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堂島米市場の跡

生きている時間すら惜しい。ぼくの世界はぼくの頭の中に在り、
貴方の世界では既に亡き者として抹消されていることでしょう。
誰かの夢を喰らって生きているふりをしたところで、ぼくの姿は
貴方には見えない。食事休憩の時間を充てて、曽根崎を離れ、
北新地を抜けると、「堂島米市場」の跡へ足を速めるのでした。
       ☆
2022_11_07_一粒の光
2022_11_07_横江嘉純「稲に遊ぶ子供」
「中之島ガーデンブリッジ」の北詰
 蔵屋敷の件で説明しましたが、「堂島
 米市場」で売買されたのは、米切手
 あり、(淀屋の屋敷前で開かれていた
 米市みたく)米の現物が持ち込まれる
 ことはありません。「中之島ガーデン
 ブリッジ
」北詰に、“堂島米市場の跡
 (大阪市北区堂島浜1-2)が在り、
 安藤忠雄の手掛けたモニュメント
 「一粒の光」(2018)等が設置されて
 います。北詰の西側には、横江嘉純
 (1887~1962)の「稲に遊ぶ子供
 (左下画像)を置いています。昭和28年
 (1953)の制作。堂島米市場の繁栄の
 跡を記念して、昭和30年(1955)に
 寄贈されたそうです。元の立ち位置を
 「一粒の光」に譲って、西側に移設
 されました。台座に浮き彫りとなった
 一字は「」――堂島の“浜”ですね。
 開発されて間もない堂島新地の浜に
元禄10年(1697)頃、淀屋の米市が移転。享保15年(1730)、“米将軍(第8代)
徳川吉宗が堂島米市場を公認したことで、「堂島米会所」の誕生と相成りました。
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テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡美術

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
好きな言葉は「ごちそうさま」。

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