新出入橋
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上画像は国道2号の北から南、下は南から。 |
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「新出入橋」のことについても記事を書こう、と
思っていました。「出入橋」のように橋の痕跡は
濃厚でなく、国道2号の北側と南側に親柱が
残されているだけではあります。画像の横断
歩道の東側に、新出入橋東交差点が在り、
「新出入橋」を南に入った所にリアルな「出入橋」
が在る(在った)のに、出入橋交差点は国道2号
上、新出入橋交差点の西に位置しているので、
実物と名称に乖離が感じられるのが(……桜橋
交差点や、浄正橋交差点も元の橋の位置から
離れているように)難と言えましょうか。やはり、
梅田入堀川に架けられていた橋です。明治
7年(1874)5月11日に初代・大阪駅が開業。
貨物輸送に水運を要し、明治10年(1877)、
駅から蜆川まで梅田入堀、翌11年(1878)、
堂島川まで堂島入堀が開削されています。
「出入橋」は梅田運河に合わせて架かったよう
ですが、「新出入橋」が大阪市電・第3期線の
開通を受けて架けられた物とすれば、だいぶ遅れています。第3期線である福島
曽根崎線は、明治45年(1912)5月1日に梅田新道交差点~出入橋間、大正元年
(1912)9月12日に出入橋~福島中五丁目間まで延伸して、全線開業しました。
☆
大正12年(1923)頃の様子を「大阪市パノラマ地図」で探ってみると、「出入橋」や
「新出入橋」が梅田入堀に架かり、大阪市電・出入橋駅は「新出入橋」の西詰に
在ったのでしょうか。出入橋駅の北の方を、当時の阪神電車が走っていますが、
草創期の阪神電車の起点であった出入橋から、現在の「ハービスENT」辺りまで
(大阪)梅田駅は延伸しています。阪神・梅田駅が現在地まで地下線で東進
したのは昭和14年(1939)3月21日。よく、阪神電気鉄道(阪神電車)は開業当初、
出入橋を起点としたといわれるのですが、「出入橋交差点」ではないし、「出入橋」
自体でもないので、要注意。現在の「西梅田公園」の辺りです。ちょうど、河合隆三
「なかよし」が設置されている辺りではないかしら。“猫道”ではないのですけれども、
松永真「壁ぬけ猫」等の在る場所も、ほぼ、阪神電車の走る上ではないか?!と。

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