★ 2023年4月に読んだ本 ★
辰巳博・著/福田静二・編『大阪市電が走った街 今昔』(JTB)
中島らも『今夜、すべてのバーで』(講談社文庫)
……マイ・クラシックにして、4月の「二人の読書会」テクスト。小説としての弱点は
やはり終盤。精神科医の報告書を主人公の“新生”の契機とするのは、如何にも
説得力不足。ただ、作者は作為より、リアルな症例を尊重したとも考えられる訳で。
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 6』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……第6号(SONNY CLARK)では、ジャズ・スタンダード「朝日のように
さわやかに(Softly As In A Morning Sunrise)」を愛聴していましたねえ。
大鋸時生・三村幸一『文楽―鑑賞のために―』(保育社)
入江泰吉・青山茂『仏像―そのプロフィル―』(保育社)
『まんが 蕪村さんの都島歴史漫遊記』(大阪市都島区役所)
……脚本・画:谷川桜太郎。与謝蕪村の理解は、個人的にまだ萩原朔太郎止まり。
入江泰吉・関信子『仏像のみかた』(保育社)
北尾浩一『星と生きる 天文民俗学の試み』(ウインかもがわ)
……昨年の「文学フリマ大阪」にて入手。試論でなく、もっと、がっつり読みたい。
『ワード/エクセル/パワーポイント 基本の使い方がぜんぶわかる本』(スタンダーズ)
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 7』
(デアゴスティーニ・ジャパン)……LEE MORGAN は33歳で射殺されていました。
山田風太郎『伊賀忍法帖』(講談社文庫)
辺見金三郎『食べられる野草』(保育社)
中島らも、ミスター・ヒト『クマと闘ったヒト』(メディアファクトリー)
……玉造のお好み焼き「ゆき」では、ミスター・ヒト(1942~2010)に随分とお世話に
なりました。プロレス本寄りでなく、ミスター・ヒト(安達勝治さん)個人のインタビュー
本を期待していたのですが、仕方ないか。何とも、胸が切なく、苦しくなります。
松嶋雅人『あやしい美人画』(東京美術)
山田風太郎『警視庁草紙 上』(ちくま文庫)……「山田風太郎明治小説全集1」。
山田風太郎『警視庁草紙 下』(ちくま文庫)……「山田風太郎明治小説全集2」となり、
順番としては前後して、『明治断頭台』を先に読んでいました。後日、ピック・アップ。
『文楽床本集 国立文楽劇場 令和5年4月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
『第170回=文楽公演 令和5年4月 国立文楽劇場』
(独立行政法人日本芸術文化振興会)……巻末に、英文での鑑賞ガイド付き。
監修=岡本良一、執筆=朝日新聞阪神支局 『花の下影 幕末浪花のくいだおれ』
(清文堂)……郷土史ネタばかりでなく、豆腐・こんにゃくネタでも使用する予定。
中島らも『今夜、すべてのバーで』(講談社文庫)
……マイ・クラシックにして、4月の「二人の読書会」テクスト。小説としての弱点は
やはり終盤。精神科医の報告書を主人公の“新生”の契機とするのは、如何にも
説得力不足。ただ、作者は作為より、リアルな症例を尊重したとも考えられる訳で。
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 6』(デアゴスティーニ・
ジャパン)……第6号(SONNY CLARK)では、ジャズ・スタンダード「朝日のように
