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はりみち

近鉄・南大阪線の針中野 駅(大阪市2023_04_19_はりみち・でんしゃのりば(道標)_1
東住吉区駒川5丁目24-8)は、「中野
鍼灸院
」から名が採られています。その
屋号は「中野降天(あまくだる)鍼療院
(はりや)」といい、設立は延暦年間(782
~805)に遡る模様。大正時代の中野家
41代目が、当時の大阪鉄道(現・近鉄
南大阪線)の駅建設等に尽力したことに
対して、大正12年(1923)の開通時に
最寄りの駅名が「針中野」とされ、地名ともなりました。ここまでは、今も残る近鉄の話。
       ☆
2023_04_19_はりみち・でんしゃのりば(道標)_2 大正12年より早く、大正3年(1914)、阪堺電気軌道
 今池~平野間で平野線を開業。翌年(1915)に南海鉄道
 と合併して、南海鉄道・平野線となりましたが、開通時に
 中野駅から「中野鍼灸院」まで320mの間、辻の角々に
 7基の道標「はりみちでんしゃのりば」が建てられて
 います。“庚申街道”沿いに建てられたとも言える道標
 7基の内、2基が現存。当初の計画段階や戦時企業統合
 政策も含めれば、阪南電気軌道 ⇒ 阪堺電気軌道 ⇒
 南海鉄道 ⇒ 近畿日本鉄道 ⇒ (再び)南海電気鉄道
 ……と変遷しましたが、大阪市営地下鉄(現・Osaka
 Metro)谷町線の開通に伴い、昭和55年(1980)11月、
 平野線は廃業となりました。かつて、東住吉区内には、
 田辺、駒川、中野と(平野線の)3駅が在ったそうです。
 平野線跡の上には、阪神高速・松原線が走っています
 が、知った上で歩けば、また感慨が違ってきますよね。

参考記事:東住吉100物語 ― 058 中野のはり
       061 南海鉄道平野線(廃線)の今昔066 「はりのみち」の道標
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テーマ : 史跡
ジャンル : 学問・文化・芸術

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歌わない詩人、喰えない物書き。
たまに「考える人」、歴史探偵。
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(自称)。
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