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筋違橋/撞木橋

2022_11_18_撞木橋 天正13年(1585)、大坂城の惣構えとして開削されたと
 いう東横堀川に対して、西横堀川の開削は少し遅れて
 います。東西横堀川の間、北は土佐堀川、南は長堀川の
 間に囲まれていた土地が“船場”です。長堀川と西横堀
 川は埋め立てられていますが、西横堀川の最下流に
 架かっていた「金屋橋」は現存していますよ。西横堀川
 から西に向かって、江戸堀川(1617~1955)等、さらに
 別の運河が分流していました。船場と西横堀川以西では、
 街の成り立ちが異なりますから、(船場の)高麗橋通と、
 江戸堀北通/江戸堀南通は東西に直接つながれず。
 西横堀川の東(高麗橋通)と、江戸堀川の南北を1つの
 橋で間に合わせようとして、T字型、撞木(しゅもく)の形状を
 した「撞木橋」が架けられました。ユニークさは「四ツ橋」と
 同レベルですが、流石に構造上の問題があったか、後に
 撞木形は廃されてしまいました。その名を冠した「撞木橋ビル」(大阪市西区江戸堀1丁目4−23)に、親柱が保存されています。「撞木橋」という
名は、江戸堀川の南北だけを結ぶ一本橋に残されていた
ようですが、船場との接続はどうしたかと言いますと……。2022_11_18_筋違橋
       ☆
西横堀川に通じた高麗橋通と江戸堀南通の間で、斜めに
架けられたのが「筋違橋(すじかいばし)」でした。明暦3年
(1657)には、既に撞木形の元の橋の姿が見えなくなり、
「撞木橋」と「筋違橋」の2橋に分離しています。右下画像
「筋違橋」の親柱は昭和3年(1928)に架け替えられた物。
昭和39年(1964)、西横堀川が埋め立てられたことで、
「筋違橋」も不要となりました。かつての西横堀川の上を
阪神高速道路が走り、その下に“筋違橋の碑”が申し訳
無さそうに設置されています。もう少し、何とか出来ない
ものかな。橋は道路の一部です――「筋違橋」の跡は、
そのまま道路となりましたから、当然ながら、高速道路の
下を斜めに横切っている訳です。高架下を筋違いに出て
高麗橋通の西端に達すれば、東の空に「北浜タワー」。
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テーマ : 建築
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 史跡

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
フードビジネス・コンサルタント
(自称)。
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