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弥三郎湯豆腐

関東と関西を代表して、池田弥三郎(1914~1982)と
長谷川幸延(1904~1977)が、食べ物の味比べを
「週刊読売」誌上で繰り広げた中から、豆腐と納豆に
関する一節を抜き書きさせていただこうと思うのです。
まずは、東の池田弥三郎から、湯豆腐について先制。
       ☆
 湯豆腐は関西のものであって、関東へは西から来た。――冷や奴は、同じ豆腐の料理でも関東風のものであったのと、ちょうど対になっている。――もちろん、そんなことは知識で知ったことで、東京の生活の中へも早くから湯豆腐そのものははいって来ていたわけで、豆腐の好きなわたしなどは、うまいものは決して拒否するわけではない。しかし、関東風の豆腐は、腰がつよいというのか、奴に切って、冷や奴にする方がたしかにうまい。
 東男に京女という、考えてみるとよくわからない諺(?)も、こじつければ、冷や奴向きの豆腐と、湯豆腐向きの豆腐との、東と西の対立を、男と女とで言っていると、説明できないこともない。関東の豆腐は、冷や奴向きで、ますらおぶりであり、関西の豆腐は、湯豆腐向きで、たおやめぶりということになる。
 湯豆腐ではこんなことがあった。
 久保田万太郎さんが、湯豆腐の道具を、京の樽源
(たるげん)さんから贈られて、その御礼に、
   湯豆腐や持薬の酒の一二杯
 という句を贈った。そうしたら、山田抄太郎さんが、これは小唄になると言い出されたのだが、花柳章太郎さんが、小唄にしては少し文句が足りないと言い、そこで久保田さんがそのあとへ「寒おすな」と付け加えた。山田さんはそのとき、手を悪くしておられたので、同席していた小唄の柴小百合さんに、口述で、三味線の手をつけられた。
 口述作曲というのは、まさに前代未聞のことだったが、たちまちにして、小唄「湯豆腐や」ができあがった。山田さんはさすがに、湯豆腐は上方のものだからという久保田さんの「寒おすな」の京ことばにふさわしいように、京の「あけぼの」の手ではじめられ、三国一の手をいれて、上方音頭風に仕上げられた。昭和三十七年一月七日のことであった。
 湯豆腐というと、この日のことを思い出す。風流韻事
(いんじ)ということだろう。

参考文献:池田弥三郎×長谷川幸延『味にしひがし』(土屋書店)
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テーマ : ご当地グルメ
ジャンル : グルメ

tag : 豆腐

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
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(自称)。
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