さわやかに(Softly As In A Morning Sunrise)」を愛聴していましたねえ。
大鋸時生・三村幸一『文楽―鑑賞のために―』(保育社)
入江泰吉・青山茂『仏像―そのプロフィル―』(保育社)
『まんが 蕪村さんの都島歴史漫遊記』(大阪市都島区役所)
……脚本・画:谷川桜太郎。与謝蕪村の理解は、個人的にまだ萩原朔太郎止まり。
入江泰吉・関信子『仏像のみかた』(保育社)
北尾浩一『星と生きる 天文民俗学の試み』(ウインかもがわ)
……昨年の「文学フリマ大阪」にて入手。試論でなく、もっと、がっつり読みたい。
『ワード/エクセル/パワーポイント 基本の使い方がぜんぶわかる本』(スタンダーズ)
『隔週刊 ブルーノート・ベスト・ジャズコレクション 高音質版 7』
(デアゴスティーニ・ジャパン)……LEE MORGAN は33歳で射殺されていました。
山田風太郎『伊賀忍法帖』(講談社文庫)
辺見金三郎『食べられる野草』(保育社)
中島らも、ミスター・ヒト『クマと闘ったヒト』(メディアファクトリー)
……玉造のお好み焼き「ゆき」では、ミスター・ヒト(1942~2010)に随分とお世話に
なりました。プロレス本寄りでなく、ミスター・ヒト(安達勝治さん)個人のインタビュー
本を期待していたのですが、仕方ないか。何とも、胸が切なく、苦しくなります。
松嶋雅人『あやしい美人画』(東京美術)
山田風太郎『警視庁草紙 上』(ちくま文庫)……「山田風太郎明治小説全集1」。
山田風太郎『警視庁草紙 下』(ちくま文庫)……「山田風太郎明治小説全集2」となり、
順番としては前後して、『明治断頭台』を先に読んでいました。後日、ピック・アップ。
『文楽床本集 国立文楽劇場 令和5年4月』(独立行政法人日本芸術文化振興会)
『第170回=文楽公演 令和5年4月 国立文楽劇場』
(独立行政法人日本芸術文化振興会)……巻末に、英文での鑑賞ガイド付き。
監修=岡本良一、執筆=朝日新聞阪神支局 『花の下影 幕末浪花のくいだおれ』
(清文堂)……郷土史ネタばかりでなく、豆腐・こんにゃくネタでも使用する予定。
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駒川の橋(2)
大阪市東住吉区の駒川に沿って、北へ
進んで行きます。「大正橋」の1本下流
(北側)に架かっているのが「知友橋
(ちゆうはし)」で、右上画像に当たります。
これまでの金属製の高欄と異なって、
花崗岩風(?!)の素材が使われている
ように見受けられました。“知友”自体の
意味は辞書どおりでよいと思われます
が、「知友橋」と名付けられた理由が、
全くわかりません。右中画像が「知友橋」
から1本北側に在る「寿橋」。同橋から
東を眺めてみると、「駒川商店街」の
アーケードが迫って、よく “十字形”の
商店街と形容されるのですが、実際は
東西に延びるアーケードが(少なくとも)
2本在る以上、“十字形”は正確でないな
と思ったりしています。「寿橋」の高欄は
「大正橋」と同タイプで、右下画像の
「高砂橋」は、「駒川橋」、「天神橋」と
同タイプのようです。「寿橋」の1本北に
架かるのが「高砂橋」。Googleマップで
確かめてみたところ、「高砂橋」を中心に
して東西に延びる通りが、“高砂橋通”
と記されていました。「駒川商店街」
南北のアーケードと 駒川は、平行に
走り、商店街の北限の最寄り駅が、
Osaka Metro・谷町線の駒川中野。
駅スタンプがアーケードのロゴでした。
参考記事:駒川商店街
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進んで行きます。「大正橋」の1本下流
