下高野街道(2)
4月19日(水)、歴史街道ウォーク「下高野街道(2)」に参加。
Osaka Metro・谷町線の田辺駅を10時出発の予定ですが、
ぼくは9時過ぎ、近鉄・南大阪線の北田辺駅に到着。実は
駅スタンプを押そうと企んでいたものの、設置しておらず。
残念がりつつ、「庚申街道」を歩き、「南地蔵尊」等をチェック
しながら、集合場所に10分前、顔を見せることとなりました。
☆
街道跡を律儀に辿るという雰囲気でなく、古街道
周辺の史跡を見物して回るという和やかなムード
です。途中、断続的に雨に見舞われたこと以外、
(タイム・オーバーも含め)全て想定内でしょうか。
田辺駅から一旦西へ向かい、「うどんや風一夜
薬」に立ち寄り、隣の「神馬塚」も見物。下高野
街道はどこに行ったか、難波大道といわれる
道の跡を南下して行きます。雨に見舞われながら
も、「法楽寺」や「山阪神社」の境内に入って
時間を費やしました(社務所に人が立ち働いていることを確認)。左上画像は「法楽寺」
三重宝塔に置かれていた鶏の形をした木魚。「開梆」は魚ですが、鶏タイプもあるのか。
☆
その後、「南田辺本通商店街」を南下し、南港通を東進。東住吉区役所前交差点も
過ぎ、駒川に架かる「都橋」を渡りました。近鉄・南大阪線を潜り、Osaka Metro・
谷町線の駒川中野駅の位置を確認してから、中野村の環濠跡を探る感じで、足を
踏み入れ。「仏願寺」南隣の「中井神社」は、渡来系氏族・田辺氏が祖先神を祀った
“田辺東神”と『三代実録』(901)には記され、対する“田辺西神”が「山阪神社」で
ありました。南海鉄道・平野線(廃線)の石標に目を凝らし、今なお現役の「中野
鍼灸院」に感嘆の声を上げ、「駒川商店街」に直結した近鉄・針中野駅で解散。
ただし、ぼくは独りで逆コースを辿ります。まずは、駒川に架かる橋を(一部)撮影
しながら北上していますが、「山阪神社」と「法楽寺」にて、御朱印も頂けましたよ。
(“田辺不動尊”以外にも、ネタが満載の「法楽寺」は、いずれ再訪したくもあり……)
谷町線の田辺駅から乗車。帰途に就いているようでいて、谷町四丁目で途中下車。
「大阪歴史博物館」に立ち寄り、ショップに直行し、必要な資料集を入手しています。
参考記事:大阪市東住吉区 ― 下高野街道
同 ― 中野村の環濠
Osaka Metro・谷町線の田辺駅を10時出発の予定ですが、
ぼくは9時過ぎ、近鉄・南大阪線の北田辺駅に到着。実は
駅スタンプを押そうと企んでいたものの、設置しておらず。
残念がりつつ、「庚申街道」を歩き、「南地蔵尊」等をチェック
しながら、集合場所に10分前、顔を見せることとなりました。
☆

周辺の史跡を見物して回るという和やかなムード
です。途中、断続的に雨に見舞われたこと以外、
(タイム・オーバーも含め)全て想定内でしょうか。
田辺駅から一旦西へ向かい、「うどんや風一夜
薬」に立ち寄り、隣の「神馬塚」も見物。下高野
街道はどこに行ったか、難波大道といわれる
道の跡を南下して行きます。雨に見舞われながら
も、「法楽寺」や「山阪神社」の境内に入って
時間を費やしました(社務所に人が立ち働いていることを確認)。左上画像は「法楽寺」
三重宝塔に置かれていた鶏の形をした木魚。「開梆」は魚ですが、鶏タイプもあるのか。
☆
その後、「南田辺本通商店街」を南下し、南港通を東進。東住吉区役所前交差点も
過ぎ、駒川に架かる「都橋」を渡りました。近鉄・南大阪線を潜り、Osaka Metro・
谷町線の駒川中野駅の位置を確認してから、中野村の環濠跡を探る感じで、足を
踏み入れ。「仏願寺」南隣の「中井神社」は、渡来系氏族・田辺氏が祖先神を祀った
“田辺東神”と『三代実録』(901)には記され、対する“田辺西神”が「山阪神社」で
ありました。南海鉄道・平野線(廃線)の石標に目を凝らし、今なお現役の「中野
鍼灸院」に感嘆の声を上げ、「駒川商店街」に直結した近鉄・針中野駅で解散。
ただし、ぼくは独りで逆コースを辿ります。まずは、駒川に架かる橋を(一部)撮影
しながら北上していますが、「山阪神社」と「法楽寺」にて、御朱印も頂けましたよ。
(“田辺不動尊”以外にも、ネタが満載の「法楽寺」は、いずれ再訪したくもあり……)
谷町線の田辺駅から乗車。帰途に就いているようでいて、谷町四丁目で途中下車。
「大阪歴史博物館」に立ち寄り、ショップに直行し、必要な資料集を入手しています。
参考記事:大阪市東住吉区 ― 下高野街道
同 ― 中野村の環濠
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