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将棋駒 in 大阪

歴史探偵の頭の中が、むずむずと痒くなりました。
最初、大坂と天童織田藩の関係に気を取られて、
豊臣秀吉や織田信長も将棋を愛好していたか、
さらなる藪の中に迷い込みそう……Google
検索すると、がっちりと手応えを得て、にんまり。
江戸時代から、大阪(大坂)は将棋駒の製造が
盛んで、地場産業としての成立を確信できました。
       ☆
『上方[復刻版]31号』(新和出版)
 ――江崎政忠「将棋の駒」
徳川幕府末世より今日に至る迄、我国全般に将棋駒を製造、供給、販売せる処は、山形県天童町と、我大阪市との二ケ所に限られたるものなり。
大阪は主として広く公衆需要に応ずべき、所謂並製品を主とし
・(昭和七年三月に締結した将栄会将棋駒同業者組合契約書によると)其組合員総て11名にして、何れも天王寺を中心として居住し、其家庭に於て執業するものなり
       ☆
尾本惠市/編著『日本文化としての将棋』(三元社)
 ――増川宏一著「江戸時代の将棋」
大阪城跡、高槻城跡からも将棋駒が発見されている。
 ――熊澤良尊著「水無瀬駒を探る-将棋駒・その伝統と文化について」
江戸時代では、商業や流通が発達し広く町人文化が興る中で、将棋人口は増大し、大坂・京・江戸辺りで駒づくりの専門職人が派生して生産が拡大する。
       ☆
堀田暁生/編『大阪の地名由来辞典』(東京堂出版)
【唐物町】 江戸時代の記録(『難波丸綱目』)によると、この町には将棋駒・革細工・皮足…(中略)など多様な職種の者が居住していたことがわかる
       ☆
『将棋展 将棋の文化とさまざまな将棋駒』(大阪商業大学商業史博物館)
【展示品で観る将棋駒の鑑賞法】
大阪独特の伝統的な彫り駒にごんたがある。彫りが深く、書体も個性的なことが特徴である。また、大阪での駒作りは、天童のそれより古い歴史がある。
        ☆
山形県天童市HP「天童と将棋駒
明治末期から大正時代になると天童や大阪等の産地で大量生産の体制に入り
大阪は天童以前の大衆駒の生産地であった
大阪彫り
米沢藩は大阪から駒師を招聘して駒造りが行われた
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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

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たまに「考える人」、歴史探偵。
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