(北側)に架かっているのが「知友橋
(ちゆうはし)」で、右上画像に当たります。
これまでの金属製の高欄と異なって、
花崗岩風(?!)の素材が使われている
ように見受けられました。“知友”自体の
意味は辞書どおりでよいと思われます
が、「知友橋」と名付けられた理由が、
全くわかりません。右中画像が「知友橋」
から1本北側に在る「寿橋」。同橋から
東を眺めてみると、「駒川商店街」の
アーケードが迫って、よく “十字形”の
商店街と形容されるのですが、実際は
東西に延びるアーケードが(少なくとも)
2本在る以上、“十字形”は正確でないな
と思ったりしています。「寿橋」の高欄は
「大正橋」と同タイプで、右下画像の
「高砂橋」は、「駒川橋」、「天神橋」と
同タイプのようです。「寿橋」の1本北に
架かるのが「高砂橋」。Googleマップで
確かめてみたところ、「高砂橋」を中心に
して東西に延びる通りが、“高砂橋通”
と記されていました。「駒川商店街」
南北のアーケードと 駒川は、平行に
走り、商店街の北限の最寄り駅が、
Osaka Metro・谷町線の駒川中野。
駅スタンプがアーケードのロゴでした。
参考記事:駒川商店街
よなおし地蔵

「了徳院(浦江聖天)」に来てようやく、
まだ咲き残っていた野田藤と巡り合え、
本当に良かったです。他のスポットの
藤棚が壊滅状態でしたからねえ。左
画像(4月18日撮影分)は、「了徳院」
の「よなおし地蔵」等ですよ。左隣の
「まおさま」は最近ありがちなファンシー
地蔵で、右隣「くりんさま」は道祖神に
よくある男根タイプかな?! 軽くスルーして、センターの「よなおし地蔵」解説文を注視。
勝手にアナーキーな内容を期待してみたのですけれど、何が“世直し”なのか、一切
触れられていません。ただ、享保3年(1718)は“お蔭参り”流行の年として知られ、
後年(1867)の“ええじゃないか”につながる民衆運動の匂いが感じられましょうか。
因みに、発見された昭和62年(1987)と言えば、4月1日、日本国有鉄道が解散し、
JRが事業を継承。それから、5月3日、「赤報隊事件」が起きていました……。
☆
昭和六十二年春、大阪梅田西、元国鉄貨物操作場跡地
都市計画再開発工事着手の砌、深さ二米の地中より
一七一八年(享保三年)製作建立のお地蔵様が
御出現 御発光になられました。関係者一同、
不思議の御縁仏に歓喜し、如意山了徳院へ奉祀す。
「よなおし地蔵」と御命名 不思議の霊験有り。
みなさん いろいろのお願いをもってお参りしましょう。
御真言 おん・かかかび・さんま・えいそわか
如意山 山主 敬白
tag : 仏像
赤報隊の下影
翌朝10時の出発となる「北区ぶらぶら 2023」第1回、
「変わりゆく梅田から大淀界隈を巡る ―現在と過去と
行ったり来たり―」を前に、Yさんに紹介された 『花の
下影』の頁を捲っていると、とんでもない事実に気付き、
眠れなくなってしまいました。恐ろしいネタが仕込まれて
いたことよ(右画像は、同書に掲載の「大仁村 麦飯」)。
☆
『花の下影』は、江戸末期 “食い倒れ”の街・大坂の諸相を
描いた画帳で、筆者は不明。昭和60年(1985)、芦屋市の
会社社長・広瀬正巳氏宅の蔵から発見されると、朝日新聞
紙上での紹介~連載を経て、翌年(1986)、朝日新聞
阪神支局から発行されました。成立したとみられる元治
元年(1864)頃と言えば、同年、大坂町奉行所与力・内山彦次郎が暗殺されて
います。彦次郎は大塩平八郎と同時代の与力であり、菩提寺が「寒山寺」
(現在は箕面市)でした。他に、禁門の変、第1次長州征伐、下関戦争...etc.
