赤報隊の下影
翌朝10時の出発となる「北区ぶらぶら 2023」第1回、
「変わりゆく梅田から大淀界隈を巡る ―現在と過去と
行ったり来たり―」を前に、Yさんに紹介された 『花の
下影』の頁を捲っていると、とんでもない事実に気付き、
眠れなくなってしまいました。恐ろしいネタが仕込まれて
いたことよ(右画像は、同書に掲載の「大仁村 麦飯」)。
☆
『花の下影』は、江戸末期 “食い倒れ”の街・大坂の諸相を
描いた画帳で、筆者は不明。昭和60年(1985)、芦屋市の
会社社長・広瀬正巳氏宅の蔵から発見されると、朝日新聞
紙上での紹介~連載を経て、翌年(1986)、朝日新聞
阪神支局から発行されました。成立したとみられる元治
元年(1864)頃と言えば、同年、大坂町奉行所与力・内山彦次郎が暗殺されて
います。彦次郎は大塩平八郎と同時代の与力であり、菩提寺が「寒山寺」
(現在は箕面市)でした。他に、禁門の変、第1次長州征伐、下関戦争...etc.
が起きた時代であるにも関わらず、世情の不安、政治動向を感じ取らせない
飄逸な雰囲気の大坂グルメ本。バブル崩壊(1991)前夜の初版発行ですが、
その間、発行年の翌年、昭和62年(1987)5月3日に、あの赤報隊事件(広域
重要指定116号事件)――朝日新聞阪神支局が襲撃され、散弾銃により、
2人の記者が殺傷されています。その2人の氏名を 『花の下影』執筆者一覧に
発見した時の衝撃が おわかりいただけますでしょうか? 殺害された小尻知博
記者(享年29)、右手の小指と薬指を失った犬飼兵衛記者(当時42歳)に黙禱を
捧げます……大事なことは常に隠されており、解読者が求められているのでしょう。
参考文献:監修=岡本良一、執筆=朝日新聞阪神支局 『花の下影 幕末浪花のくいだおれ』(清文堂)

「変わりゆく梅田から大淀界隈を巡る ―現在と過去と
行ったり来たり―」を前に、Yさんに紹介された 『花の
下影』の頁を捲っていると、とんでもない事実に気付き、
眠れなくなってしまいました。恐ろしいネタが仕込まれて
いたことよ(右画像は、同書に掲載の「大仁村 麦飯」)。
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『花の下影』は、江戸末期 “食い倒れ”の街・大坂の諸相を
描いた画帳で、筆者は不明。昭和60年(1985)、芦屋市の
会社社長・広瀬正巳氏宅の蔵から発見されると、朝日新聞
紙上での紹介~連載を経て、翌年(1986)、朝日新聞
阪神支局から発行されました。成立したとみられる元治
元年(1864)頃と言えば、同年、大坂町奉行所与力・内山彦次郎が暗殺されて
います。彦次郎は大塩平八郎と同時代の与力であり、菩提寺が「寒山寺」
(現在は箕面市)でした。他に、禁門の変、第1次長州征伐、下関戦争...etc.
が起きた時代であるにも関わらず、世情の不安、政治動向を感じ取らせない
飄逸な雰囲気の大坂グルメ本。バブル崩壊(1991)前夜の初版発行ですが、
その間、発行年の翌年、昭和62年(1987)5月3日に、あの赤報隊事件(広域
重要指定116号事件)――朝日新聞阪神支局が襲撃され、散弾銃により、
2人の記者が殺傷されています。その2人の氏名を 『花の下影』執筆者一覧に
発見した時の衝撃が おわかりいただけますでしょうか? 殺害された小尻知博
記者(享年29)、右手の小指と薬指を失った犬飼兵衛記者(当時42歳)に黙禱を
捧げます……大事なことは常に隠されており、解読者が求められているのでしょう。
参考文献:監修=岡本良一、執筆=朝日新聞阪神支局 『花の下影 幕末浪花のくいだおれ』(清文堂)
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tag : 美術