭水化物は
控えるも、デザートで締め。予想外に落ち着いたお店なので、
使い勝手は良さそう。自宅に「audio-technica」のモノラル
・マイク「AT9903」が配達されており、早速、手持ちの拡声器
ATP-SP303」に接続してみました。コンデンサー型なので、
直接だとやはり無反応でしたが、付属のパワー・モジュール
(LR44)を介することで、使用可能。プラグイン・パワー以外も
使えるようにしてくれる付属品だけで価値有り。まだ試せて
いませんが、他のコンデンサー・マイクも流用できそうな……。

テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

tag : 呑む

冒険技術者・ウォートルス

 時は明治4年(1871)4月4日、大蔵省造幣寮の創業式が挙行されました。新政府が近代国家として貨幣制度の確立を図るため、当時画期的な洋式工場を建てています。設計・監督に当たったのはウォートルス。先立つ慶応四年(1868)、五代友厚らが英国商人、トーマス・ブレーク・グラバーを通じて香港造幣局の機械一式を購入。(大阪市北区)旧・川崎村、旧幕府・破損奉行役所の材木置場跡地をはじめとする一帯を用地に充て、現在の2倍強の面積だったといいます。
 幕末に暗躍した武器商人として見た場合、「死の商人」とも呼ばれるグラバーですが、遠い異国との交易による一攫千金を夢見た十九世紀の「冒険商人」の一人とも言えます。そのグラバーの下、彼が仲介する洋式工場建設のエンジニアとして、新政府一の御雇外国人建築家の地位に就いたのがトーマス・ウォートルス。正式名はトーマス・ジェームス・ウォータース、「ウォートルス」は幕末のオランダ語読みですね。1842(天保13)年、アイルランド内陸の町バーに生まれ、日本には、イギリス人との触れ込みで幕末の長崎・外国人居留地に上陸していたのでした。
 日本近代建築史上、幕末から明治初期にかけて、「ウォートルス時代」と呼ばれる一時期を画した御雇外国人建築家ですが、後に日本建築界の基礎を築いたジョサイア・コンドルとは、全く性質が異なります。建築学(当時は造家学科)教授として辰野金吾らも育成したコンドルを純粋な建築家と呼ぶならば、ウォートルスは唯の「何でも屋」でした。
 高い地位を得たのは何でもそこそこに出来る知識と経験を持っていたから。元々建築家でなく、鉱山技師だったといいます。鉱山の開発は、人跡未踏の地に出掛け、測量に始まり、道路、トロッコ、ダム、水道、工場、宿舎、電気、スチーム・エンジン、動力機械と何でも独りでこなさなければなりません。
 「建築」というより「建設」。開国直後の日本では、国土と都市と産業が必要とする事業は何でも引き受けてくれる土木分野と地続きの建築技術者が求められていたのです。淀川の治水等に携わったヨハネス・デ・レーケも同様ですか。ウォートルスやデ・レーケは上海で電気・水道・ガス・運河の建設も進めていたそうで、建築史家の藤森照信は、(東アジア等の)新開地を腕一本に託して渡り歩くよろず屋的な建設技術者を、冒険商人に因んで「冒険技術者(アドベンチャーエンジニア)」と呼んでいます。
 或る意味「万能」。広く浅い技術者であったウォートルスだったからこそ、日本の激動期に高く評価され、後に井上馨の求めに応じて、新しい東京の表玄関を飾る一大計画「銀座煉瓦街」の設計も任されたのでしょう。何でも屋の鉱山技師ですから、煉瓦を大量に生産する最新鋭の窯、ドイツの窯業技術者フレデリック・ホフマンが1856年に開発した「ホフマン窯」も知っていまして、日本の煉瓦製造は、戦後にガス窯が導入されるまでホフマン窯が使用されることになります。
 鉱山技師……冒険技術者としてのウォートルスの生涯を先に総括しましょう。ウォートルスは三人兄弟の長男で、弟はアルバートとアーネストといいます。弟二人は、世界屈指の鉱山大学、ドイツのフライブルク鉱山大学に学んでいます。生涯を鉱山技師として共に過ごしたウォートルス三兄弟。幕末~明治初期、兄に続いて弟2人も来日し、長崎の高島炭鉱を開き、群馬県に中小坂鉱山も開きました。兄弟して、日本の建築・鉱山史に大きな足跡を残していたのです。日本を去り、上海に渡った後、兄はニュージーランド、弟二人はアメリカのコロラドで本来の鉱山開発に携わります。やがて、兄のウォートルスもコロラド銀山に合流し、シルバーラッシュの立役者となり、安住の地を得たそうです、が。
 さて、目の前の「泉布観」。明治4年(1871)、造幣寮(現・造幣局)の応接所として建てられ、大阪府で現存する最古の洋風建築といわれています。トスカナ式オーダーやペディメントなどに目を奪われそうになりますが、「洋風」を決定付けているのは煙突です。ちゃんと暖炉が設けられているということですね。また、(西回りの)ヴェランダ・コロニアル様式にも注目。
 ポルトガル、スペイン、イギリスなど、アジアの熱帯にやって来たヨーロッパの冒険商人を待ち受けていたのは暑さでした。暑さへの対策として、直射日光を防ぎ、かつ風通しを良くするヴェランダを各部屋の外に設け、広い面積を取っています。部屋からヴェランダにすぐ出て行けるフランス窓(窓枠が床面まであります)も必須。赤道近くだと季節によって太陽が南からも北からも差すため、北側にもヴェランダが張り出す四面タイプですが、泉布観は西日を避けての三面ヴェランダとなっています。
 時に明治天皇は明治5年(1872)、同10年(1877)、同31年(1898)の計3回行幸。応接所の利用時、『史記』の一節「宝貨之行如泉布」から「泉布観」と命名したといわれています。単に泉布=貨幣という意味ではなく、ヴェランダからの景色にいたく感じ入っての命名ですから、大川の眺め=泉布のイメージを踏まえているのは間違いありません。この建築物の設計者の名前にもまた、「水(Waters)」が窺えるのは、一体どういう歴史の悪戯なのでしょうか。

