弥三郎納豆
池田弥三郎(1914~1982)と長谷川幸延
(1904~1977)が繰り広げた、関東と関西の
食べ物の味比べ――いよいよ、納豆編です。
☆
【東】 東京の下町には、朝早く納豆売りが来た。としよりか、少年であった。
東京の、下町の、大正時代のティピカルな生活を描いた、「茶目子の一日」という、レコードがあった。今でいう、ベスト・セラーものだった。その茶目子が目を覚すと、
向うの横丁から、いつものお婆さんが、納豆、納豆、納豆。納豆、みそ豆、とやって来る。
というわけだ。
入れものを出すと、納豆屋さんは、つとから納豆をそれに入れて、からしをたっぷりつけてくれた。
納豆も、からしに、醤油でたべるだけだったが、これもいつしか上方風にぜいたくになって、ねぎをきりこんだり、卵のきみをいれたりして、小料理屋で出すようになった。そんな納豆で、一品何百円もとられるのだから、納豆には全くお気の毒だ。納豆ぐらいは、貧しい食膳のたべものとして、残しておいてもらいたいものだ。
東北の、それも山形、秋田あたりの、納豆汁はたいへんうまい。いつかそのことを書いたら、山形県出身のおえら方に、お前のは違うと文句をつけられた。わたしは秋田県の角館(かくのだて)で、時期はずれだったが、わざわざ、ご馳走になったものだ。納豆をすりつぶして、油揚げを切りこんだだけのおつけだ。うまかった。
関東の納豆も、東京の湯島の天野屋のものなどは、豆が大粒で、わたしには水戸納豆の小粒のものよりも、この方がうまいと思うが、どうも味の点は、結局好き好きで、水戸ッぽうを怒らしては、関東の同士討ちになる。
どうも、関東は、登場するたべものが貧乏臭いけれども、ものの味は、なにも上方の懐石料理が最高というわけではない。なにか、いっそそんなら一万円札を揚げて食ったらどうか、と言いたくなるようなものより、どれほどいいか、しれやあしない。
参考文献:池田弥三郎×長谷川幸延『味にしひがし』(土屋書店)
(1904~1977)が繰り広げた、関東と関西の
食べ物の味比べ――いよいよ、納豆編です。
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【東】 東京の下町には、朝早く納豆売りが来た。としよりか、少年であった。
東京の、下町の、大正時代のティピカルな生活を描いた、「茶目子の一日」という、レコードがあった。今でいう、ベスト・セラーものだった。その茶目子が目を覚すと、
向うの横丁から、いつものお婆さんが、納豆、納豆、納豆。納豆、みそ豆、とやって来る。
というわけだ。
入れものを出すと、納豆屋さんは、つとから納豆をそれに入れて、からしをたっぷりつけてくれた。
納豆も、からしに、醤油でたべるだけだったが、これもいつしか上方風にぜいたくになって、ねぎをきりこんだり、卵のきみをいれたりして、小料理屋で出すようになった。そんな納豆で、一品何百円もとられるのだから、納豆には全くお気の毒だ。納豆ぐらいは、貧しい食膳のたべものとして、残しておいてもらいたいものだ。
東北の、それも山形、秋田あたりの、納豆汁はたいへんうまい。いつかそのことを書いたら、山形県出身のおえら方に、お前のは違うと文句をつけられた。わたしは秋田県の角館(かくのだて)で、時期はずれだったが、わざわざ、ご馳走になったものだ。納豆をすりつぶして、油揚げを切りこんだだけのおつけだ。うまかった。
関東の納豆も、東京の湯島の天野屋のものなどは、豆が大粒で、わたしには水戸納豆の小粒のものよりも、この方がうまいと思うが、どうも味の点は、結局好き好きで、水戸ッぽうを怒らしては、関東の同士討ちになる。
どうも、関東は、登場するたべものが貧乏臭いけれども、ものの味は、なにも上方の懐石料理が最高というわけではない。なにか、いっそそんなら一万円札を揚げて食ったらどうか、と言いたくなるようなものより、どれほどいいか、しれやあしない。
参考文献:池田弥三郎×長谷川幸延『味にしひがし』(土屋書店)
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