が起きた時代であるにも関わらず、世情の不安、政治動向を感じ取らせない
飄逸な雰囲気の大坂グルメ本。バブル崩壊(1991)前夜の初版発行ですが、
その間、発行年の翌年、昭和62年(1987)5月3日に、あの赤報隊事件(広域
重要指定116号事件)――朝日新聞阪神支局が襲撃され、散弾銃により、
2人の記者が殺傷されています。その2人の氏名を 『花の下影』執筆者一覧に
発見した時の衝撃が おわかりいただけますでしょうか? 殺害された小尻知博
記者(享年29)、右手の小指と薬指を失った犬飼兵衛記者(当時42歳)に黙禱を
捧げます……大事なことは常に隠されており、解読者が求められているのでしょう。
参考文献:監修=岡本良一、執筆=朝日新聞阪神支局 『花の下影 幕末浪花のくいだおれ』(清文堂)

「変わりゆく梅田から大淀界隈を巡る ―現在と過去と
行ったり来たり―」を前に、Yさんに紹介された 『花の
下影』の頁を捲っていると、とんでもない事実に気付き、
眠れなくなってしまいました。恐ろしいネタが仕込まれて
いたことよ(右画像は、同書に掲載の「大仁村 麦飯」)。
☆
『花の下影』は、江戸末期 “食い倒れ”の街・大坂の諸相を
描いた画帳で、筆者は不明。昭和60年(1985)、芦屋市の
会社社長・広瀬正巳氏宅の蔵から発見されると、朝日新聞
紙上での紹介~連載を経て、翌年(1986)、朝日新聞
阪神支局から発行されました。成立したとみられる元治
元年(1864)頃と言えば、同年、大坂町奉行所与力・内山彦次郎が暗殺されて
います。彦次郎は大塩平八郎と同時代の与力であり、菩提寺が「寒山寺」
(現在は箕面市)でした。他に、禁門の変、第1次長州征伐、下関戦争...etc.
が起きた時代であるにも関わらず、世情の不安、政治動向を感じ取らせない
飄逸な雰囲気の大坂グルメ本。バブル崩壊(1991)前夜の初版発行ですが、
その間、発行年の翌年、昭和62年(1987)5月3日に、あの赤報隊事件(広域
重要指定116号事件)――朝日新聞阪神支局が襲撃され、散弾銃により、
2人の記者が殺傷されています。その2人の氏名を 『花の下影』執筆者一覧に
発見した時の衝撃が おわかりいただけますでしょうか? 殺害された小尻知博
記者(享年29)、右手の小指と薬指を失った犬飼兵衛記者(当時42歳)に黙禱を
捧げます……大事なことは常に隠されており、解読者が求められているのでしょう。
参考文献:監修=岡本良一、執筆=朝日新聞阪神支局 『花の下影 幕末浪花のくいだおれ』(清文堂)
tag : 美術
ライブラリ
応募していた大阪中之島美術館・大阪市立阿倍野市民学習センター
連携講座「都市風景画家、佐伯祐三の魅力」が落選してしまった
ものですから、無理して取った有給休暇もふいとなり、弱りました。
明日が「北区ぶらぶら 2023」第1回の本番ですから、良い準備
時間に充てられるとはいえ、今一つ、もやもやとしています。「大阪
市立住まい情報センター」に立ち寄った後、Osaka Metro・堺筋線で
天神橋筋六丁目から北浜に移動。「大阪府立中之島図書館」に
上がり、利用者カードを更新しつつ、夕刊大阪新聞社「大大阪区勢
地図 最新の西淀川区」(1937)を複写しました。同一個所を2枚
以上コピーしてはいけない等、七面倒な注意事項有り。何の気無しに
一読していた佐藤哲也『大阪の味』が役立つ日が来るとは……。
☆
この浦江のあたり(現・大阪市福島区)は、むかしはかきつばたや蓮の名所だったらしい。弁天さまがあって、そのそばに大きな池があったとか。いまは工場や人家が建てこんでおもかげはさらにないが、その中にも、かつてをしのぶよすがは残っている。冨竹旅館で作っているはすめしがそれである。
慶応四年(1869)に、いまのご主人の北村太源さんの二代前、富造(原文ママ)さん、お竹さんという夫婦が茶店を開き、はすの葉を味つけごはんの中に刻みこんで炊いて供していたのがはじまり。その後現代にいたって、はすの葉では季節が限られるところから、はすの実を炊きこむようにした。
