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美しい川端の私

 明治32年(1899)6月14日、大阪市北区此花町1丁目79番の屋敷で、川端康成は誕生しました。父・栄吉、母・ゲンの長男です。4歳上の姉・芳子もいました。父の栄吉は東京の医学校を出た医師で、漢詩文や文人画をたしなんでいたそうです。
 明治34年(1901)1月、父が亡くなり、母の実家・黒田家のある大阪府西成郡豊里村(現・大阪市東淀川区)に移っています。川端康成、2歳の時でした。翌年1月には、母が死去。祖父・三八郎、祖母・カネに引き取られ、大阪府三島郡豊川村大字宿久庄字東村11番(現・大阪府茨木市)の屋敷に移りました。
 豊川尋常高等小学校に入学した明治39年(1906)には祖母、明治42年には姉、そして、大正3年(1914)には盲目の祖父を亡くし、孤児となります。当時の祖父の死に際しての写生文が、後に『十六歳の日記』として発表されました。
 小説家、いえ、芸術家という存在は自分の造った物に呪われる者なのかもしれません。川端の掌編『処女作の祟り』という表題もありますように――実際の処女作は一高「校友会雑誌」に発表された『ちよ』――、身近な愛する人達を失っていくスタイルは生涯変わらず、おそらくは『葬式の名人』という作品を書いたがため、本当に「名人」と化してしまったのは哀しい運命だったのでしょうか。主立ったところでも、大正モダニズムの時代に新感覚派を牽引した盟友・横光利一の弔辞を読んだことを皮切りに、林芙美子、堀辰雄、三島由紀夫らの葬儀委員長を務めています。
 昭和43年(1968)、69歳でノーベル文学賞を受賞されましたが、そんなものが何になりましょう。「末期の眼」をもって世界を凝視し、現世を「魔界」としか見られなかった川端康成ですもの。昭和45年(1970)11月25日、三島由紀夫は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地東部方面総監室にて割腹自殺してしまいました。享年45歳。年は違えど、方法論は異なれど、互いに敬愛の念を終生失わなかった文学上の畏友を、またしても失う羽目に陥ってしまった老作家。
 三島の葬儀委員長を務め、翌昭和47年(1972)4月16日の夜、神奈川県・逗子マリーナの仕事部屋でガス自殺を果たした川端康成、満72歳と10か月でした。絶えず死を見つめ、生の現実と異なる相に美を選り出してきた川端康成は、美ゆえに生き永らえていられたのかもしれません。亡父の血が蘇ったのかしら。蒐集していた古美術の一つ「緑釉壺」は安宅コレクションに加わり、現在では「大阪市立東洋陶磁美術館」で鑑賞することが出来ます。お帰りなさい。

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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