駒川の橋(1)

接続しています。「天神橋筋商店街」や「千林商店街」と
同じく、大阪を代表する商店街ですけれども、直線でなく、
東西190m+南北540mの十字形(全長730m)でした。
その東西のアーケードを西へ抜けると、駒川に出喰わし、
架かっていたのが「駒川橋」であります。古くは「高麗川
(巨摩川)」と呼ばれていたらしく、沿岸に百済や新羅
からの渡来人が住み着いたことに由来するといわれて
います。橋の上に立って、駒川の南を眺め、北に目を
遣り、やばいと感じたのは、上流~下流に架かる橋が
次々と目に映ったこと。後で調べてみると、駒川の南北
約3.6㎞の
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川筋には、
55本の橋
が架かって
いるそうで、約65m間隔で大半の狭路に
設けられている勘定。大正から昭和時代
初期にかけて、田地を宅地化する土地
区画整理などで造られた新道にも、橋が
新たに架けられたためです。下流(北)へ
歩を進めて行けば、「天神橋」――
大阪府池田市や兵庫県姫路市でも
「天神橋」には遭遇していましたが、同じ
大阪市の東住吉区にも在りましたか。
その1本北に架かるのが「大正橋」。
大正区の「大正橋」同様、大正年間の
架橋に因む命名でして、同名異橋…
…なのに、不思議と親しみを感じるの。
参考記事:東住吉100物語 ― 037 駒川
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