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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 近代建築つぶやき史跡

天満の佐兵衛

小林佐兵衛(1829~1917)こと、明石屋万吉は、大坂の侠客です。
勤皇も佐幕も無いと、幕末から明治時代を駆け抜けた大侠客でして、
明治42年(1909)の“北の大火(=天満焼け)”に際し、北の(消防)
大組頭取に就いていた佐兵衛が、「大阪天満宮」を火災から守った
という武勇伝も知られていますけれど、司馬遼太郎『俄 ―浪華
遊侠伝―』
では、また別な形で天満との関わりが描かれていました。
幕末期、西大坂の警備隊長を務め、鳥羽伏見の落ち武者でもあった
佐兵衛は、幕府に加担したとして、官軍の長州陣屋(天満・川崎町
「建国寺」=「東照宮」に在りました)に引き出され、あわや……という
局面で、かつて命を救った遠藤謹介(1836~1893)の目に留まり、
長州軍屯所から放免されることが出来たのです。そこで、「けったくそ
わるい。宿替えや」と、白髪橋から天満・滝川町の古ぼけた借家に
移転したそうですが、「滝川小学校」正門前には、「川崎東照宮跡
碑が建っていることを思い出します。“長州五傑”の一人、遠藤謹介は
造幣の父」と呼ばれ、当初から「造幣局」に勤め、明治14年(1881)、
造幣局長にも就任しました。明治16年(1883)から始まった造幣局の
桜の通り抜け」が当時の局長だった謹介の指示と知れば、感無量。

参考文献:司馬遼太郎 『俄 ―浪華遊侠伝―(下)』(講談社文庫)

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ジャンル : 小説・文学

tag : 小説史跡

マイクの話

十年近く(?!)も休眠させていた「キングジム」の「pomera
DM100
」を蘇生させようとして、バックアップ電池(リチウム
コイン電池)が切れていることに気付く次第。コイン電池
(CR2016)を買えば済む話なので、それはどうでもよいの
だけれど、「Pop Voice」が使えませんでした。全種類の
オーディオ端子を備えると読み、拡声器も対象機種に入って
いるように見えたのです……が、己の無知を恥じ入る次第。
audio-technica」の拡声器「ATP-SP303」に付属の
マイク「AT810S」がバック・ホールド方式(ヘッドセット型)
だったので、ピン・マイクが良いなあ、と代替品を探した結果
でしたけれども、マイクのことが何もわかっていませんでした。
指向性がどうこう言うのは後の話――「AT810S」はハイパー
カーディオイド(単一指向性)。まずは、コンデンサーマイクか、
ダイナミックマイクか? 「AT810S」はダイナミック型でした
が、「Pop Voice」はコンデンサー型。おまけに、マイク等の
ミニ・プラグには、2~5極があるのです(4極はさらにCTIA
OMTP に分かれます)。「Pop Voice」はCTIA、OMTP端子の
他、3極端子も付属していたのに、「AT810S」は2極(モノラル)。
どうつなごうと足掻いても、「ATP-SP303」で「Pop Voice」は
無反応。2極のダイナミック型ピン・マイクをどこかのメーカーで
販売していないものかしら。ピン・マイクでダイナミックは無理? 
とにかく、モノラル・ジャック(φ3.5mm)につながるピン・マイクを。

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Author:ぽか
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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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