みゆき橋跡
右の画像は9月25日撮影分となります。大川右岸を北上
しながら、左手に「造幣局」を眺め、正面に「桜宮橋」が
近付いてきますと、橋(=銀橋)同様、武田五一の意匠
指導による 階段塔に目を奪われてしまう訳ですけれども、
その日、目に留めたのは西側の袂近くに在る「みゆき橋
跡」という銘板。鉄格子の嵌まった奥は、コンクリートで
塞がれています。「めがね橋」以外にも、造幣局内に
橋が在りましたか。どうやら、元々、局内に引き込まれる
運河が設けられ、橋が架かっていた模様。さて、明治
天皇は明治5年、同6年、同31年の3回、造幣局(~
「泉布観」)に臨幸しています。明治31年(1898)11月
19日、陸軍大演習の統監に際して、泉布観に臨幸時、
架け替えられた“釣橋”が初めて渡御され、その記念に
よって「御幸橋」と命名されたそうですから、「御幸(みゆき)
橋」の痕跡なのでしょう。桜之宮公園の遊歩道を歩いて
いれば気付けますが、通り抜け等で上を通行している場合、全くわからないのよ。
参考文献:『造幣局六十年史』(造幣局)

しながら、左手に「造幣局」を眺め、正面に「桜宮橋」が
近付いてきますと、橋(=銀橋)同様、武田五一の意匠
指導による 階段塔に目を奪われてしまう訳ですけれども、
その日、目に留めたのは西側の袂近くに在る「みゆき橋
跡」という銘板。鉄格子の嵌まった奥は、コンクリートで
塞がれています。「めがね橋」以外にも、造幣局内に
橋が在りましたか。どうやら、元々、局内に引き込まれる
運河が設けられ、橋が架かっていた模様。さて、明治
天皇は明治5年、同6年、同31年の3回、造幣局(~
「泉布観」)に臨幸しています。明治31年(1898)11月
19日、陸軍大演習の統監に際して、泉布観に臨幸時、
架け替えられた“釣橋”が初めて渡御され、その記念に
よって「御幸橋」と命名されたそうですから、「御幸(みゆき)
橋」の痕跡なのでしょう。桜之宮公園の遊歩道を歩いて
いれば気付けますが、通り抜け等で上を通行している場合、全くわからないのよ。
参考文献:『造幣局六十年史』(造幣局)
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