☆
『大阪の味』(保育社)の初版は、昭和43年(1968)2月1日発行。
佐藤哲也(1927~1972)は、「新大阪新聞」の記者でした。同社は
平成7年(1995)4月28日に廃刊。プロレス者ならば、あの「週刊
ファイト」を発行していた新聞社か!と、心覚えがあるはずです。
参考文献:佐藤哲也『大阪の味』(保育社)
連携講座「都市風景画家、佐伯祐三の魅力」が落選してしまった
ものですから、無理して取った有給休暇もふいとなり、弱りました。
明日が「北区ぶらぶら 2023」第1回の本番ですから、良い準備
時間に充てられるとはいえ、今一つ、もやもやとしています。「大阪
市立住まい情報センター」に立ち寄った後、Osaka Metro・堺筋線で
天神橋筋六丁目から北浜に移動。「大阪府立中之島図書館」に
上がり、利用者カードを更新しつつ、夕刊大阪新聞社「大大阪区勢
地図 最新の西淀川区」(1937)を複写しました。同一個所を2枚
以上コピーしてはいけない等、七面倒な注意事項有り。何の気無しに
一読していた佐藤哲也『大阪の味』が役立つ日が来るとは……。
☆
この浦江のあたり(現・大阪市福島区)は、むかしはかきつばたや蓮の名所だったらしい。弁天さまがあって、そのそばに大きな池があったとか。いまは工場や人家が建てこんでおもかげはさらにないが、その中にも、かつてをしのぶよすがは残っている。冨竹旅館で作っているはすめしがそれである。
慶応四年(1869)に、いまのご主人の北村太源さんの二代前、富造(原文ママ)さん、お竹さんという夫婦が茶店を開き、はすの葉を味つけごはんの中に刻みこんで炊いて供していたのがはじまり。その後現代にいたって、はすの葉では季節が限られるところから、はすの実を炊きこむようにした。
☆
『大阪の味』(保育社)の初版は、昭和43年(1968)2月1日発行。
佐藤哲也(1927~1972)は、「新大阪新聞」の記者でした。同社は
平成7年(1995)4月28日に廃刊。プロレス者ならば、あの「週刊
ファイト」を発行していた新聞社か!と、心覚えがあるはずです。
参考文献:佐藤哲也『大阪の味』(保育社)
駒川の橋(1)

接続しています。「天神橋筋商店街」や「千林商店街」と
同じく、大阪を代表する商店街ですけれども、直線でなく、
東西190m+南北540mの十字形(全長730m)でした。
その東西のアーケードを西へ抜けると、駒川に出喰わし、
架かっていたのが「駒川橋」であります。古くは「高麗川
(巨摩川)」と呼ばれていたらしく、沿岸に百済や新羅
からの渡来人が住み着いたことに由来するといわれて
います。橋の上に立って、駒川の南を眺め、北に目を
遣り、やばいと感じたのは、上流~下流に架かる橋が
次々と目に映ったこと。後で調べてみると、駒川の南北
約3.6㎞の
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![]() |
川筋には、
55本の橋
が架かって
いるそうで、約65m間隔で大半の狭路に
設けられている勘定。大正から昭和時代
初期にかけて、田地を宅地化する土地
区画整理などで造られた新道にも、橋が
新たに架けられたためです。下流(北)へ
歩を進めて行けば、「天神橋」――
大阪府池田市や兵庫県姫路市でも
「天神橋」には遭遇していましたが、同じ
大阪市の東住吉区にも在りましたか。
その1本北に架かるのが「大正橋」。
大正区の「大正橋」同様、大正年間の
架橋に因む命名でして、同名異橋…
…なのに、不思議と親しみを感じるの。
参考記事:東住吉100物語 ― 037 駒川
Gushy,Gushy
Old school のまま、生き永らえてきたけれど、
黒い音は身の周りを流れ続けていくでしょう。
