溝之側横断歩道橋
これまで、天満堀川に架かる(架かっていた)橋を
気の向くままに取り上げてきました。基本的には、
15の橋が在ったといわれていますが(もう1本の
謎の橋 については調査中)、「太平(たいへい)橋」、
「樽屋橋」、「堀川橋」、「寺町橋」、「綿屋橋」、
「梅ヶ枝橋」(改めて、記事を1本仕立て直すかな)、
「夫婦橋」(現在も調査続行中の物件)はログ参照。
☆
「浪花百景」の頃であれば、大川(旧・
淀川)右岸に天満青物市場が在って、
その西側が“市之側”と呼ばれていた
ようです。青物市場が無くなってからも
天満橋と天神橋の間(大川北岸)は、
市之側と呼ばれていたことが、大正
3年の地図で確かめられます。そこから
本題に入るのですが、市之側のさらに
北側が“溝之側”と呼ばれていたらしい
です(現在、古地図では未確認)。「堀川橋」と「寺町橋」の間辺り、溝之側筋(?!)に
架かっていた橋が「溝側橋」とされまして、当然、現在は跡形も無いのですけれど、その
位置に「溝之側横断歩道橋」が架かっている訳ですよ。自転車も渡れる仕様ですが、
阪神高速道路の高架下で、圧迫感を受け、あまり愉快な心持ちにはなれません。昔は、
浮浪者が段ボールを持ち込んでいた時期もありましたかねえ。何とかしてあげたいな。
気の向くままに取り上げてきました。基本的には、
15の橋が在ったといわれていますが(もう1本の
謎の橋 については調査中)、「太平(たいへい)橋」、
「樽屋橋」、「堀川橋」、「寺町橋」、「綿屋橋」、
「梅ヶ枝橋」(改めて、記事を1本仕立て直すかな)、
「夫婦橋」(現在も調査続行中の物件)はログ参照。
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淀川)右岸に天満青物市場が在って、
その西側が“市之側”と呼ばれていた
ようです。青物市場が無くなってからも
天満橋と天神橋の間(大川北岸)は、
市之側と呼ばれていたことが、大正
3年の地図で確かめられます。そこから
本題に入るのですが、市之側のさらに
北側が“溝之側”と呼ばれていたらしい
です(現在、古地図では未確認)。「堀川橋」と「寺町橋」の間辺り、溝之側筋(?!)に
架かっていた橋が「溝側橋」とされまして、当然、現在は跡形も無いのですけれど、その
位置に「溝之側横断歩道橋」が架かっている訳ですよ。自転車も渡れる仕様ですが、
阪神高速道路の高架下で、圧迫感を受け、あまり愉快な心持ちにはなれません。昔は、
浮浪者が段ボールを持ち込んでいた時期もありましたかねえ。何とかしてあげたいな。
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tag : 橋