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西山宗因向栄庵跡

2022_06_07_西山宗因向栄庵跡 慶長10年(1605)に生まれ、天和2年(1682)に没した西山宗因は、江戸時代前期の連歌師です。「宗因」は号の一つで、相手によって号を使い分けたため、複数の号が有ります。生まれは肥後国八代。父は加藤清正の家臣、宗因も城代・加藤正方の側近でしたが、加藤家の改易に伴って浪人となりました。正方の影響で連歌を学び、里村昌琢に師事しています。
 正保4年(1647)には、大坂天満宮連歌所の宗匠となりました。天満宮社地の東に結んだのが「向栄庵」。五・七・五の発句と七・七の脇句の長短句を交互に複数人で連ねて詠んで一つの歌にするのが連歌で、100句を基本形式(百韻)としています。36句の形式は「歌仙」と呼ばれます。派生して江戸時代に栄えたのが、俳諧の連歌。俳諧連歌の発句のみを「俳句」として称揚したのは、明治時代の正岡子規でした。
 俳諧連歌は遊戯性が高く、特に宗因の作風は一世風靡し、後に「談林派」と呼ばれました。井原西鶴らが門人でしたし、蕉風を確立する前、桃青という号を名乗っていた頃の松尾芭蕉もその影響を受けています。
 さて、何故、西山宗因の連歌所が大阪天満宮に在ったのか。祀られている菅原道真が有能な学者、政治家であるばかりでなく、詩人(主に漢詩でありましたが)であったからです。後には「歌の神」としても崇敬の念を集めています。であればこそ、室町時代における連歌の中心地となった北野天満宮には、連歌会所が設けられましたし、宗祇らが会所奉行を務めています。連歌会は毎月18日=観世音菩薩の縁日に開かれていました。

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