もう2年前にリリースされた Silk Sonic の
デビュー盤は、まだまだ聴き続けることが可能。
『AN EVENING WITH Silc Sonic』 からの
楽曲「Leave The Door Open」が、グラミー賞
等を獲得していますが、ファンカティアとして選ぶ
ベストは、Bootsy Collins と Thundercat を
フィーチャーした「After Last Night」。個人的には
Bruno Mars のソロ・プロジェクトだったら、どうなって
いたかしら? と、想像を巡らすのも愉しくはあり。
黒い音は身の周りを流れ続けていくでしょう。
もう2年前にリリースされた Silk Sonic の
デビュー盤は、まだまだ聴き続けることが可能。
『AN EVENING WITH Silc Sonic』 からの
楽曲「Leave The Door Open」が、グラミー賞
等を獲得していますが、ファンカティアとして選ぶ
ベストは、Bootsy Collins と Thundercat を
フィーチャーした「After Last Night」。個人的には
Bruno Mars のソロ・プロジェクトだったら、どうなって
いたかしら? と、想像を巡らすのも愉しくはあり。
テーマ : Soul, R&B, Funk
ジャンル : 音楽
tag : 黒い音
隅切り
「交差点」とは何か? ――「道路交通法」では、その意義が
「十字路、丁字路その他二以上の道路が交わる場合における
当該二以上の道路(歩道と車道の区別のある道路においては、
車道)の交わる部分をいう 」と定められています。つまり、複数
(2本以上)の道路が交わっている場所。信号機の有無を問わず、
平面交差だけでなく、立体交差も含みます。「道路」が交わる
場所であって、道路交通法上、「路地」(幅員3m以下で、車両が
一般交通の用に供していない道路)と交わる場所については
「交差点」と見なされません。その「交差点」の“範囲”については、
いくつかの説(方式)が挙げられるようです。交差している道路の
各側線の始端を結ぶ線で囲まれた範囲を交差点とする「始端
結合方式」、道路の各側線を延長して、他の道路の側線と
接点を作り、始端や接点を結んだ線で囲まれた範囲を交差点
とする「側線延長方式」、道路の各側線の始端から 対向側線に
対して垂直に線を引いて作った接点と始端を結んだ線で囲まれた
範囲を交差点とする「始端垂直方式」、交差する道路からそれぞれ
進行してくる車両が衝突する恐れのある部分を交差点の範囲とする
「車両衝突推定地点方式」――「車両衝突推定地点方式」が
現実に即しているようですが、恣意に陥る憾みが残ります。なお、
二辺が道路に接する角地を敷地として利用する場合、接する角の
一部分を空き地にする“隅切り”は、交差点に含まれていますよ。
「建築基準法」において、「建築物の敷地は、道路 (幅員4m以上)に
二メートル以上接しなければならない」(接道義務)とある一方、
市町村の条例または指導によって、“角敷地の建築制限”が実施
されているのでありました。ぼくの好きな“三角ビル”の足下に注目。
「十字路、丁字路その他二以上の道路が交わる場合における
当該二以上の道路(歩道と車道の区別のある道路においては、
車道)の交わる部分をいう 」と定められています。つまり、複数
(2本以上)の道路が交わっている場所。信号機の有無を問わず、
平面交差だけでなく、立体交差も含みます。「道路」が交わる
場所であって、道路交通法上、「路地」(幅員3m以下で、車両が
一般交通の用に供していない道路)と交わる場所については
「交差点」と見なされません。その「交差点」の“範囲”については、
いくつかの説(方式)が挙げられるようです。交差している道路の
各側線の始端を結ぶ線で囲まれた範囲を交差点とする「始端
結合方式」、道路の各側線を延長して、他の道路の側線と
接点を作り、始端や接点を結んだ線で囲まれた範囲を交差点
とする「側線延長方式」、道路の各側線の始端から 対向側線に
対して垂直に線を引いて作った接点と始端を結んだ線で囲まれた
範囲を交差点とする「始端垂直方式」、交差する道路からそれぞれ
進行してくる車両が衝突する恐れのある部分を交差点の範囲とする
「車両衝突推定地点方式」――「車両衝突推定地点方式」が
現実に即しているようですが、恣意に陥る憾みが残ります。なお、
二辺が道路に接する角地を敷地として利用する場合、接する角の
一部分を空き地にする“隅切り”は、交差点に含まれていますよ。
「建築基準法」において、「建築物の敷地は、道路 (幅員4m以上)に
二メートル以上接しなければならない」(接道義務)とある一方、
市町村の条例または指導によって、“角敷地の建築制限”が実施
されているのでありました。ぼくの好きな“三角ビル”の足下に注目。
tag : 建築
了徳院山門
現場の状況が比較的落ち着いていた
ことから、残業を1時間程度で切り上げる
と、相方と合流し、福島まで歩きました。
「北新地ハットボーイビル」や「西梅田
公園」の「なかよし」等を眺めて行き、
「聖天通商店街」を進みまして、如意山
「了徳院」(浦江聖天)を訪ねたのです。
既に閉門していましたが、用があるのは
「山門」自体につき、無問題。夜間は
ライト・アップしているので、“子持ち龍”等が見やすいよ。先日、住職に教わって
いました。丸角(まるかく)流の垂木などは昼間でも歴然としていますが、龍はねえ。
住職の韜晦した口ぶりを思い出し、子龍の居場所については、逆に確信が強まった
かもしれません。(親)龍の頭上の梁の上の円板には、(おそらく)弁才天が彫られて
いる模様。蓮華座に坐し、琵琶らしき物を抱えている……と言われれば、そう見えます。
金網が邪魔なの。「GIMP」を弄って、どうにかならないものか、苦闘してみましたが。

ことから、残業を1時間程度で切り上げる
と、相方と合流し、福島まで歩きました。
「北新地ハットボーイビル」や「西梅田
公園」の「なかよし」等を眺めて行き、
「聖天通商店街」を進みまして、如意山
「了徳院」(浦江聖天)を訪ねたのです。
既に閉門していましたが、用があるのは
「山門」自体につき、無問題。夜間は
ライト・アップしているので、“子持ち龍”等が見やすいよ。先日、住職に教わって
いました。丸角(まるかく)流の垂木などは昼間でも歴然としていますが、龍はねえ。
住職の韜晦した口ぶりを思い出し、子龍の居場所については、逆に確信が強まった
かもしれません。(親)龍の頭上の梁の上の円板には、(おそらく)弁才天が彫られて
いる模様。蓮華座に坐し、琵琶らしき物を抱えている……と言われれば、そう見えます。
金網が邪魔なの。「GIMP」を弄って、どうにかならないものか、苦闘してみましたが。
大鉄局の名残

「北区ぶらぶら 2023」第1回の下見を
行っています。独りで複数回の検証を
実施済みなので、ルートには自信が
あるのですけれども、史実的にグレーな
ポイントがちらほら含まれているため、
別な意味で難儀しそう。正午にJR福島
駅近くで自由解散しますと、Yさんらと
「ラグザスクエア」B1Fの中華料理
「福の虎」に入ってランチ。13時からは、同期のEさんと連れ立って、「うめきた2期
地区」周辺を探索しています。画像は、「西日本旅客鉄道」本社ビルの南側に位置する
庭園のベンチ。中庭を囲んだ中廊下式六角形の建物だった 旧「大阪鉄道管理局」
庁舎の形状をモチーフに、平成4年(1992)3月末に設置されました。その足で、「グラン
フロント大阪」南館、北館9階のテラスガーデンも確認……時間のロスが気掛かりね。
「大阪屋」で座ったり、立ったりして、「文楽公演」に向かう支度のために、慌ただしく。
テーマ : 美術館・博物館 展示めぐり。
ジャンル : 学問・文化・芸術